線分ABを人生とするならば、
点Aは誕生、点Bは死去と言い替えられる。
いかなる格差があろうとも、人生にこれら二点があるのは必然である。
また線分ABのAへ向かう延長線xAは、
産まれる家庭、つまり誕生の境遇を仮定するものである。
そして線分AB上にある点yからBは死去へ至る境遇を暗示するものである。
つまり人生における不平等はxA-yBの連なりから生ずるものである。
xAが不可変に対して、yBは可変であるということに注目したい。
簡単に言うと終活の話なのです。
振り返ってみると俺のyは高校生だと思います。
最新とは異なるので何とも言えないところもあるものの、
当時大学奨学金はローンのような扱いでした。
それにより進学は断念しました。
高校生活3年間、俺は小遣いを求めませんでした。
倹約のため髪も自分で切りました。
そのときの経験が活かされて、今でも終活に向けて自分で切っています。
もし進学できたら俺の人生は別の道を進んだのでしょうか。
違うと思います。
水は低い方へと流れます。
その道が谷です。沢です。
水は谷や沢を逸脱しません。
人生にもそんな山谷はあったのでしょうね。
そのように考えると、徳のある水は湾を潤し、そうでない水は汚すのだと推察できます。
おこがましいことながら、
俺の水は汚すものでは無かったと自負できます。
流れ着いた湾が望むところではなかったのでしょうね。
xは変えられなくてもyは変えられる、
未来を生きる人にはそう伝えたいのです。
俺はyを見誤りました。
Bへ軟着水出来るよう心構えようと思います。
線分AB間の距離を自分で決められる世になったらいいですね。
(転載はしないでください。2019/06/20/11:53)
『ほとんどの人は、普通に楽しく暮らしたいはずだ。「生産性の向上」は、そうした自然な生き方を犯罪者扱いする。
鈴木健』
2019/06/18朝日新聞より