Miles Davis Sextet play "So What"

マイルス デイヴィス ソー  ホワット  Miles Davis So What Miles Davis の代表曲、So whatを徹底分析する。
この、So what という、いかにもマイルス=デイヴィスらしい、ちょっと、ぶっきらぼうな、タイトルの曲は、1959年頃、録音されたKind of blueという、LPレコードの中の一曲だ。

他に、Blue in green,  All bluesなど、名曲が目白押しである。ここで、メンバーをおさらいしておこう。*トランペット:マイルス=デイヴィス *テナーサックス:ジョン=コルトレー *アルト=サックス:キャノンボール=アダレイ *ピアノ:ビル=エヴァンス *ベース:ポール=チェンバース *ドラムス:ジミー=コブで、あの伝説になったマイルス=デイヴィ
Aス セクステットは、組成されている。

 

A

ソロの順番は、ベースと、ピアノのイントロ、そして管楽器のハーモニーに続いて、(1)マイルス (2)コルトレーン (3)キャノンボール(4)エヴァンス。90%、正しいと思うが、(2)と(3)は、音色がちょっと似ている部分があるので、逆である可能性は、ゼロではない(ジャズファンとしてカッコ悪いのだが)。

そして、当時のモダンジャズ界の慣行として、数か月後には、その六重奏団は解散されているはずだ。

 

 

さて、このコラムの構成は、(A)不肖私が、ユーチューブのSo whatの動画に、自分勝手な英語で投稿した文章。
(B)まとめ という形態を取りたい。

(A)YOUTUBE:SO WHATに対するコメント(演奏:マイルス=デイヴィス六重奏団)
 


I would like to declare that "So what" is the most excellent and important one of music works in modern jazz.
 

私は、モダンジャズ史上最もすぐれて、重要な作品は、まさにソー ホワットであると明言したい。

 

These tremendous and valuable secrets are concealed in the tune titled "So what". Of course, this is only my personal view.
 

 

 

そして、私の個人的な見解であるが、ソー ホワットという題名の作品の中には、途方もない価値の秘密が隠されていると言ってもいい。

 

 

Sure, we can recognize its goodness without the information and the knowledge about it.
 

 

 

確かに、そのような理屈なしでも、この曲のよさは、わかるだろう。

 

At this opportunity, I think that learning about modern jazz is so good thing. If so, this tune would be more intimate thing from something difficult.
 

 

 

しかし、この機会にモダンジャズについて学習することは、とてもいいことだと思

う。もし、そうすれば、この曲は、難しいものから、もっと親しみやすいものになるに違いない。
 

 

The Japanese intelligent musician is insisting that Miles Davis introduced the mode which is called “D Dorian scale” into "So what".
 

 

 

ある日本の音楽家は、次のように主張している。マイルス=デイヴィスは、彼のソー ホワットという曲の中に、D ドリアンと称する音階を導入したと。

 

 

What is the mode or “D dorian scale”? According to my investigation, it differs from "Equal temperament" which is indicated by  "C major "or" A minor", for example.  
 

 

 

 

D ドリアン スケールって何? 私の調査によると、それは、例えば、ハ長調やイ短調で示される平均律とは、違う音階なのである。

 

 

 

It concerns to European music style in middle ages. And "D dorian" is thought being a kind of “Gregorian (church) modes". Next, everybody would say "what is Gregorian mode?"
 

 

 

 

それは、中世のヨーロッパの音楽形式に関連している。そして、D ドリアンスケールは、グレゴリアンモード、すなわち、教会音楽の音階と解して、まずまちがいないでしょう。

 

 

 

Anyway, those should be investigated by each person. I'm going to study about it. 
It'll be the home task of my retired life.

 

 

 

 

とにかく、これらのことは、各々で調べてほしい。私も、さらに研究は持続させて行きたいと思う。引退生活の一つの課題として。

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さて、もう一度振り返りさらに論を進めていくと「So what」という曲は、モダンジャズにおける音楽作品の中で最も優れ、かつ重要なものであると、私は、宣言したいと思います。

そして、途方もなく価値ある秘密は、「So what」というタイトルのこの曲に隠されている。もちろん、これは私の個人的な見解である。確かに、私たちは情報とそれについての知識がなくても、その良さを認識することができる。しかし、この機会に、私はモダンジャズを学ぶことはとても良いことだと思います。

もしそうなら、この曲は難しいものから、より親密なものになるだろう。日本のある、インテリジェントなミュージシャンは、
マイルス デイビス が、「So what」「Dドリアンスケール」と呼ばれているモードを導入していると主張している。 「モード」または「Dドリアンスケール」とは? 

