(A) 聖護院八つ橋本舗(売り上げ23億) VS (B)井筒八つ橋本舗(売り上げ26億)
短編小説:八つ橋戦争
先ほど、国会図書館から戻ってきたところです。5時間ほど八つ橋戦争について、調査した次第です。 直接、文部大臣にもお会いして、江戸時代の文書を見る許可も得ました。
八つ橋とは、ご存知のとおリ、京都を代表する伝統的な銘菓であり、それを製造販売しているお店が京都に16あるそうです。全体の売り上げは、何と、年100億円、毎年すべての国民が100円分、八つ橋をいただいていることになります。<ちなみに、沢口靖子さんが推奨するキャビアやブルーチーズを乗せていただくヤマザキナビスコクラッカーなどはその倍の200億といったところでしょうか>その両横綱が、(A) (B)なのです。
(A)は、当店の創業は元禄(1698年)と主張をしており、(B)は、創業 「文化」(1805年)と主張しております。 ちなみに元禄はご存知、5代将軍、またの名を犬公方、綱吉公の時代、赤穂浪士吉良邸討ち入り事件もありました。年号「文化」は、11代将軍家斉公の治世、55人も子供を作っちゃった人で、江戸では、多産の鮭になぞらえシャケ将軍と口さがない谷中の町民に囁かれることもあったそうです。
それではなぜ今になって、(B)は、(A)を訴えたのでしょう。1698年創業は信じられないというわけです。それは、(A)の京大文学部に通っていらっしゃる美人で、箱入りの看板娘さんが、店頭とすべての商品にSince 1698と表記しようと提案し実行してしまったからです。
伝統的な八つ橋 八つ橋看板娘 食感の柔らかい生八つ橋
直ちに外国人100人にアンケートをとったところ、80人が1685年のほうを選ぶという結果がすぐ出たからです。これでは、売り上げ1位を誇る、(B)は、黙っちゃいられません。これから外国からの旅行者が日本人のそれを上回るというご時世、1位転落は火を見るより明らかです。このような経緯で裁判沙汰になったわけです。京都府警と政府は、応仁の乱と同様京都が火の海にならないよう厳重な警戒余儀なくされているわけです。
それでは、五十年間もデユ―クエイセスによって歌い続けられているところの京都を代表する名曲「おんな一人」を聴きながらお別れすることにいたしましょう。
Duke Aces sing "Maid Alone"