プーチン体制を擁護する人びとは「じゃあアメリカはどうなんだ」と言います。
私個人としては、若い頃にラテンアメリカ世界で過ごした経験を持っているので世間一般の「普通の日本人」よりは「アメリカ帝国主義」を知っているとは思っています。


Residenteの『This is Not America』で描かれているのが私の知る「アメリカ」。
この曲の歌詞のなかに
América no es solo U.S.A., papá
Esto es desde Tierra del Fuego hasta Canadá
Hay que ser bien bruto, bien hueco
Es como decir que África es solo Marrueco'
とあります。
「アメリカってのはU.S.Aのことだけを言うんじゃないよ、パパ。(アメリカ大陸最南端の)フエゴ島からカナダまでの大陸のことを言うんだよ。(U.S.A.のことだけをアメリカと呼ぶのは)雑で乱暴だし頭が空っぽすぎる。アフリカはモロッコだけと言っているようなもんなんだよ」。
私がUnited States of Americaを「アメリカ」と書かずに日本語としての「米国(べいこく)」で表記しているのはこれが理由です。
Residenteことプエルトリコ出身のRené Pérez Joglarのバンド〈Calle 13〉では『Latinoamérica』を歌っていますが、私が親しみを持つ「アメリカ」はこうした世界です。
『This is Not America』は、Childish Gambinoがトランプ政権下で発表した『This Is America』へのアンサーソングですが、Residenteの『This is Not America』MVで明確に登場する「ネオファシスト」はブラジル大統領のジャイール・ボルソナーロ。

ティモシー・スナイダーのファシスト論を定義が乱暴だと批判する人もいます。例えば、ジョージ・ワシントン大学ヨーロッパ・ロシア・ユーラシア研究所所長Marlène Laruelleは2021年発表の『Is Russia Fascist? Unraveling Propaganda East and West(日本語版『 ファシズムとロシア』)』のなかでスナイダーに対し名指しで反論。プーチン体制には反リベラル以外に一貫したイデオロギーは無くファシズムではなく名付けたいならプーチニズムとでも呼ぶべきだとし、スナイダーが言うような"ポピュリスト、ファシスト、ネオナチといった勢力の長"というよりは、プーチンは世界の極右勢力と反リベラル同盟を結んでいるのであって、ファシストというラベリングはロシアをヨーロッパに包摂するのではなくより離反させる結果を生む、とします。


ただ、22年2月に始まるウクライナへの全面侵攻「プーチンの戦争」により細かい話は全て吹っ飛んでしまった。

「プーチンの戦争」を擁護する人は「2022年以前からのウクライナとロシアの間の経緯から見るべきだ」と言います。私のこのブログでも22年2月の開戦以前に発表された文章を紹介することで経緯を説明していますが、「以前」を見てもどこにも擁護できる点は無いな。

ティモシー・スナイダーの2018年10月に行われたインタビュー「テクノロジーとロシアとファシズムの問題」より。
――そのロシアですが、以前ロシアを「マフィア国家」だと言っておられましたが、ロシアはどういう観点から見てマフィア国家なのでしょうか。

