初めに:私の記憶によれば、ホロヴィッツは、革命後ロシアから変わった
ソ連を嫌い西側つまりアメリカに渡りました。彼は、急激にルービンシュタインをも凌ぐ勢いで、アメリカいや世界最高のピアニストに登りつめました。
感謝の気持ちを込めて、ジョン S スミス作曲、アメリカ国歌を演奏したように思います。カーター大統領が、ホロヴィッツを紹介しているスピーチがまた振るっています。大統領は、ホロヴィッツをNational Treasure と名付けました。
ホロヴィッツ、ホワイトハウスでアメリカ国家を演奏
(演奏は、5分15秒後に始まります。)
ホロヴィッツは、ピアノであらゆる心模様を表現できますから、このアメリカ国家も低音のきいたしっかりした音で誠に威厳に満ちた雰囲気を醸し出しています。それに先立つカーター大統領のあいさつも聞かせます。
何と、海軍士官学校の月給が、11ドルだったそうです。おそらく年齢的には、第二次世界大戦には参加できなかった世代でしょう。これは戦後間もなくの話だと類推します。当時、1ドル
は、360円何と4000円。今の価値にして、4~5万といったところでしょうか。
大統領は、ホロヴィッツやルービンシュタインのレコードに全部費やしたと述べています。
Horowitz
ショパン、シューマン、ラフマニノフの作品に。大統領は、心からホロヴィッツを敬愛し熱心なファンであることが読みとれます。
ホロヴッツをして大胆な表現のピアニストと称賛していました。私も、カーター元大統領とほぼ同じ気持ちです。
それでは、ジミ ヘンドリックスのアメリカ国歌の演奏を聴いてください。場所は、ウッドストックの会場です。
ジミ ヘンドリックス アメリカ国歌を演奏
おそらくウッドストック最終日、聴衆もまばらになりかけた会場に、ジミヘンの国歌が何か物悲しく流れていたのを忘れることができません。