こんばんは。
2012年7月29日。
「七夢」のライブが終わり、帰りの電車を下車したところで
この企画を進めていきました。
しかし車を停めていたのは、
JR常磐線ひたち野うしく駅近くの駐車場なのに、
肝心の牛久市のシンボルマークを撮り忘れたのであります。
牛久市はまた後日として、
この日の夜(実際には30日の未明)に行ったのは、
笠間市です。Wikipediaによると、
古くから日本三大稲荷に数えられる笠間稲荷神社の
門前町として、また笠間城の城下町として栄えてきた。
最近では笠間焼の生産地として知られ、
春や秋に行われる陶器市の時期には、多くの観光客で賑わう。
2006年3月19日に笠間市(旧制)、
旧西茨城郡(友部町、岩間町)の
1市2町が新設合併し、新制の笠間市として発足した。
新制では市庁舎は旧笠間市より人口の多い
旧友部町に本庁舎が置かれている。
産地である。
明治時代から「稲田石」の産地として知られ、稲田石によって
作られた主な建造物として最高裁判所や日本橋、三井本館、
第一生命館、原爆死没者慰霊碑などがある。
町として知られる。
草稿本を撰述したと伝えられていることから、「別格本山」として
浄土真宗立教開宗の聖地となっている。
結んだ直線上に位置している。
笠間藩の藩主をしていた。そのため赤穂四十七士の
高齢者には笠間出身者が多い。
その縁で赤穂市とは交流が続き、現在笠間市と赤穂市は
姉妹都市となっている。
現在でも笠間市には示現流の形が伝わっている。
「十三天狗の祠」などが残されている。また江戸時代には
国学者の平田篤胤が『仙境異聞』において「岩間の十三天狗」と
その首領である大天狗、杉山僧正について書き残している。
自生の南限地と考えられている
(高地も含めると南限地は広島県世羅町)
生息地帯は国の天然記念物に指定されている。
(旧笠間市、旧友部町は0296で旧岩間町は0299)
「上を向いて歩こう」や「明日があるさ」など
笠間市にゆかりのある坂本九の曲が使用されている。
という都市だそうです。
茨城県の県道52号線にて一枚撮りました。
ということで、笠間市終了。
ガルサが現在住んでいる水戸市です。
Wikipediaによると、
茨城県の中部に位置する都市。
同県の県庁所在地で特例市。人口約26万人。
水戸徳川家所縁の地として、水戸黄門(徳川光圀)や
梅の名園「偕楽園」で知られ、毎年2月には水戸の梅まつりが、
8月には水戸黄門まつり、9月には水戸萩まつりが開催される。
また明治時代以降は納豆の生産が盛んになり、
「水戸納豆」として親しまれ、納豆にちなんだ料理や
お土産の販売、納豆早食い世界大会も開かれている。
中心部を含む市域の大部分は旧茨城郡(1878年より東茨城郡)
であり、茨城県の名称は県庁が茨城郡水戸に
置かれたことに由来する。
市域の一部に旧那珂郡域を含む。
水戸都市圏(都市雇用圏)の人口は約66万人(2000年)。
前市長の加藤浩一は、隣接市町村との合併で政令指定都市を
目指し、市の広報などでその構想を発表している。
交通安全都市宣言・水戸市民憲章・核兵器廃絶平和都市宣言・
緑の都市宣言・男女共同参画都市宣言・生涯学習都市宣言を
採択している。
2005年、平成の大合併により内原町を編入した際、
内原町議会議員は合併特例法を適用せず、水戸市議会議員に
なれなかった。代わりに非常勤特別職の参与という
オブザーバー的な身分になったが、これは全国的にも極めて
珍しいケースである。参与の報酬は議員と変わらない。
なお、以前に常澄村を編入した際にも、同様の措置がとられている。
隣接する茨城町との合併協議会が2006年2月に設立され、
2007年12月の合併を目指していたが、
2007年の統一地方選挙において茨城町長に合併慎重派が当選。
合併基本合意の取り下げを水戸市に申し入れた。
2007年の統一地方選における市議会議員選挙では、
2005年2月に合併した旧内原町区域と旧水戸市域とに
選挙区分けを行った。これは県内市町村議選では初めてである。
水戸市の郵便番号は上3桁が「310」(「みと」と読める)である。
また、3月10日を「水戸の日」とするなど、
310の語呂合わせを使用した名称も多い。
「内原」の地名は、満蒙開拓青少年義勇軍の訓練所が
あったため、戦時中、全国的に知られた。
オセロ発祥の地として、
2006年(平成18年)第30回世界オセロ選手権大会開催。
「徳川光圀が日本で初めてラーメン・餃子を食した」と伝えられる。
ルーズソックスも水戸が発祥とされる。
こちらも真夜中に一枚撮りました。
水戸市も終了。
さて、残るは36市町村。
この企画はいつ終わるのでしょうか?
ではでは。



















