少し前に書いた韓国の演歌/トロットについての記事(散歩話 第688回 「韓国といえば演歌」)と関連した話です。





韓国MBNで『韓日/日韓歌王戦』という番組が放送されて人気になっていました(日本での配信はAbema TV)。

日本で開催された『トロット・ガールズ・ジャパン』での上位7名が韓国に渡り、韓国のトロット番組『現役歌王』の人気女性歌手たちと対決する日韓歌合戦番組です。
色々と韓国人の番組に対するコメントやステージで披露された楽曲についてのコメントを探して読んでいましたが、思っていた以上に韓国では日本の演歌や歌謡曲の需要があるのだと新たな発見。番組ではもっと日本側出場者に演歌を歌って欲しかったという意見もあり、本職の演歌歌手が韓国の音楽番組に出ればそれなりに人気を得ることができそうです。

歌詞の翻訳を読んで知った韓国人が「日本人にも感情があるんだ」なんて話をしているのは日本人として一見ギョッとするのだけど、日本人との交流が無い韓国人には「日本人は冷酷で感情が無い」という思い込みがあるからなのだろうな。日本人の側にも今の韓国にはK-POPしかないとか、韓国では日本語の歌は今も禁止されているとか、勝手な思い込みで語る人が少なくないのですから知識の偏りはどこにでもあるものです。
だからこそ、お互いに認識のギャップが歌によって埋まるのは悪い話ではない。
「日本人は冷酷で感情が無い」とイメージしている韓国人には昭和のフォークソング辺りも「発見」して欲しいところ。中国では吉田拓郎の音楽で日本人への解像度を上げる手法が「発見」されていますが、吉田拓郎は韓国の386世代と呼ばれた世代にも刺さるんじゃないかな。韓国でも人気のあるあいみょんをブリッジにして紹介すれば。

で、この番組で日本チームの妹キャラとして登場した住田愛子が「健康的でかわいい!」と韓国のおじさんおばさんの間でバズっています。

『韓日/日韓歌王戦』放送終了後もすぐに次の番組出演が決まるほどの人気でした。
……眺めていると、韓国にもおじさん構文おばさん構文があるんだな。日本の若手演歌歌手のコメント欄と同じ絵文字だらけの文章に日本語と韓国語の境が溶けていく。

『韓日/日韓歌王戦』を見ていたら住田愛子をチアリーダーと紹介していました。日本で書かれた記事には地方アイドルと書いてあるのも見かけましたが、彼女は正確にはアクターズスクール広島(略称:ASH)という広島にある芸能スクールの生徒です。チアリーダーや地方アイドルではなく、ASH生徒のステージ経験を積むための実習チーム〈SPL∞ASH〉メンバーであって、あくまでも芸能スクール受講生の一人でアイドルではありません。ここからどこかのグループに合格してアイドルと呼ばれるようになります。
日本のアイドルを「学芸会レベル」なんて言う人もいますが、これが本当の意味での学芸会レベルです。

その上で、『韓日/日韓歌王戦』に対するコメントでは「日本のアイドルは歌も踊りも下手だと思っていたけど、歌って踊れるタイプもいるんだ」なんて感想をよく見ます。特にHYBE社のお家騒動でK-POPアイドルの加工修正無しでの歌唱力の低さが韓国で問題視されたすぐ後でしたから。
でも現在の日本の女性アイドルの出身校としてASHは最大学閥の一つですよね。ASH出身の国民的アイドルならば〈Perfume〉の三人、国際的アイドルなら〈BABYMETAL〉のSU-METALこと中元すず香がすぐに思いつくはずです。
そして、「下手」の象徴として〈AKB48〉の名前が出されているのも見かけますが、48グループにもASH出身者は少なくありません。特に、広島を中心に瀬戸内エリアをフランチャイズとする〈STU48〉はASH生徒の受け入れ先として機能しており、STUの初代キャプテンこそ東京のAKBから派遣されましたが、二代目の今村美月と三代目の岡田あずみは両者ともASH出身で〈SPL∞ASH〉からのSTU入団なので、住田愛子にとっては直の先輩、三代目の副官ポジションの久留島優果はASH入学同期、岡村梨央は同世代の学内ライバルでした。さらにSTU歌唱担当の池田裕楽清水沙良もASH出身ですからSTUの三代目体制はASHのほぼ延長線上にあるチームです。(こっそり張ったリンクはしばらくしたら外します)
アイドルではない一受講生が韓国で「ウチの国のアイドルとは違って口パクせずに歌って踊れるなんてすごい」と評価されるのならば正規にアイドルしている彼女たちがもっと評価されていてもいいのに。

