2007年に発表された伊藤計劃(いとうけいかく)の処女長編。
近未来。
広島、長崎に続く第3の核被害がサラエボでのテロリズムという形を取ってあらわられた後、インド・パキスタンの核戦争をも経験した世界。
そこでは人間はIDで徹底的に管理され、どこに行くにも証跡が残るようになった。
多少の不便さ、プライバシーの制限は、安全保障という名目の元、甘受されていた。
主人公のクラヴィス・シェパードはアメリカ情報軍特殊検索群i分遣隊の大尉。
彼の任務は好ましからざる人物の排除=暗殺。
命令で人を殺す殺人者。
彼はただ淡々と命令に従い、遂行する生活を営んでいた。
そんな中、ある任務において、一人のターゲットを取り逃がす。
その後、何度かの作戦で次々と彼の手を逃れるその男、ジョン・ポールのいる場所では残忍な虐殺事件が必ず起こっていた。
ついに彼を捕らえた時、彼の口からは驚くべき事実が告げられる。
「虐殺には特定の文法がある。」
彼はその文法を操り、各地で政情不安を煽り虐殺事件を演出していた…
彼の目的は何か?
シェパードはどう行動を起こすのか?
言葉の持つ力としては言霊という単語もあるように、世界各国でも呪文や呪いなどが色々な場面で取り上げられて来ましたが、ここでは文法がその威力を発揮します。
この着眼点は新しい。
言語に依存するという事は、人種や地域に根ざすものという事にもなるわけで、非常に限定的な効力を発生させる特殊な兵器とも言えます。
しかも仕掛けた側は文章やスピーチなどのごく一般的な社会活動をしているだけで、正に全く手を汚しませんし、
仕掛けられた側は何が起こっているのか全く理解できない内に泥沼にはまり込むという恐ろしい兵器です。
本書は、主人公のシェパードの独白という形を取ります。
一人称は”ぼく”。
暗殺を生業とする成人男性には似つかわしくない言葉。
そしてその文体も非常に穏やかで、どちらかと言うと子供っぽい。
表向きの冷徹非常な殺人者という面とガラスのような、少女のような繊細でナイーブな面が、彼の心の中で激しい綱引きをしているかのようです。
彼は命令により人を殺します。
つまりは自分の責任ではなく誰かの(軍や政治家の)責任において行動しているに過ぎません。
精神活動を抑制させる薬品とカウンセリングを受ける事で、目の前に現れた敵が例え子供でも容赦なく殺す事が出来る上、”痛み”は感じてもパニックに至らない、例え手足が千切れても作戦を遂行できるような処方箋を施された彼。
しかし、彼は一度だけ自分の責任で人を殺しています。
それは母親です。
自動車事故で回復不能な状態に陥った母親の延命拒否にサインした事。
唯一の肉親であり、家族である母親の死刑命令書にサインした事は彼のトラウマとなり、常に母親の幻覚を見るという形を取って、彼に死の責任を認識させます。
自分は死について責任を取っているのか?
自分の行為に対して誰が罰を与えられるのか?
ある意味、内省的なその姿は、かつて読んだJ.G.バラードの「楽園への疾走」に出てくる、過激な年上の女性自然保護活動家に翻弄されるニールを思い起こさせます。
著者の伊藤計劃は、今、現在、既に故人。
彼は本書執筆前から癌を患い、過酷な治療の合間に本書を書き著しました。
彼の残した長編小説は本書以外には、人気ゲームを小説化した「METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS」と本書の延長線上にある、全ての人間が健康になった世界を描く「ハーモニー」の3冊のみ。
「ハーモニー」では星雲賞、日本SF大賞、ベストSF国内1位を獲得するものの、その栄誉を味わう前に力尽きていました。
享年34歳。ありきたりながら、あまりにも早過ぎる死。
”もし”に意味は無いかも知れませんが、彼がもし後30年生きていたら、どれほど多くの名作を世に出していたかと思うと残念でなりません。