スナイダー 多くの人がそのフレーズを使ってきていますが、私自身はどちらかというと「オリガーキ―(財閥による寡頭制)」というフレーズを使いたい。そのほうがギリシャ時代にさかのぼる歴史的な意味合いが含まれますから。古代の民主主義の議論では、オリガーキ―というのは民主主義がうまく機能しなくなると台頭してきます。アリストテレスは、民主主義のリスクの一つとして、金持ちがそうでない階級を欺くために民主主義を使うこともあると言っていますが、現在にもそっくりそのまま当てはまりますね。
ロシアの特徴は、富が限られた人々に集中していて動かないという点にあります。そのために、ロシアには従来の意味での「法の支配」というものがありません。そのことをもって「マフィア国家」と表現するのであれば、そのとおりです。「法」が機能しないことと、社会的な流動性がないことが、ロシアの大きな特徴になります。
この場合、権力を握っている人々は、このやり方が唯一の方法なのだと市民を説得することでのみ、自分たちがサバイブしていくことができる。
~(中略)~
ロシアのような国家は、他の選択肢はないと主張するわけです。力のある者が統治し、富める者が統治する。他のどこの国でもこれが自然の成り行きというものなのだから、現状に満足しなさいと説得するわけです。
「マフィア国家」という言葉が日本で広く知られるようになったのは、メキシコでの情景を描いた工藤律子の『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』ですよね。
特権階級化した上流層と、犯罪組織が結びついて「法の支配」が機能しなくなった国を「マフィア国家」なんて呼ぶわけですが、スナイダーは2018年の時点ではロシアはマフィア国家というよりはオリガークによる寡頭制だと認識しています。
2000年に大統領に就任したプーチンを支持した人びとは、冷戦終結とソ連崩壊から続く社会の混乱を彼の強権によりコントロールしてほしいと望んだのです。しかし、社会の混乱をコントロールするために「法」を逸脱した権力の行使を許してしまった結果、プーチンを「僭主(Tyrant)」としてしまう。
そして"このやり方が唯一の方法なのだ"からスローガンは「この道しかない」。私たち日本人にもよく使われる手法です。
――さらにリーダーは常に自分に対する「忠誠」を要求しますよね。

スナイダー まったくそのとおりです。「忠誠」の要求はトランプ氏とプーチン氏の大きな特徴でもあります。大事なのは「ルール(法)」ではなく個人的な忠誠であると。その点では確かにマフィアですが、一歩下がって見てみると、彼らのやり方は「前近代的」だという見方もできます。国家ができる以前の状態ですね。
国家ができる前は、一族というものがあった。一族の中では、特定個人に忠誠を誓うことが大事だったし、忠誠を誓った人たちには、さまざまな報酬が配られた。プーチン氏やトランプ氏には、こういうモデルが最もしっくりくるんですね。
「法の支配」を逸脱した権力行使を認めてしまえば、権力者への距離でルールが歪む「縁故主義(Nepotism)」の横行により近代国家が築き上げてきたシステムは崩壊し、前近代社会へと退行していくわけです。
ネオファシスト的政治家周辺が犯罪者だらけなのは、こうした恩恵にあずかろうと怪しい連中が集まってくるし、政治家の側でも脛に疵持つ連中のほうが恩恵と庇護を与えてインナーサークルに取り込み汚れ仕事を任せられる。こうして国家はマフィア化していくし、もしくは、スナイダーの言に従うならば、古代ローマにおけるパトロキニウムやクリエンテラと呼ばれる関係で理解するほうが"歴史的な意味合いが含まれ"て"古代の民主主義の議論"から連結できます。

