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   このエピソードは、以前、このブログで取りあげました。 今回は、車折(くるまざき)神社と、京阪三条駅他のバス停の写真を導入した、新しいヴァージョンになります。

 

 

 

1969年、学生時代最後の夏休み、京都一人旅を試みました。世の中、一人旅が流行していたのと、高校時代、修学旅行でひときわ心に残ったのが、京都の街でした。 川端の伊豆の踊子のみたいな娘にも遭遇してみたいなという、いささか不純な動機もあったことは否定しません。

当時このような若者は、男女を問わず、100万人くらいは、いたはずですから。 その時、初めて、新幹線に乗りました。途中、
富士山浜名湖あたりの車窓は、今でも印象に残っています。京都駅で降りて、市電には乗らず、
清水寺三年坂円山公園南禅寺というルートを歩きました。

 

 

ガイドブックで京都の地図は、ほとんど頭の中に入れてあったので、徒歩でも、道に迷うことはありませんでした。さて、四条河原町のレストランで夕食をとっていると、突然、若いウエイターが、「君、学生でしょ、何処から?」と聞いて来ました。「埼玉ですけど」と私。「おれ、同志社の三回生、もし、宿まだだったらうちのアパートに来ない?」という提案に、ちょっとやばいかなとも思いましたが、結局乗ってしまいました。

バスで20分程、白川通りを北上し、
一乗寺前というバスストップで降りました。そこは、京都の北で、学院曼殊院というお寺があり、
宮本武蔵の決闘の場所として有名であることは知っていました。 その夜、アメリカからの若い女子大生もやって来て、 ボブ=デュランの話 で盛り上がり、楽しい思いをしました。

 

 

翌日、お世話になったアパートを出て、バス停に行くと、花柄のワンピースを着た顔立ちのはっきりした女性が、既にバスを待っていました。当時の私より、五歳ほど年長で、20代後半、ちょっと図々しいのですが、今でいう、森口瑤子さん似の人で


私は、思い切って「
金閣寺に行きたいのですが、どのバスに乗ったらいいか教えてもらえますか」 と彼女に尋ねると、「バスの中で教えてあげます。」という答。 バスの中では、幸運にも話は弾みました。というのもヴァイオリンケースを携帯していて、彼女が、プロのヴァイオリニストであることがわかり、私はと言えば、結構クラッシックファンで、かなりの作品は聴き込んでいました。

京都芸術大学を卒業、その後、自宅でヴァイオリン教室を開き、その日は、
嵐山近くの車折神社というところで、弦楽四重奏の練習とのことでした。「んな作曲家が、好きですか」 という私からの質問に、「
やっぱり、バッハかな」、「無伴奏ヴァイオリンソナタのフーガの楽章、ほんとにいいですよね。」と私。 

とうとう、彼女は「お昼、奢ってあげるわ。二時間ほどで練習終わるから、一時ころ、
車折神社のバス停で待っててもらえる?その間、嵐山を見物してもいい」と提案してくれました。私と言えば、天にも昇る気持ちで、金閣寺はどこへやら、話は、逆、伊豆の踊子のようになって渡月橋を渡っていました。

 

 

 

 

れから、、車折神社のバス停から、京阪三条まで戻り、ある一軒のお蕎麦屋さんに入って、約束通りおそばをご馳走になりました。その時、その味も、また、どのような話をしたのか、全く覚えていません。そして、再び、別れのバスストップ、京阪三条。わたしは、金閣寺行きのバスに乗っていました。

また、一乗寺まで彼女についていくことは、まったく、整合性がないのでさすがに、それは出来ません。そのヴァイオリニストは、バスの外から見送ってくれました。「
別れたくないと叫んで、
バスから降りたかったことは言うまでもありません。

今から考えると、
伊豆の踊子の薫が、下田港を出る船を、見送るシーン、あるいは、「旅情」 イタリア旅行で、仲良くなった男性と列車でのあのキャサリン=ヘップバー別離のシーンに匹敵する経験なのかなと思います。私の人生の中で、唯一の映画的シーンでした。

なのにあなたは、京都へ行くの?天地真理