お久しぶりにもほどがあるくらいお久しぶり状態ですねえ。

 

先月末ですかね、職場の同僚の方のタロット占いをさせていただいたんですけれども、

そのレポートを書くかなあなんて思っていたら

その日の夜

てんかん発作で3回!

吐き気と頭痛と戦う事2日間!(結局吐きました)

そして尾骶骨を打ち付けてまともに動かないなう!

な状態で、ホントにそれどころじゃなくてウォーキングデッドの様な状態になっておりました。

バイオハザードに出ていたらきっと主人公に撃ち抜かれていた事間違いなしなレラですこんにちはまたはこんばんは。

 

体の部位って何でもない時はほんとに何でもないんですけれども、

傷一つ。打撲一つ。なんてこさえてしまったら

「ああ、ここって結構必要な箇所だったんだなあ」

と再確認してしまいますよねー。

人間が進化するにあたって退化したという尾骶骨。つまりは尻尾。

あいつはなくなってはいないんですねえ。

退化した今日でもちゃんと機能してくれているんです。

人間にはちゃんと尻尾があります。やはり人間も動物でした。

立ち上がる時、起き上がる時、あの退化した尻尾で何気なくバランスを取ってるんですよね。

痛めて初めて感じました。文字通り「痛☆感」ですよホント。

昔、大学にて人間の進化の授業を選択してましたが、その時教授が仰っていた

「退化もまた進化」という言葉は今でも私の心の中に刺さっておりますが、まさにその通りでしたね。

S田先生今でもお元気かなあ・・・。

 

人間が今日までに至る間に退化(というか変化?)してしまった事って単に体の部位だけではないんですよねえ。

魂や物の捉え方考え方価値観。

目に見えないものもまた変わってきているような気がします。

時に良い方向に変わっていっているのもあれば逆も亦然りで。

 

まあ、日常を何気なく暮らしていれば気が付かない事だらけでしょうけれども、

昔の日本人は他国人から見ると「あいつ等ただの黄色い猿じゃねえ」と思われたくらい一目置かれた存在だったんですよね。

ですよねって私は無論あの当時を生きていないので、言い伝えでしか知識が無いのですが

 

妙にこざっぱりしている

例え下級の武士であっても誇りを持っている。

そしてそんな下級の武士であっても相手はちゃんと礼儀を弁えている。

黄色い猿と思って粗相をしていたら逆にこっちが怖い目に遭わされた。(フランス公使・談)

東方の島国と思って攻撃を仕掛けてみたらあいつ等相当やばかった(元国軍人・談)

皆がみんな、整然としている。

好奇心が旺盛すぎて、鉄砲を改良して然も量産しやがったので商売にもならねえ(スペインかポルトガルあたりの商人・談)

毎朝、朝日を拝むために皆早起きしているその姿たるや神々しき(ギリシャ人文学者(K泉Y雲さん)・談)

 

等々。

割と個性的な民族であったことが各国の人々のコメントから読めて取れるのですが

その「日本人」という独特な民族はどうやってどんな道をたどってきたのか。

そもそも、何を信じ、何を敬い、何を大切にしてきたのか。

という事が一冊にまとめられた本を先日拝読しまして、

目から鱗が何十枚も剥がれるような思いでした。

私、こんなに鱗持ってたんや!!!

なくらい鱗がぼろぼろと・・・!!

私はどうやらギャラドスだったようですね(ポケモンネタ)

金はないけど鱗なら持ってる!いよっ!(鱗の事はどうでもいい)

 

その本、某大手神社の禰宜さんが執筆された本なんですけれども、

芥川龍之介さんの「神々の微笑み」というお話を思い出しましたね。

 

神道とは一体なんなのだろう。

日本人は果たして無宗教なのか否か。

我々が日々何気なく行っている動作&面倒くさくてやめちゃいましたな動作の中にも

神様と繋がるヒントがある。

遠くの大手の神様よりも、近くの土地神さま。

日々の簡単な御祓い。

朝の洗顔にだって実は意味がある。等々

兎に角、日本人の魂の根底に眠っているものを教えてくれる一冊だと感じました。

そして、それを護ってきたからこそ過去の日本人は他に類を見ない独特の民族スタイルを築いてこれたんだなと納得しました。

 

中でも、「パワースポット」に対する記述がありましたが、私も全く同じ考えでしたので首を大きく縦に動かして頷いて、

ロックのライブでも何でもないのに傍から見たら無音でヘドバンをしているやばい奴と化しておりました。

 

ここは私も同意見ですので、述べさせていただきたいと思っております。

今現在、色んな大人の事情も手伝って

やれパワースポットだとかこの木が凄いんだとか岩がやばいんだとか言われていますが、

その情報は間違ってはいないですが、必ずしも恩恵を授かる場所ではないんですよね。

人々の超個人的な欲望も手伝って

パワスポ行って運気をもらいましょうとか

銭洗い弁天でキャッシュカードを洗ったり

パワーが籠っているといわれている場所だけみて肝心のお参りをしない=神の家に上がりこんで礼もしないで去っていく

という

神聖とされている場所を所謂「欲しがり民」が荒らしていく。しかも土足で。

欲望があつまればそこは負の気しか集まりませんし、

「もっともっとぉ!」と自分の事しか考えられない人に神様どころか誰も手を差し伸べるはずがない。

 