ここ数年「新しい封建主義」なんて言葉も使われていましたが、ウクライナ侵攻の失敗によりロシアの思想家アレクサンドル・ドゥーギンはプーチン体制に対し「ジェームズ・フレイザーが記した雨乞いに失敗した王の運命を思い出せ」と語り出しています。
ドゥーギンの言葉について少し『図説 金枝篇』から説明してみましょうか。
祭司の機能と王の権威が結びつくことは誰もがよく知っている。
~(中略)~
だが、古代の王は祭司を兼ねているというのがふつうだったといっただけでは、その職務の宗教的側面を完全に説明したことにはならない。当時、王を束縛する神格は、ただの名目的なものではなく、真剣な信仰の表れであった。王は、多くの場合、単に祭司、すなわち人間と神の仲立ちをする者としてではなく、みずからが神として崇められていた。
~(中略)~
たとえば、王には耕作の季節に応じて雨を降らしたり太陽を照らしたり、穀物を生育させる力を期待することが多い。おかしな期待をするものだとわれわれには思えるが、古代のものの考えかたとしてはごくあたりまえの期待である。文明人はふつう自然と超自然に一線を画することができるが、未開人にはその境界がはっきり区別できていない。
「Qアノン」陰謀論を「現代の神話」として文化人類学的にアプローチすべきだ、なんて考えもありますが、ルースキー・ミール(ロシア世界)の「神学者」的存在の一人でもあるドゥーギンがプーチンに対し「雨の王」の喩えを使ったことで、どのような思考がロシアにおけるプーチン体制支持者にあるのかがあからさまになります。
また、古代人にとっての農作物の出来/不出来を、景気/不景気と表記すれば現代もその"未開人"の心性とそう変わるところはないとも分かるはずです。
不安な時代に大衆が未開の野蛮人へと先祖返りするのを、いじましく可憐ととるか退化ととるのかで印象も変わるのでしょうが。
王は人々のためになるように自然の運行を調整するのを期待され、その期待に沿えないと罰を与えられるという例は、ほかにも世界各地にみられた。スキタイ人は、食べ物が乏しくなると、王を幽閉する習わしだった。古代エジプトでは、作物の不作は聖なる王の責任だが、自然の運行を調整できなかったのは聖なる獣のせいだとした。厳しい旱魃が長く続いたために疫病その他の災厄に見舞われると、祭司が夜に聖なる獣を捕らえて、脅した。それでも災厄がおさまらないと、殺してしまった。南太平洋のニウエ(サページ)島と呼ばれる珊瑚島は、かつてある王族が代々治めていた。だが、王は大祭司でもあり、作物を生育させる力があると思われていたので、飢饉になると、人々は王を殺してしまった。こうして飢饉になるたびに王が殺されると、しまいには誰も王になろうとしなくなり、王朝は没落してしまった。
~(中略)~
ドマルデ王の治下のスウェーデンでは、何年も続く大飢饉に見舞われた時、動物の血を捧げても人間の血を捧げてもその大飢饉を食い止めることができなかった。そこで、ウプサラで大集会が開かれ、この飢饉の原因はドマルデ王自身にあるので、豊作を願うには王をいけにえにしなければならないと決定が下された。そして、王を殺し、その血を神々の祭壇に塗ったのである。スウェーデン人は不作を王のせいにするだけでなく、豊作も王のおかげだと考えていたそうだ。また、ノルウェーのオラフ王の治世には、厳しい状況や飢饉になると、人々は王がいけにえを惜しんだせいだと考えた。そこで、軍隊を動員して王に叛旗をひるがえし、王宮を包囲して火を放ち、王を焼き殺して「豊作を願ういけにえとして万物の王オーディンに捧げた」。
ドゥーギンは反響の大きさに驚き「雨の王」発言を撤回したようですが、すでに発されたこの「呪詛」はドゥーギンの意思を離れて力を持つだろうな、なんて私は思います。人びとの信仰に応えられない王は偽王として殺される。それが"未開人"のルールです。発言を撤回してもドゥーギンには自らのを人身御供に捧げてしまった、と目されるためその言葉の持つ呪力は高いはず。

ここでまた一曲、紹介しておきます。

Max Korzhの『Это наш путь(これが俺たちのやり方)』。
マックス・コルシュはベラルーシ出身のロシア語圏で人気のあるミュージシャン。ロシアによるウクライナ侵攻に対し「『Свой дом(自分の家)』を守るウクライナ人は正しい」と歌い、この曲では「戦争に行くかどうかは俺たちで決める。だから俺たちは自ら家を出た」と森のなかで歌います。これもロシア語文化圏におけるコサック神話ですよね。悪政から逃れて荒野へ自由を求めた人びと、という。


これまでは意図的に、まだ世界的大騒ぎにはなっていなかった2022年2月のロシア軍のウクライナ全面侵攻以前に発表された文章を使ってきましたが、全面侵攻以後に発表された文章も使ってみましょう。

