―― 「地下アイドルとは何か」(1) ――


前回のアイドルの話で、〈AKB48〉グループの新エースとして矢作萌夏(2002年生まれ)を紹介しましたが、それから一カ月ほどでもう矢作は退団を表明。
世代交代の早い業界には「ドッグイヤー」なんて言葉がありますが、飼い犬ではなく野生動物のよう。
彼女が退団を決めたのは目立つポジションになったことで消費し尽くされたこともあるかもしれません。今の日本は全く「サステナブル」ではないな、なんて思います。
人材だって無限ではなく有限なのに、消費モンスターのゾンビどもは喰い尽くすことしかしない。それでどうやって持続可能な社会を維持しようというのだろう?
AKB48グループの歌唱部門で序列1位にもなった彼女を退団に追い込んだ次はダンス部門で1位を争うであろうメンバーたちが嫌がらせの対象になっています。

そういう思いはプロデューサーたちにも共通しているのだろうな、と前回はAKB48の『サステナブル』と〈BiS〉の『どうやらゾンビのおでまし』を紹介しました。

「赤旗を振るアイドル」が数年前から増えてきて興味深く観察していますが、そりゃこれだけ消費モンスターに支配された世の中じゃ、こうしたトレンドが、地上地下問わずあるのも理解できますよね。




リンクしてあるのは、〈ゆるめるモ!〉の『WOW WOW WAR ~スカ・チャンポン斉唱戦線~』と〈爆裂女子-BURST GIRL-〉の『超革命』。
ゆるめるモ!も地下アイドル界のカリスマの一人であるあのが9月いっぱいで退団。
爆裂女子も9月に前身の〈偶想Drop〉以来のメンバーが抜け、新体制でスタートしています。
ゆるめるモ!のプロデューサーである田家大知は1974年生まれ。爆裂女子はメンバーによるセルフ・プロデュースですが、映像を担当している長棟航平は1988年生まれ。
……「あのちゃん」に群がっていた消費モンスターたちは次のターゲットとして〈BiSH〉のアユニ・Dに群がり始めている印象がここ一カ月ほどであります。


アイドルについて語る時に、「地上」「地下」という言葉を普通に使っていますが、その概念についての話をしていなかったような気がするので、今回は姫乃たま(93年生)の著書『職業としての地下アイドル』から紹介していきます。

ゼロ年代から地下アイドルとして活動していると、しばしば、「昔は、アイドルはなるものじゃなくて、ならされるものだった」という話を耳にすることがあります。アイドルとは自称するものではなく、周りからアイドルであると認められて初めてなれる存在だったということです。
そのため、70、80年代をアイドルに熱中して過ごした人の目に、女の子たちがアイドルを自称している現在のアイドルシーンは、不可解に映っていることと思います。
70、80年代にかけては、『スター誕生!』(日本テレビ系列)という視聴者参加型のオーディション番組が人気を博し、その番組から多くのアイドルが輩出されていきました。
ピンク・レディーや中森明菜、小泉今日子、桜田淳子、山口百恵などが出身アイドルです。
当時はスターを夢見て歌手活動をしている人が、大衆からの人気を得ることで、アイドルと呼ばれるようになっていったのです。
いまのように、自分で自分をアイドルだと言えるような環境はありませんでした。また、彼女たちに憧れた人が、アイドルになりたいと思っても、オーディションを受けたり、事務所に所属したりしなければならず、それは狭き門だったと思われます。
16歳の2009年に「地下アイドル」姫乃たまとして活動を開始した彼女は80年代までの昭和後期のアイドルをリアルタイムでは知らない世代。
70、80年代の昭和の「アイドル」は他者から個人に冠されるものであり、アイドルを自称する芸能ジャンル上における「職業としてのアイドル」とは異なる言葉の概念に現在は変化していて、ここを知っておかないと同じ「アイドル」という言葉を使っていても意思が疎通できないのですね。
現在の地下アイドルのように、インディーズでアイドル活動をする女の子たちは、90年代の初頭にひっそりと現われました。テレビの歌番組が減少したことで「アイドル冬の時代」が訪れ、従来のアイドル活動の場が失われた時、女の子たちはライブハウスに立つことを選んだのです。
アルテミスプロモーションに所属していた水野あおいや、森下純菜、鈴木まりえたちがその先駆者で、彼女たちはアイドルの卵という期待の意味を込めて、「プレアイドル」と呼ばれていました。
現代の日本におけるアイドルという音楽ジャンルの始まりは1971年に『17歳』でデビューした南沙織(54年生)とされます。そして88年を頂点にピークアウトし、92年に「アイドル冬の時代」が始まる、というのが一般的な認識なので、昭和アイドルたちの全盛期は「政治の季節」が終わった後の、消費生活を謳歌した日本経済のバブル期とほぼ同じ曲線を描きました。