ついでに紹介しておくと、この世代のASH出身者の序列トップはSU-METALの後継者として〈METALVERSE〉を任されている戸高美湖になるのでしょう。

そして、テレビ地上波の人たちには〈櫻坂46〉の谷口愛季になるのかな。

ASH出身者でエリートとされるのは中学生くらいまでの間に「卒業」して東京の大手芸能事務所に入った層。戸高美湖も谷口愛季も13歳の時にASHを「卒業」し、それぞれアミューズ社とSMA(Sony Music Artist)社に所属しています。
そして、上京せず/できずに地元に残ったうちの上位層がSTUに入団、というのが日本のアイドル界隈におけるASH出身者の一般的なキャリア認識のはず。秋元康が岡田あずみらASHからのSTU同期入団組に書いた『楡の木陰の下で』の歌詞は、夢のために上京する彼女を見送る地元に残る者の視点から描かれます。
なので、韓国でいきなり評価された高校生の彼女は学内の優等生の一人ではあるものの特別にエリートというわけではありません。

『韓日/日韓歌王戦』に日本側主将として参加した福田未来も2018年に解散した〈THE HOOPERS〉のメンバーで彼女も元アイドルですが、韓国のトロット歌謡番組に出場した日本人への反響を観察していると、日本のアイドルが比較対象されるべきなのはK-POPアイドルではなくトロット歌手なのか、と新しい気付きを得ました。K-POPアイドルと日本のアイドルは音楽ジャンルが違うのですね。
例えば、ASHからハロプロに入団した〈Juice=Juice〉の段原瑠々(実姉がASH実習部門チーフスタッフ)と〈OCHA NORMA〉の広本瑠璃(STU48の清水、METALVERSEの戸高と同じ実習チーム出身)の二人で歌って踊る姿は韓国では「アイドル」ではなくトロット枠に見えるでしょう。ハロプロの〈アンジュルム〉から日本人K-POP枠に転向した笠原桃奈がリーダーとなった〈ME:I〉と比べると違いは明白です。
……K-POPアイドルと日本のアイドルを続けて見ると、日本のアイドルの身体的負荷の高さに対してのリターン(金銭的な話でなく大衆的な知名度とか評価という意味で)の低さに悲哀を感じます。〈ME:I〉の事例で言えば笠原桃奈だけでなく副リーダーの石井蘭もLDHグループの〈Girls²〉からの転向組ですが、それまでの活動では大衆的人気を得るためのメディアの門戸は閉ざされ無視されていたのに、所属チームをK-POP枠に替えるだけで、テレビの音楽番組に呼ばれ雑誌の表紙を飾れるようになり、「さすがのキャリアとスキル。ビジュもいい」と急に褒めて評価されるようになるのですから。


『韓日/日韓歌王戦』の韓国での反応を眺めつつ思ったのは、テレビ地上波に代表される日本の大衆向けメディアでK-POPアイドルではないがゆえに門戸が閉ざされている日本のアイドルたち…例えば、ハロプロや〈STU48〉から演歌ではない歌謡曲寄りの対トロット選抜を作って逆に韓国に送り込んだら意外と人気が出るんじゃない? と。
『韓日/日韓歌王戦』の平均視聴率は10%越えで韓国国内の音楽番組としては大ヒット。K-POPアイドル主体の音楽番組の韓国国内視聴率は1%に満たない0.何%程度であることを考えればはるかに大衆的です。
STUメンバーと48グループ内歌唱コンクールで競っていた元NMBの李始燕も韓国でK-POPアイドルではなく日本式のバンド・カルチャーを背景とするアイドルのスタイルを採る〈QWER〉のヴォーカルとしてK-POPアイドルに占拠された韓国国内各種音楽チャートで上位に食い込んでいます。
川の流れのように』に感動した韓国人が作詞が秋元康だと知って「え、あの(悪名高い)秋元康?」となっているのも面白いけど、もちろん目ざとい秋元康はすでに昭和歌謡曲チームも稼働させてもいますし、ハロプロを運営するアップフロント社も元々はフォークソング系で演歌歌手も扱う会社なのだからハロプロOGをプールしているM-lineを昭和歌謡チームとして送り込んでも良さそうに思えてきます。
ただし、その場合は、ハロプロ式歌唱は矯正する必要があるのと、元AKBの竹内美宥市川美織とは違うもっと大衆的なアプローチでと。



韓国から離れて米国や中国での話に移ると、
世界的に話題になった作品『SHOGUN』でヒロイン役を演じたのが澤井杏奈。日本では2018年12月まで〈FAKY〉として活動していました。