『ウクライナ危機後の世界』に収録されたスナイダーへのインタビュー「"プーチンの戦争"の本質は「永遠の政治」と「帝国主義」」より。
私は、アメリカやヨーロッパで営まれる政治体制について、それを「必然性の政治」と呼んでいます。アメリカの資本主義者は、「自然が市場を、市場が民主主義を、民主主義が幸福をもたらした」と考えるでしょう。またヨーロッパの人々なら、「歴史が国民を生み出し、国民が戦争の経験から平和を学び、その教訓から統合と繁栄を選んだ」と述べるかもしれません。
いずれにせよ、欧米の政治体制においては、歴史が進展することは進歩することであり、それが必然であると考えます。欧米圏で発達してきた民主主義体制はその最たるものです。私たち一人ひとりは過ちを免れない存在ですが、選挙を通じて、過去の政権の過ちは正すことができます。公平で自由な選挙が実施されるということは、その次の選挙が行われることを約束することでもあるのです。過ちは繰り返されるかもしれませんが、それを将来への信頼へと変えてくれるのが、民主主義における選挙なのです。
こうして民主主義の世界では、国家は指導者よりも長く存在します。そのような仕組みを継承原理と呼びますが、これが適切に働いていれば、歴史は連綿と続いていくのです。それが欧米の民主主義国に見られる「必然性の歴史」です。
民主主義というものは間違えるものです。しかし、"過ちを免れない存在ですが、選挙を通じて、過去の政権の過ちは正"しながら漸進的に進歩していくのが民主主義という思想です。これをまどろっこしいと斧で叩き割りたくなると左右を問わずファッショに傾いて独裁者の登場を呼び込んでしまうし、逆に言えば、政権の過ちを選挙による政権交代で正せない国に民主主義があるとは思われないわけです。どこの独裁政権にも選挙そのものはあるけれど、選挙があるというのなら北朝鮮にだってあります。だけど誰も朝鮮民主主義人民共和国が民主主義国家であるとは思わないでしょ。
1991年にソ連が崩壊するまでは、共産主義体制においても独自の「必然性の政治」があったと私は思います。それは「自然が科学技術の発展を促し、科学技術が社会変革を可能にし、社会変革が革命となり、革命が共産主義というユートピアを実現する」という発展の歴史です。
……こうした百年前の共産主義者の未来語りとテック起業家やエンジニアの「AIやビッグデータはじめとする科学技術の発展で社会は変革されユートピアが訪れる」という語りはそっくりだとは思いませんか。
「デジタル・レーニン主義(Digital Leninism)」なんて言葉もありますが、新型コロナ・ウイルスのパンデミック以後、テック起業家周辺の人びとから中国共産党の統治を評価する声が溢れたのも両者の思考の相似性を証明しているように私は思います。

話を戻し、
ところがソ連の崩壊以降、
~(中略)~
ロシアでは、必然性の政治はもはや存在せず、別の歴史の捉え方がされるようになりました。私はそれを「永遠の政治」と呼んでいます。
「必然性の政治」が国民によりよい未来を約束するのに対して、「永遠の政治」において、常に体制は受難のうちにあり、外部から脅かされる脆弱な存在です。そのような国家の政府に求められるのは、社会全体を発展させるのではなく、ただ外部の脅威から国民を守ることだけだと、「永遠の政治」を行う政治家たちは考えます。
「永遠の政治」を標榜するロシアでは、プーチンが大統領に就任してから、選挙では何も変わりませんでした。ロシア憲法によれば、3期目の大統領職に立候補ができないプーチン大統領は、後継者にドミトリー・メドヴェージェフを選び、自分は首相になりました。そしてメドヴェージェフ政権下で大統領任期を4年から6年へと延長するよう、憲法を改正させたのです。
その結果、プーチン大統領は2012年、2018年と大統領選に立候補できるようになり、合わせて20年ものプーチン大統領の独裁体制が続くことになりました。まさにそれは、政治において「永遠」を確立する行いだったのです。
1991年にソビエト連邦は崩壊。ロシア連邦となり93年に新憲法を制定し大統領の任期は四年で最長は二期八年とされました。しかし、2000年に大統領となったプーチンは任期切れの2008年に、一時、首相となって大統領任期を六年に延長。2012年に二期十二年任期の大統領となり、2020年には再び憲法を改定し大統領就任時に任期はその都度リセットされて数え直しされることとなり"永遠"に任期を延ばせるように。