 

C

私の調査によると、それは、例えば、「Cメジャー」、あるいは「Aマイナー」で示される「平均律」とは異なる。それは中世のヨーロッパの音楽スタイルに関係する。また、「Dのドリアン」とは、「グレゴリオ(教会)モード」の一種であると考えられている。

次に、誰もが「グレゴリオのモードとは何ですか?」と言うでしょう。とにかく、それらは各人によって調査される必要があります。私は私の引退生活の課題としてそれについて勉強するつもりです。
さらに論を進めると、そもそもカエサルが、活躍していた1世紀あたりからドレミファソラシドからなる平均律があったわけではない。

この偉大な音楽的形式が、ようやく確立されたのは、ルネッサンスが終わる
17世紀初頭だろうと言われている。J.Sバッハが、生まれる約100年前だ。この平均律、多くの調のおかげで、表現の幅は、ほぼ無制限クラッシツク、ジャズ、ロック、ポップス、J.POP、歌謡曲、ほとんどすべてのジャンルで、平均律が基盤となっている。それでは、h

 

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平均律の前はどうだったのかというと、私が知る限り、少なくともヨーロッパの中世では、ドリアモードとかリディアモードに代表される、いわゆる教会旋法と言う形式が主流であった。

菊地成孔氏が、言われるDのドリアンを例にとろう。中学の音楽の授業で習った平均律において、Dの音を親分とする音階を考えると、いま短調を考慮に入れなければ、それは、ニ長調(日)D Major(英)D dur(独)で、ニ長調の楽譜は、五線譜に#がふたつ記入されている。

どことどこが、半音上がるかというと、ハ音へ音だ。半音上がって嬰ハ音嬰へ音
になる。英語で表現するとC# F# 平たく言うとド#ファ#だ。もし半音上がらないと、ドレミファソラシドメロディーが作れないからだ。C(ハ)D(ニ)E(ホ)F(へ))~等、一オクターブ内のすべての音が親分となって、音階を作れる

メロディーは同じだが、ピッチが違う。つまり転調が自由にでき、音楽が、より複雑で豊かになる。もし、この世の中にハ長調とイ短調しかなかったらと考えてみるとよい。ちなみにこれらのことは、小中学校の音楽の先生が口を酸っぱくして言っていることに過ぎない。

 

A

 

さて極めて専門的な本題に入るが、これからは、ジャズミュージシャンであり、評論もなされる菊地成孔氏の発言や彼が、弾かれたキーボードのデモンストレーションに負うところが多い。

菊地氏は、So whatは、Dドリアンが基本になっているとおっしゃって、実際ユーチューブ動画で、Dドリアン音階を弾かれた。Dメジャーと違って、C,F半音上げてないから、当然、ドレミファのメロディーではない。ということは、平均律の音楽ではないことを意味する。まさに、平均律以前の教会旋法を採したのである。一種の先祖返りである。この着想が、マイルスのすごいところだ。

見事なトランペット演奏だけではない。おそらく、ジャズの世界では、初めての試みではないか。ただ、ベートーヴェンなどは、彼の後期の、イ短調弦楽四重奏曲に大胆にも教会モードを取り入れて、それが、玄人好みの超名曲になっている。

 

 

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             (B)まとめ
個人的な見解になるが、いかにマイルスといえどもとても一人で成し遂げたとは思えない。協力者と思われるのは、バルトークなどにも詳しいアレンジャーでもあるギル=エヴァンス、知的なピアニストビル=エヴァンス、もしかするとMJQのバッハ命のジョン=ルイスなんかもアドヴァイスしているかも知れない。

一度聴いたら、100年忘れることのできない、ポール=チェンバースのベースライン、これが、Dドリアンの音階なのか。今まで経験したことのないミステリアスだが、どこか人の心をひきつける。これが、この曲の大きな柱になっているに違いない。

そして、
トランペットサックスによる執拗で不思議なハーモニー、個々のソロは、言うまでもなくファンタスティックそのものだ。コルトレーンの音は、すでに完成されているし、エヴァンスの知的な抒情性には、形容する言葉もない。ユーチューブでのモダンジャズのViewerは、20万人いれば、なかなかのもの、So whatは、400万人、同、Blue in greenに至っては、600万人だ。

半世紀以上にも渡って、マイルス=デイヴィスの音楽は、今も、燦然と輝き続けている。そういった意味では、エルヴィス=プレスリー、ビートルズ、マイケル=ジャクソン等をはるかに超えている。これらはさすがに、おおむね思い出の作品になってしまった要素が強いが、このマイルスデイヴィスのSo whatを含むKind of blue という作品は、2015年の我々の前で、厳然と問題提起をしていて、20世紀の作品の中で、最も存在感がある作品であることを誇っている。2015年、今でも、この地球上で、60年前に発売されたのにもかかわらず、2015年現在、年間40万枚もCDが売れているというデータも存在するようである。音楽史上後にも先にもない現象である。

 

 

 

 

 

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