1992年発表。
単行本1冊、365ページ
読んだ期間:4日


[あらすじ]
35歳の数学者ジェレミー・ブレーメンは絶望の淵にいた。
最愛の人、ゲイルが脳腫瘍でこの世を去ってしまったから。
彼らは特別な絆で結ばれた特別な二人だった。
その絆とはテレパシー能力。
この世界で初めて出合った自分と同じ能力を持った女性であり妻を失ったジェレミーは家を焼き払い、自殺を図ろうとするが寸前で思いとどまり、放浪の旅に出る。
何もかも失い、ただ生きているだけの存在となったうつろな男、ジェレミーは旅の果てに何を掴むのか…


本作は超能力者を扱ったSF小説ではありますが、主人公のジェレミーはこのテレパシー能力で何事かを成そうという志はありません。
物語開始早々、あらすじで語ったような絶望からスタートします。
彼には何もやる事が無くなってしまっています。
彼らのテレパシー能力は、聴きたく無いのに聴こえてくる他人の思考に悩まされる、病気のようなもの。
お互いの精神的つながりに利用する以外は邪魔な存在でしかありません。
精神的なつながりが強い事は幸福でもありますが、病床のゲイルの苦痛も共有してしまうという不幸にもつながります。
そんな彼が旅する先では、それまでの人生では考えられないような苦難が襲い掛かります。
ギャングに拉致されたり殺人鬼に追われたりホームレスに落ちぶれたり…


こういった旅の章の合間に挟み込まれる”眼”という章では、自分のことをぼくと呼ぶ人物から見たジェレミーとゲイルのそれまでの生活ぶりやジェレミーが取り組んでいた脳の解析とそれに伴う自分達のテレパシー能力の解明を克明に描くという2つの章に分かれています。
ぼくの正体は後半になり判明してきますが、本人は一種の神かも知れないとの意味深な言葉が冒頭から発せられます。
旅の章はアクション中心ですが、こちらの眼の章はハードSF的な様相もあり、特に脳と意識の解明についてはかなりむずかしめの論理展開があります。
量子力学的な理屈があり、不確定性理論やらカオス理論やら何やらを経て平行宇宙にまでたどり着く過程は完全に理解しようとするとかなり時間がかかりそうなので、わかった気になっておけばいいかなと。
脳で発生した意識の表層を本人が察知する事で自分が考えている事につながる。
テレパシー能力は自分の表層だけでなく他人の表層まで感知してしまう…
とかなんとか。
もうちょっと読み込まないとわからないかな(^^;


解説にもあるように、愛する人を亡くし自暴自棄になった男が旅の中で平安を得るという過程は、ダンテの「神曲」に酷似しています。
ちょっと宗教的な面、観念的な面があるので、先ほどのSF理論の難しさも考えると若干ハードルが高いかも。
ただ、一つ一つの事件は中々面白い展開をしますので、眼の章のSF要素と旅の章のアクション要素の2つの面白さを味わえるお得な小説とも言えます。


ゲイルはSF・ホラー小説好きで、スティーヴン・キングの「ニードフル・シングス」やアルフレッド・ベスターの「虎よ、虎よ!」などがそのままの形で出てきます。
特に後者はわりと重要なファクターになってます(ジョウント能力のところ)。
方やジェレミーはSF嫌いで、SFの事を「サイファイ」と言ってバカにしています。
SF作家が自分の小説の主人公にSF嫌いを設定するというのもちょっとヒネてて良い味出してます。
本書は「ハイペリオンの没落」の後に書かれていますが、土星の衛星ハイペリオンの記述があり、思わずニヤっとしてしまったり、二人と子供の姿が浮かび上がる、静かなエンディングは「エンディミオンの覚醒」にもつながるのかなぁ、などと思うのは気の回しすぎかも(^^)
徐々に明らかになる眼の存在に伴い章の名称もこれに合わせて少しずつ変わっていく細かい仕掛けも良い味付けになってます。


残念ながら本書も絶版。
文庫化もされずじまいだったようです。
わりと好きなんだけどな、こういう話。

 


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