そうした独裁を正当化する際に使われるロジックとして、"常に体制は受難のうちにあり、外部から脅かされる脆弱な存在"であり、"外部の脅威から国民を守る"ために強い指導者の下に一つに結束(ファッショ)すべきであり、そしてファッショに異論を唱えるような者(リベラル)は外部勢力のまわし者だ、と言うわけです。日本人の私たちにもお馴染みのロジックですよね。米国においてもトランプは反ファシズムをテロリスト指定してやるとまで言っていました。反ファシズムを敵視するのは自身をファシストと認めているに等しいのに。
プーチン大統領の政治を語る際に、彼がその思想の基礎としている人物として、ファシスト哲学者イヴァン・イリインの存在に触れておくことは、今回のウクライナ侵攻を考えるうえでも重要でしょう。
1883年に貴族の家に生まれたイリインは、1917年のボリシェヴィキ革命後には反革命主義の立場をとったため、ソビエト連邦が発足する前に祖国を追われ、ヨーロッパに政治亡命した人物です。亡命先でイリインはやがてくるソ連崩壊後のロシアの指導者の手引きとするために著作をまとめ、1954年にスイスで亡くなりました。実際に1991年にソ連が解体した後のロシアにおいて、イリインの著書『我らの仕事』は広く読まれました。プーチン大統領はイリインの思想に出会い「自分にとっての権威はイリインだ」とも述べています。

イヴァン・イリインはロシア皇帝アレクサンドル3世を曾祖父にもつ貴族の子として生まれ、ロシア革命後にドイツに亡命。ここでロシアにおけるファシズムを確立すべく思索します。
その後、スイスに再亡命し、この地で1954年に亡くなりますが、彼がロシアに戻ったのは2009年。プーチンはモスクワにイリインを改葬し、ロシアにおける偉大な思想家として彼の文章は扱われるようになりました。
赤軍によるボリシェヴィキ革命を否定したイリインは、ボリシェヴィズムから祖国を守ることを目的とし、それはファシズムによってのみ可能になると考えていました。彼の眼には、ナチ党のアドルフ・ヒトラーはボリシェヴィズムから文明を守る者と映っていたのです。
イリインは、ボリシェヴィキが掲げる革命によって段階的に社会派進歩していくとする共産主義を、退廃的なヨーロッパから押しつけられたものとみなします。彼にとってロシアとは、「無垢」で常に外部から脅威に晒されているものでした。「自由」や「平等」というのは退廃したヨーロッパ的な価値観であり、ロシアはその退廃的な価値観に侵されていない「純粋さ」があると考えたのです。
そのようなロシアの純粋性こそ、世界を救済するものであり、またその純粋さのために、常に脅威に晒されている無垢なロシアは「救世主」を必要とするとイリインは定義づけます。彼が考案した政治制度は、救世主の人格を一つの制度とみなしました。つまり、救世主は主権者であり、国家元首であり、独裁者であるべきで、行政・立法・司法のすべての権限を手中に収め、軍の最高司令官であるべきなのです。
イリインにとっては、一党独裁すら不十分です。彼は、ロシアは一人の独裁者という名の救世主によって救われるべきで、党のない国家になることを理想としました。政党はあくまでも、選挙を儀式化し、独裁者に正当性を与えるためのみに存在していました。民主主義の基本となる法の支配は、独裁者によって救済されるべきでロシアには不必要です。そして、常に無垢で純粋なままのロシアでは、社会的な進歩など考えようもありません。
と、まあ、聞かされても、どこの国の、左右どちらからのファシストも同じようなことを言う平凡な独裁ロジックではあるのですが、言っている本人たちは「我が国固有の」と思っているのでしょうね。例えば、ロシアを日本に入れ替えて「日本は無垢で常に外部から脅威に晒されている。自由や平等というのは退廃したヨーロッパ的な価値観であり、日本にはその退廃的な価値観に侵されていない純粋さがある」とすれば日本の極右のロジックとして通用するでしょ。


リンクしてあるのは、LIGALIZEの『ЗАСТОЙ 2.0(停滞期2.0)』

LIGALIZEことAndrey Vladimirovich Menshikovは1977年生まれのモスクワ出身。『ЗАСТОЙ 2.0』MVは2017年発表ですが、21年発表のプーチン体制に追い詰められていく人びとを歌った『Я такой же как ты(俺もあんたたちと同じだ)』MVと合わせて見てください。
憲法の恣意的な改定を突破口に、民主主義が一度壊されてしまえば再び取り戻すのはかなり困難になるものです。