写真って、賑やかな場であったり友達や恋人との楽しい一瞬など何らかの「音」が存在する風景を静物に変えて切り取るものだと自分は思う。
でも上記の写真の様に、宇宙という「音」が全く存在しない領域を写した写真もある。
これは音のしない「静」を更に静物として切り取っていることから、これらの月面写真や宇宙空間を写した写真は自分の目には素晴らしい美術品として映る。
静かの音が聴こえる気がするし、そもそも我々が描いている絵というものは音を発しないものを一枚の紙(枠組み)の中に収める作業だから、完成した絵とこういった写真はどこか似ている気がする。

…これ伝わってる?伝わらんか!
早い話がこの写真シュルレアリスムっぽくてスーパークールだぜ!ってこと。

そう言えばシュルレアリスムって他の宗派に比べ「音」の感じられない絵が多い気がする。そこが良い所なのかも。


さて、バイト先の送別会でした。

見事に呑まれ酩酊、潰れました。
楽しくて飲み過ぎて先輩に無礼すぎる茶々を入れては蹴られ終電を逃して二次会先のカラオケではこの世の終末の様な気持ち悪さにみまわれトイレの個室に籠城しているうちに夜が明けていました。
何人もの方に何度も介抱して頂いて、本当に有難いと同時に本当に本当に御迷惑をお掛けした次第です…。
でも御世話になった先輩方にはきちんと感謝の念を伝える事が出来て心底良かった。酔ってたけど。

寂しくて、夜の明けた町を一人泣きながら家へ帰った。
御世話になった人や仲の良い他テナントの方ばかりが異動してゆくのがどうにも寂しく耐え難くて顔グッチャグッチャにして帰った。アパレルでは店舗間の異動は結構ザラらしいんだけどね。

正直、本当に辛いのだけど
「お前は接客も服も好きだし大丈夫だと思うから、今の俺位になるつもりで頑張れ。」という先輩の言葉を胸に春から頑張ろうと思う。今はやっぱり辛いけど。

あと三回位、泣くわ。


さておき、さや侍を観た。
前日の涙腺の緩みが残っていたらしくもうボロッボロ泣いた。
人が頑張っている姿は何故こんなにも美しいのだろうと思いながら泣いた。当然の事ながら演技なんだけど、それも含め凄く素晴らしく観えた。
全く予想だにしていなかった結末であったし、その後の僧侶のくだりでまた泣いた。終盤から野見がこれを考えていたと思うと、その潔さと哀愁さに涙が止まらなかった。
もう主観入りまくりで観たから何の参考にもならないけど、宜しければ是非とも御鑑賞をば。

『わたしを離さないで』を観た。
彼等には確かに確固たる魂が宿っているし、目的の為に生かされているとはいえ他の人間と何ら変わりはなくむしろ、何の目的も無く日々を削っている他の人間に比べてよっぽど「人間らしい」と自分は思った。
短命の主人公達は必死に命を渇望している。
けれど未来に無限の可能性を秘めている私達はそれ程生きたいという願望は無くただなんとなく毎日を生かされている。
皮肉っぽい対比だけど、一体どちらが幸せなのだろうか。

命は限りが近い程、強く眩しく輝くのだと思う。




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