澤井杏奈のキャリアは12歳でのミュージカル『アニー』の子役から始まり、ついにハリウッドに到達しましたが、その間にあるのが〈FAKY〉のAnnaとして歌って踊る彼女の姿。
よく「K-POPアイドルのように日本のアイドルも英語が話せるようになるべきだ」なんて言う人もいますが、英語が話せて後にハリウッドに進出するような人材を擁しても、まず日本で大衆に知られるようになるのは容易ではない。また、「日本には幼稚じゃない大人なコンセプトのグループはないの?」なんて言う人もいますが、そういう人たちは存在を知ろうともしないのですよね。

今年24年1月をもって〈FAKY〉は力尽き解散。
澤井杏奈が世界的スターになろうとする『SHOGUN』放映期間の今年春、〈FAKY〉のエース格だったAkinaはタイで開催されていた中国WeTVで配信されるオーディション番組『創造営』シリーズにデビュー前の若手に交じって参加していました。しかも明らかにキャリアの長い彼女ゆえに、番組上「当て馬」として扱われているのは何というか…ここにも悲哀を。

『創造営』といえば、

中国における日本型アイドル出身者として、23年4月に解散した〈INTERSECTION〉メンバーで前回2022年の『創造営』に合格し〈INTO1〉メンバーとなって活動の場を中国に移した橋爪ミカ(中国語表記は米卡)と、まだ48グループだった時期の〈SNH48〉に入団しエースだった鞠婧祎のステージを。


私、「韓国のアイドルと比べて日本のアイドルは歌も踊りも下手だ」とは全く思わないんですよ。K-POPアイドルとはステージパフォーマンスのフォーマットが違うのであって、個々のスキルの優劣ではなく、加工修正含めて「完成された」K-POPアイドル(これは否定的な意図はありません。加工修正も含めた一つの作品として完成させているという意味です)と生の素材に近い形で出す(がゆえに「未完成」視される)日本の「ライヴ」なアイドルの見せ方/見え方が違うだけで。
その違いは、基本リップシンクで視覚効果優先のK-POPだけの話じゃなく、歌を聴かせるトロット番組としての『トロット・ガールズ・ジャパン』と『韓日/日韓歌王戦』でも日本と韓国それぞれにおける映像や音声の処理を同じ歌手の同じ歌で比較すれば分かりやすいはず。韓国では歌の不安定な部分は修正し、映像にもフィルターをかけて加工しています。
人には好みがありますし、別に「生」の「日本」を高評価して加工修正ありきの「韓国」を下げろと言いたいわけでもないんですよ。逆に日本、特にテレビ地上波はもう少し見映えを上手く整えてあげればいいのに、と私は思っていますから。
言いたいのは、そもそも上手だ下手だという以前に日本では多くの活動が知られず、評価の土俵にすら上がらせてもらえない状況がある、ということです。


金成玟の『日韓ポピュラー音楽史 歌謡曲からK-POPの時代まで』第9章より。
二〇一〇年代は、JーPOPの音楽的・社会的メカニズムが大きく変容した時代である。音楽評論家の柴那典が指摘しているように、テレビを中心に国民的ヒット曲を量産していた「ヒットの方程式」が成立しえなくなり、社会に対して音楽が保っていた従来の影響力も低下していった。そのなかで、JーPOPが世界の潮流とかけ離れ、孤立しているという「ガラパゴス論」が広がっていった。とはいえ、「ガラパゴス」そのものに関しては、賛否両論に分かれる。これまで日本の音楽界が生み出してきた独自のポップスに焦点を合わせれば、これも柴がいうように「相変わらず日本はガラパゴスで面白い」のも事実である。しかし、「アメリカとの同時代性」を保ちながら巨大な音楽市場を構築した一九七〇年~八〇年代と、その遺産を受け継いだ「JーPOP」がアジア市場に影響を与えた一九九〇~二〇〇〇年代の文脈のうえで考えると、二〇一〇年代のガラパゴス論は、「世界とつながっていない感覚」をめぐる不安と危機感の表れであるといえよう。
今の日本では「洋楽が聴かれなくなった」とよく言われます。これは音楽における「洋楽」だけでなく、「洋画」や翻訳書(洋書と言うと意味が変わっちゃうので)などでもそうですよね。"世界の潮流とかけ離れ、孤立している"感覚はJ-POPだけでなく文化的にも社会的にもあるはずです。