あと、私が苦々しく思っているのが

「ここの場所はマイナスの霊気があるから行かない方がいい」

とか言いきっちゃってるスピリチュアル系の方。

 

お 前 が 言 う な や。

 

・・・・失礼。

でもそこは言いすぎですよと。

そもそも、貴方のそのスピリチュアルの力。それは誰から貰ってるんだ。って話ですよ。

その場所を含む色んな神様たちが世の中の為に尽くしなさいと与えてくださった力なんです。

そもそも、そういう方が言っていることは身近な例えで言うと、

ある人の家に押しかけて

「貴方の家、滅茶苦茶やばいですよ」 という。

これだけでもお節介甚だしいし挙句失礼千万なんですけれども

「あそこの家、めっちゃゴミ屋敷だから行かない方がいいですよ」

って人様に吹聴しているようなものなんじゃないかなあと。

 

私もそうですが、マイナスといわれたその場所。そこは私大好きなんです。すごく壮大且つ神気満つものを感じております。

多分、スピリチュアル系の方からマイナスの場所といわれている場所ってまだまだあるかもしれません。

しかしですよ

そうは言いつつもそこに救われた方もいらっしゃるでしょう、元気を貰った方もいらっしゃるでしょう。

何故なら、そのスポットこそご自身の魂が「行きたい!」と切望している場所だからです。

 

その場所に行きたいと感じたのであれば、私は魂の声に従って訪れてもいいと思います。

誰の情報でもない、自分ご自身の気持ちが一番大事なんだと思いますし、

そもそも、悪い場所というのは無い、というのが私の持論です。

古代の人々はそこに何かしらの力を感じてそこを祀ったのであれば、意味はちゃんとあるんですよ。

無駄なものは一切ない。私の痛めた尾骶骨と同じです。

無駄なものは、全くもって、無いんです。

 

スピリチュアルを生業としている方が「ああ、ここ嫌だなあ」と思う。

端くれの私だって「ここに来るとめっちゃ凹むわー。やばいわー」と感じる場所はありますが、

それは自分の感性であって無論魂の感覚なんで、本当にそこは悪いかというと一概に言えません。

だってその場所に行けば元気をもらえる方がいるからです。

 

どんな神様であっても、慕ってくれたり頼ってくれるのは神様ご本人(?)としてもめっちゃくちゃ嬉しいんじゃないかなと思ってます。

なので、

一概に「此処はマイナスの霊気が溢れているのでやめた方がいい」

というのは、一人の人間として行き過ぎた行為なんじゃないかなというのが私の考えですが、

ここまでネチネチ書かれてはいませんが、かの本にも似たような事を書かれていましたので、

ああ、私が感じていたのは強ち間違いじゃないんだなって嬉しくなりました。

 

あとパワースポットといいますが、雑誌や旅行ブックやサイトで紹介されているところが全てとは限らないと思います。

これは個人的な見解ですが、大人の事情も多少入っているそんな気がします。

大人の事情こそ一番厄介ですよねえ。

ご自身がそこを訪れたら元気になれる。それこそが魂とその場所が共感し合える所謂真のパワースポットなんじゃないかなと思います。

そこに、

出来たらお一人で伺って、ご自身が心ゆくまで堪能して神様と会話をなさることをお勧めさせていただきます。

 

さて、神様に愛される方は一体どんな方なんでしょうね。

そのヒントを与えてくださったその一冊の本。

 

こちらの本です。

 

上手く表示されなかったら申し訳ありません。

昭和の落とし児・レラ・・。

 

偉そうに述べさせていただきましたが、序でながら(なにせ一か月ぶりの更新なんでスミマセン)

たまに「月に〇百万稼いでいる企業コンサルタントです」とか「最初は鳴かず飛ばずでしたが今では月に以下略」という紹介文を書かれている方をツイッターのフォロー申請等で見かけますが、謹んで辞退させていただいております。

お金はなんの指針にもならないからです。

私は弱小占い師ではありますが、

私はどれだけの人々をどれだけ観てきたのか、そして寄り添ってきたのか、という事を重視させていただいております。

なぜ私が金額で自己紹介している方を遠ざけるのか

そこにはあるものが欠けていると感じているからです。

さてさて、それは何でありましょうや(ΦωΦ)

 

長々と失礼いたしました。

多分途中で読むのをやめた方の方が多いんじゃないだろうかと思いますが、

もし、if  如果 

最後まで読んでくださいました方いらっしゃいましたらこんな弱小ブログに有難うございました。

 

次回は、書くとしたらば

「自分、生かされてるんだなあ」

と感じた不思議な出来事をちょいと書こうかなあなんて思っております。