数日前に死にました。

 

急性心筋梗塞とのことでした。

 

そのとき私は旅行中でした。

 

予備バッテリを持っていなかったので携帯電話の電源は切ってありました。

 

家族から、何度も連絡を取ろうとした記録を見ても動揺はありませんでした。

 

仮に駆けつけようとしたところで物理的に死に目には立ち会えなかったので後悔はありません。

 

それに子供の頃から母をよく思ってませんでした。

 

今なら虐待に相当する仕打ちを何度も受けました。

 

そのことについては俺が成熟した大人になってから和解をしたので恨みはありません。

 

でも愛はないのです。

 

母は義母に虐待されて育ったので子に愛情を注げないのです。愛を知りませんから。

 

そんな母の元に育った俺も愛を知らずに成人してしまいました。

 

周囲の人たちがのびのびと生活しているのを横目で見ながら、俺と比べながら、俺の性格はゆがんでいるのだと知りました。

 

愛が受け継がれてゆくものなのならば、家族のかかわりが希薄な現代日本の家庭では、

 

家族という最も小さい社会においてさえ愛が継承されないのかもしれません。

 

愛は注ぐだけでは終わりません。

 

注がれたことに気づく素養も育てなければ意味が無いのです。

 

どうやら私は気づけたようです。

 

つづく。