過去には「世界第二の経済大国」と呼ばれた「日本」の没落が誰の目にも明らかになった2010年代、それまでの日本のビジネスモデルは変化せざるを得ない状況になります。しかし、その危機感の向かう先は、外に開く改革ではなく、内向きに作用したわけです。
二〇一〇年代の「日本ゴールドディスク大賞」の受賞リストからは、「アイドルの時代」にもかかわらず、アイドル間の激しい競争や音楽業界の権力闘争、世界の音楽的トレンドの接点など、アメリカや韓国の音楽界から伝わるダイナミズムを読み取ることはほぼ不可能である。その意味で二〇一〇年代後半アーティスト別売上トップ10のリストは、不安と危機感の表れとしてガラパゴス論を強化させるものであるといえよう。
2010年代という時代を考えるに、日本ゴールドディスク大賞の受賞者は象徴的です。2010年と11年は二年続けて〈嵐〉、12年13年14年は三年続けて〈AKB48〉、15年16年17年は三年続けて〈嵐〉、18年と19年は引退を発表した安室奈美恵、20年と21年は活動休止を発表した〈嵐〉と、ほぼ十年の間〈嵐〉で受賞リストは占拠されているのですね。ついでに書いておくと、22年23年24年は〈Snow Man〉で旧ジャニーズ勢がそのままスライドしています。
オリコンリサーチに基づくアーティスト別売上も、(全部を書くのは長くなるので)トップ3で並べると2015年は〈嵐〉・〈AKB48〉・〈三代目 J Soul Brothers〉、16年は〈嵐〉・〈SMAP〉・〈AKB48〉、17年は〈嵐〉・安室奈美恵・〈乃木坂46〉、18年は安室奈美恵・〈乃木坂46〉・〈AKB48〉、19年は〈嵐〉・〈乃木坂46〉・〈King & Prince〉。
イレギュラーな引退特需の安室奈美恵を除けばジャニーズと秋元康プロデュースのAKBと乃木坂で売上上位はほぼ寡占状態にありました。

新しいものを受け容れて冒険するよりは、内向きにこれまでを前例踏襲し、内部の利害調整が全てに優先するガラパゴス的面白さというよりは「官僚主義」的で「大企業病」罹患の象徴がジャニーズと秋元康プロデュースのアイドルによるチャートの寡占状況だった、と言ってしまっても反発する人はそうはいないと思います。
そして、でありながら、肯定的であろうと否定的であろうと、ジャニーズと秋元康プロデュースのアイドルしか知ろうとしない大衆の側もまた、その構造に加担してきたとも言えます。
嵐やAKB/乃木坂といった「個」の問題ではなく構造の問題です。

この状態が止まるのは2020年代に入ってから。
オリコンのアーティスト別売上は20年も1位は〈嵐〉でしたが2位に〈BTS〉が入り、21年と22年にはついに〈BTS〉が1位となりました。
K-POPという「外圧」によって日本の構造改革を期待する層が現われるのも妥当と言えば妥当です。
TWICEに憧れた日本の若者たちが次つぎとソウルに渡っていく二〇一〇年代後半の動きは、BTSが開いたアメリカ音楽市場への欲望とあいまって、さらに活発化する。
~(中略)~
ビルボードのみならず世界一〇〇以上の国と地域の音楽チャートと連動するKーPOPの影響力は、グルーバルな音楽産業の構造にも変化を与えている。二〇二一年、BTSの所属事務所HYBE(旧BigHit)が、ジャスティン・ビーバーらが所属するメディア企業イサカ・ホールディングスを一〇億五〇〇〇万米ドルで買収したのはその一例である。韓国のエンターテインメント企業による史上初の海外M&Aと言われるこうした出来事においてみられるのは、K-POP企業のアメリカ進出だけではない。HYBEが試みているのは、むしろこうした産業的連携を通じて、自分たちが構築した「プラットフォーム」にアメリカのアーティストたちを吸収し、K-POPを中心としたグローバル化を展開させることのようにみえる。
〈BTS〉の世界的成功を梃子にBigHit社は次々と他社を買収し、単なる一芸能事務所の枠を越えた総合プラットフォーム企業を目指してHYBE社へと進化。
こうしたK-POPのダイナミックな動きを見てしまえば、若者じゃなくても日本での動きはどうしたって鈍く見えます。
2010年代後半、男性ならジャニーズ、女性なら坂道に入らなければ閉じた門戸で排除され、たとえジャニーズと坂道に入れたとしても内向きな活動ばかりで硬直化した日本ではなく、日本人メンバー三人を抱える〈TWICE〉の成功に憧れ韓国に渡るアイドル志望者が拡大したのも当然です。閉じた日本を出て、K-POPというプラットフォームを使って「グローバルな」存在になろう、と。
日韓の文脈のなかで考えるならば、二〇世紀を通して東アジアのプラットフォームの機能を果たしてきたのは、いうまでもなく日本であった。日本が東アジアに及ぼしてきた音楽的・産業的影響力は、東アジアにおける日本の音楽の受容・融合の側面だけでなく、日本における東アジア音楽の受容・融合の側面と照らし合わせることで、その全体像がみえてくる。一九七〇年代以降の、韓国の音楽(家)が次つぎと「日本進出」を図りつづけた過程も、「プラットフォームとしての日本」に向けられた欲望抜きでは把握しきれない。
二〇一〇年代を通して起こったのは、まさにプラットフォームの「移行」である。
~(中略)~
日本のK-POP市場の拡大と同時に進行した、プラットフォームとしてのK-POPの影響力の拡大である。
二〇一〇年代後半に日本のメディアが投げかけた「史上最悪の日韓関係にもかかわらず、なぜK-POPは日本で受容されつづけるのか」という問いに対しても、「プラットフォームが移動したから」と答えることができるであろう。つまり、二〇一〇年代の日本におけるK-POPの受容は、単なる消費ではなく、むしろK-POPというプラットフォームへの参加であったのである。
東アジアにおける文化的プラットフォームは日本から韓国へ移ったのです。
この前提に立った上で現在の日本を認識すれば、聴かれなくなった洋楽の代わりにK-POPが扱われ、洋画の代わりに韓国ドラマ、本屋に行けば韓国の翻訳エッセイや小説が並びます。若い子たちが電車のなかでスマホで読んでいるのも日本の漫画ではなく韓国のWebtoonなのもよく見かけます。テレビ地上波や雑誌も「韓国で流行している〇〇は」みたいな特集をよくやっていますよね。
もう好き嫌いの問題ではありません。
だからといって「日本にあったプラットフォームが韓国に奪われた」と逆恨みするのもスジ違いです。日本人は内向きになることで東アジアのプラットフォームであることを維持するよりも放棄することを自ら選んだのですから。


