蒸し暑いですね。シュウマイの気持ちがわかる時期になりましたが、まだまだ序の口なので、シュウマイ云々言っておられませんね、侏儒です。

大分の某所のショッピングモールのバックヤードで

 

「なんでこんなもの(商品)を送り付けてくるんじゃー!!!配送センターのアホーアホー!!!」

 

とぼやくまで行かなくても叫んでいる(もっとひどい)のがいたらそれは私です。

いや、ほんとあほなんですようちの会社の配送センター。

品薄でほしい商品が届かなくて、在庫パンパンなのばかりが段ボール10箱とはマジクレイジーっすわ。

 

欲しい商品届かないで、要らないものを押し付けてくる、お前の気持ち押し付けられるばかりHey,Yo,たまには俺の心をわかってくれ(ラップ調で読んでください)

 

明日も、きっと廊下にあふれんばかりの商品の山がやってきますのでしょう・・・・・。

そして私はあきらめずにいうのでしょう。

 

「これ、あほちゃう??」

 

 

そんな日々を送るなか、寝る前に古事記を読んでます。

なんか、知っておかねばならんのではなかろうかと、閃き・・・・まではいかないんですが、日本人として、自分ち(國)の事はちゃんと目を通していないとなあ・・・くらいに思っているのはやはり今の世界情勢がそうさせているかもしれず。

神話を持ってたり、古語があるってことはそれだけ長い歴史を歩んできたっていう証拠なので。学生の事は古文とか苦手でしたが、「勉強のため」という楔を解かれた今、割かし古語を知っていることは大事なこと、そして自国の神話を知っていることはそれだけ歴史があるってことなので、ね・・。うーん、うまく言えないですが神話と歴史っていうのは切っても切り離せないところがあって、昔のニュースを口頭で伝えられ、そして各地でバラバラになった出来事を集約したものが神話であり、学界に出せるほどではないレベルのものであるにしても、神代に何があったかという歴史史観でみるとスピリチュアル分野のみならず、この国がたどってきた道のりを知ることができるのは、やはり歴史を持っている國だからなんですよね。なんか変な文章になりましたが、例えば伊邪那岐命と伊邪那美命が國を産む際に、「四国は最初っから顔が四つある島で・・・」とか、「筑紫(九州)は肥の國、熊襲の國、豊の國、筑の國ができて・・・・」とかいう感じの文章があるんですが、ワタクシが住んでいる大分県は昔っから「豊の國♡」というキャッチフレーズで山海の幸が豊富だよ♡みたいなことをアピールしてるのを幼い頃から聞かされてきて、ミニ侏儒としては、おいおい、他の都道府県だって自慢の物産があろうよ、とか思っていたのですが、古事記の時代から豊の國と言われていたのであればこりゃもう馬鹿にできねえなあと。(ええ、してました。ちなみに『おんせん県』というフレーズも箱根とか草津とか道後とかあるのに申し訳ねえ!!とも思っています。ちがうだろ、うちはカボス県だろ!!と今でも思ってます。)

 

あと島国だからか山とか海の神が多いですね。どの神話を見ても洪水災害とか世界が暗くなったとかいう出来事が所々に書かれているので、神代あたりは地球レベルで気候が安定していなかったのかもしれないですね、ましてやこの地震国の日本。山が鳴り海が荒れるとなるともう死活問題なので、そういうところも理由になってるのかなあとか思いながら読んでいくと、ようやく天照大神とか月詠命とか須佐之男命とか生まれました。

というところまで、のろのろと読んできまして、今は須佐之男命が高天ヶ原で暴れまくって追われるという、所謂「八岐大蛇退治事件」ですね。そこで衝撃を受けたのが、

子供の頃図書館で「古事記」をそれなりに読んでいたもんですが、生贄になる娘を中心に泣いている親を見かけ、それで、という件は確かに今も覚えてますが、その親っていうのが昔話的に出てくるお爺さんお婆さん風に思ってきたんですが違うんですね。彼らもまた神様だったんですね・・と。伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ國つ神の一人大山津見神の系統の方で、足名堆・手名堆さんという、神の子孫だったんだなあと思ったときに、そういえば高天ヶ原や出雲レベルまで行かなくても神の系譜の延長線上に自分たちは生きているのかもしれず、所謂「氏神」といいますが、古事記的に考えるとみんなそれぞれの神様の子孫なんじゃないのかなあなんて思って自分で勝手に衝撃を受けてしまいました。(平安貴族とかとくに神の系譜っていいますしね)

伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ國つ神のほかにもいろんな神様が色んな神様を産んでいますので、大なり小なり様々な神様が地上にいらっしゃって、そして子孫を作り、今に至っているのかと考えると、目に映る世界がなんか違って見えました。

 

皆、尊くて 皆が神様

 

そうおもうと、古来より日本人が大事にしてきたものの正体がわかったような気がしました。

戦後や現在では違う価値観の下(良く言えば多様性)、根幹が揺らいでいる危機感のようなものを感じていますが、一人一人が大切で、掛け替えのない存在なのだということは、変わらないでいてほしいなあと。悲しいニュースが多い中、誰しもを敬えるそんな世の中になれば、みんな幸せになるのになあと思いながら、私は明日、仕事に行きます。

 

そして今日の感動を棚上げにして配送センターに対して「ムキャー!!!!」となるんでしょう。

 

まあ、現実ってそんなもんですよね・・・・・ハハハ

 

 

追記

伊邪那岐命と伊邪那美命の黄泉の国でのあれって、日本初の夫婦喧嘩ですよね・・・・。

 

追記その2

そういえば古事記読んで寝るんですが、一昨日は仏様と酒を酌み交わし、昨日はキリストさんと遊んでいました。昨日に至ってはペテロさんもでてなかったかなあ・・・・って。