この演奏を聴く前に:16世紀の初め、ハンガリーやオーストリーといった中央ヨーロッパの人たちは、オスマントルコの指導者、中近東の信長と世界の歴史学者から呼ばれていたスレイマン大帝に戦々恐々としていました。

 

なおスレイマン大帝は、織田信長より40歳年長で、信長が生きていた時代、我が国は、鎖国などではなく堺の街などは宗教関係を始めとするヨーロッパ人で溢れかえっていました。信長が、スレイマン大帝を知っていた可能性は決してゼロではありません。

 

オスマントルコの支配者層               世界情勢に詳しい信長

 

そしてオスマントルコの軍隊は恐ろしく強く、軍隊の行進も太鼓を中心に実に華麗で勇ましいものだったそうです。一時期ハンガリーは、オスマントルコの支配下になりかけましたし、ウィーンの都は、包囲寸前のところまで追いつめられていたのです。

 

モーツァルトは、彼が生きていた250年前の強靭なトルコ軍を想像してこのトルコ行進曲を書いたのでしょう。

 

ただ、この曲は、独立した曲ではなく、彼のピアノソナタ11番、K331の第三楽章なのです。

それでは、さっそく今、世界で一番支持されているアンドラーシュ シフの演奏を聴いてみることにいたしましょう。

 

     アンドラーシュ シフ: モーツァルト トルコ行進曲

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このピアノソナタ11番の調性はイ長調(Aメジャー)ですが、先ほどこの三楽章の楽譜を眺めたところ、前半は、五線譜に#も♭も付いていません。もしイ長調で始まるのなら♯が三つついていなければならないのに。

 

44秒後明らかに曲の雰囲気が変わりますよね。素人耳にもわかるのですが、おそらくオスマントルコ軍の勇ましい行進を表現しているのでしょう。楽譜は、ここで#三つをつけているはずです。つまりここがイ長調の部分なのですね。

 

それでは、最初の部分は何調でしょう?何もついていないのだからハ長調と考えるのでは、筋が通りません。その親戚の平行調であるイ短調(Aマイナー)と考えるのが自然でしょう。

 

何故モーツァルトは、短調から入っていったのか私なりに仮説を立てると、彼の一番表現したかったものは、もちろんオスマントルコ軍の行進風景です。

 

それを引き立たせるため、前半のAマイナー部分は、ハンガリーなどの中央ヨーロッパ人の不安を表現したものではないでしょうか。新型コロナウイルスが終焉して、ウイーンを訪れた時改めて提案してみようかなとも思っています。

 

さて、現在トップの位置に君臨するアンドラ―シュ シフの演奏、オーソドックスなアプローチですが、惚れ惚れする演奏です。特にトルコ軍の行進の部分、敢えてテンポを緩め大太鼓の響きを見事フォルテシモで表現しています。

アンドラーシュ シェフ

今まで10人くらいの世界的ピアニストの演奏を聴いてきましたが、グールドは、異質の存在として除外しますが、これほど練りに練った演奏をするピアニストはシフ以外には考えられません。バッハ、ベートーヴェンでも同じ調子なのですから現在人々から最も高い評価を受けているのも十分うなずけるというものです。

 

それでは、今は亡きグレングールドの同曲も聴いてみましょう。

 

         グレングールド:モーツァルト トルコ行進曲

相変わらずほかのピアニストでは真似のできないスタッカートで曲は、進行していきます。

 

一音一音が、皇室御用達象印の50万円の特注の電気釜で魚沼産のでコシヒカリを炊いたように一粒一粒が異常に立っています。特に低音の部分。

 

グールドという人は、トルコ軍の行進云々、作品の情景などほとんど考えず、ひたすら曲の構造に光を当てていくピアニストなのですが、中間部のAメジャーの部分、装飾音である短前打音の使い方が非常にうまいのでやはりその行進風景がひしひしと感じられます。

                                                                                 グレン グールド

 

シフの演奏より更にスリリングだなあと感じる人がいても何ら不思議はございません。