こんなレースカーがあったのを知らなかった...アルピーヌ_A220 Race Car'68 | Roll Runnerの日常

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以下グランツーリスモウィキペディアより

 

1967年の暮れ、アルピーヌにパラダイムシフトが起きた。それまでジャン・レデレと彼の技術者たちは、最大排気量1.5リッターまでのレーシングカーの製作にとどまっていた。しかし、1968年のスポーツカーレース、特にル・マンでの耐久レースのために、排気量3リッターのレーシングカーを開発したのである。 だが、ルノー R8 Gordini '66を手がけたチューナーのアメデ・ゴルディーニを持ってしても開発に難航したマシンとなってしまった。 当時としては画期的な3ℓV8エンジンを搭載し、レースでのアドバンテージを狙って先代A210の左ハンドルから右ハンドルに変更。中身をガラリと変えて別物となったA220は満を持して目標であったル・マンに1968年から導入された。しかし、その結果は惨敗。69年にリベンジするも大敗し、ロードレースは先代のマイナーチェンジ扱いで登場することになったA211に譲ることとなった。 ……と、ここまではロングテールの話。このクルマにはロングテールとショートテールが存在しており、有名なのはやはりル・マンに出場したロングテールの方。アルピーヌ ビジョン グランツーリスモ Race Modeもこちらのオマージュである。 その一方でグランツーリスモに収録されたショートテール仕様は、ル・マンを走るプロトタイプレーシングカーをラリー競技仕様に改装したモデル。 ラリーと言えば今では悪路を走る競技のイメージがあるが、まだWRCというカテゴリーが制定されていなかった当時は、タルガ・フローリオやツールオート、ミッレミリアといった舗装路の公道を舞台にしていた。その中にはプロトタイプのレーシングカーもよく出場しており、同じくル・マンにも出場していたポルシェ 908のショートテール仕様やアルファロメオ T33なども居たのである。 このシャシーNo.1731のA220は、1968年に作られた3台のうち2番目に作られたクルマ。1968年のル・マン参戦後にロードラリーに出場するためにロングテールをスパッと切り落とし、フランスの公認車検所得のための装備を改修・追加。公道走行可能なロードカーに転生を果たす。 こちらは1度優勝するもその後の活躍も特になく、僅か1年弱でラリー活動を終了。 だが黒歴史のようなロングテールとは違い、その数奇な運命とも言えるショートテールは潰されることなくアルピーヌ本社に保管された。そして細々と修理作業をしつつイベント展示をした後にコレクターへ売却された。 1969年のル・マンにもアルピーヌは4台のロングテールのA220を投入したものの、結果は惨敗。エンジンはアンダーパワーで、同じ3リッターのポルシェ 908やマートラ 660にはるかに遅れをとっていた上に、出場した4台のすべてがエンジントラブルでリタイアとなってしまった。 小排気量のエンジンからパワーを引き出すチューンの魔術師であったゴルディーニをもってしても、3リッターV8エンジンは全くものにならなかった。この3リッターに全身全霊をかけたアルピーヌが失った資本と労力は、それがたとえフランス政府や大企業ルノーの支援によるものであったとしても、小さなコンストラクターにとって余りにも重い負担だった。後進のライバルであったマトラがF1チャンピオン・コンストラクターとなった同じ年、アルピーヌはレース活動から撤退することになるのである。 最大の失敗作であるV8を開発したゴルディーニの名声は地に堕ち、1979年に他界。また1975年にはゴルディーニ社はルノー本社を離れ、アルピーヌに経営統合された。これ以降、彼の名が人々に振り返られることは無かったのである。 国内情勢のゴタゴタを収めようとした国家プロジェクトで生まれたクルマだったが、悲劇的末路を辿り多くの人々の記憶から忘れ去られてしまった。それはまるでかつて、神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍したが若くして処刑された女性騎士、ジャンヌ・ダルクのようにも見えるだろう。 だが近年になって再びその流麗なフォルムで注目を集めるようにもなっている。

 

 

 

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