リンクしてあるのはXGの『WOKE UP』。

『日韓ポピュラー音楽史』の最終章の最後部分で扱われているのはこの〈XG〉。
その欲望を体現しているのは、二〇二二年にデビューした七人組ガールズグループXGである。メンバー全員が日本人で構成されながらも、歌とラップはすべて英語であり、ヒップホップを前面に出したパフォーマンスで目指す「グローバル進出」は、トレーニングとデビュー、活動の拠点を韓国にしていることからも明らかである。
メンバー全員が日本人で日本のavex社傘下で結成された〈XG〉はK-POPのプラットフォームを利用して"グローバル進出"を目指し、実際、それなりの存在感を持つようになっています。
〈FAKY〉にしても〈INTERSECTION〉にしても数々のavexの自社プロジェクトは失敗ばかりですが、〈XG〉はK-POPプラットフォームに乗っかることでついに成功事例に到達しました。
また、同様に、自社プロジェクトを連続で失敗しK-POPプラットフォームに乗ることで成功事例となった吉本興業が韓国CJENMと共同運営する〈JO1〉らの存在もあります。
「KーPOPかJーPOPか」もしくは「KーPOPvsJーPOP」のような二項対立的構図だけで捉えると、あまりに多くのことを見逃してしまう。XGの所属先が日本のエイベックス傘下のXGALX(エックスギャラックス)であることは、日韓の相互作用と融合の歴史を想起させる。
2020年代という時代におけるK-POPは、HYBE社が主導権を握るものと思われていました。ところがHYBE傘下のレーベル間は内戦状態。
K-POPプラットフォーム上にありながら韓国国内の権力闘争とは無関係な〈XG〉の存在感が目立ち始めたのが面白いところ。
K-POPアイドルと日本のアイドルの融合という話に注目しつつ、この〈XG〉の新曲『WOKE UP』MVを見ると、avexとレーベル契約していた第一期〈BiS〉以来のWACKグループのアートワークを桁違いの予算規模でブラッシュアップした印象を持ちます。
また、HYBE社の内戦で〈New Jeans〉と〈ILLIT〉が潰し合いをしている隙を衝いて浮上してきた〈tripleS〉の新曲『Girls Never Die』MVは〈欅坂46〉/〈櫻坂46〉だよな。日本でのレーベルはSony Musicだし。
……と同時に、今現在も収まっていない閔熙珍ミンヒジン の暴露に始まるHYBE社のお家騒動は、本来は機密で表に出すべきではないK-POPビジネスの絡繰りの暴露合戦になっていて興味深い。「外圧」を期待して過剰にK-POPを理想化してきた人たちには面白くないでしょうが。