「地上」とは単純に言うと、テレビの「地上波」放送に出演できること。それも深夜帯ではなく全国ネットの音楽番組やバラエティ番組に出演し、ニュース・ショーの芸能枠で扱われるのが「地上」です。そして、テレビという「地上」に出れない層が「地下」ということになります。

ここで名前の挙がった3人の「プレアイドル」のうち、私が当時、直接に見た(「観た」じゃなく)ことがあるのは水野あおい(75年生)だけなのですが、森下純菜(75年生)と鈴木まりえ(78年生)の2人は今現在でもアイドルとして活動しています。



昭和の「地上アイドル」の始まりが南沙織ならば、90年代当時はそれまでの地上アイドルの基準と比べ「アイドル未満」の存在として見られていた水野あおいでしたが、現在は「地下アイドル成立前夜」の「プレ」という意味に、彼女たちに冠された「プレアイドル」という言葉の意味は変化しているのでしょう。

1990年代に何があったのか、プレアイドルたちとも同世代であるさわやか(74年生)の『僕たちとアイドルの時代』から引いてみましょう。

アイドルがはっきりと音楽チャート上で存在感を失ったのは1992年のことだ。80年代末にはアイドルブームは終わっていたという説もあるが、実は90年代に入ってからも中森明菜や小泉今日子、工藤静香などのトップアイドルがヒットを飛ばしている。だから本書では、彼女たちの姿が年間トップ30位以内から完全に失われた1992年のチャートに注目したい。次のページに掲載したので、ご覧いただきたい。
として掲載されている1992年の年間シングル売上のトップ30を列記しておくと、

1位 米米CLUB『君がいるだけで』/『愛してる』、2位 浜田省吾『悲しみは雪のように』、3位 B'z『BLOWIN'』/『TIME』、4位 大事MANブラザーズバンド『それが大事』、5位 サザンオールスターズ『涙のキッス』、6位 とんねるず『ガラガラヘビがやってくる』、7位 槇原敬之『もう恋なんてしない』、8位 CHAGE&ASKA『if』、9位 今井美樹『PIECE OF MY WISH』、10位 中島みゆき『浅い眠り』 までがトップ10
11位 B'z『ZERO』、12位 ZOO『Choo Choo TRAIN』、13位 サザンオールスターズ『シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA』、14位 小野正利『You're the Only』、15位 織田哲郎『いつまでも変わらぬ愛を』、16位 GAO『サヨナラ』、17位 平松愛理『部屋とYシャツと私』、18位 DREAMS COME TRUE『決戦は金曜日』/『太陽が見てる』、19位 CHAGE&ASKA『僕はこの瞳で嘘をつく』、20位 大黒摩季『DA・KA・RA』 と20位まで続き、
21位 HOUND DOG『BRIDGE~あの橋をわたるとき』、22位 THE ALFEE『Promised Love』、23位 TUBE『ガラスのメモリーズ』、24位 TUBE『夏だね』、25位 槇原敬之『冬がはじまる』、26位 CHAGE&ASKA『no no darin'』、27位 稲垣潤一『クリスマスキャロルの頃には』、28位 KIX-S『また逢える…』、29位 とんねるず『一番偉い人へ』、30位 高橋真梨子『はがゆい唇』 となります。
……YouTubeで公式配信されている曲はリンクしてみたけど、あれだけヒットした曲でも半分無いくらいか。

70年代80年代のアイドル・カルチャーのピークである1988年には、
1位 『パラダイス銀河』、2位 『ガラスの十代』、3位 『Diamondハリケーン』と1・2・3位を〈光GENJI〉が独占し、4位にも同じくジャニーズ所属の〈男闘呼組〉の『DAYBREAK』が入って上位をアイドルが独占していたチャートだったのに、たった4年で勢力図が一変しています。
重ねて言うが、このチャートに、かつて「アイドル」と呼ばれたようなミュージシャンは一人も入っていない。
~(中略)~
アイドルに取って代わったのは今井美樹や小野正利、GAO、平松愛理、大黒摩季などのソロシンガーだろう。彼らはデビュー前からバンドや大学の音楽サークルなどでの音楽経験を持ち、作詞や作曲をたしなんでいることも多い。つまり「自作自演」の人々である。彼らに似た存在は1988年のチャートだと久保田利伸や渡辺美里しかいなかったが、ここに至っては明らかに一大勢力を成している。
ただこのチャートに現れていないささやかな事実で興味深いのは、90年代に入った直後から急にアイドル自身が作詞をすることが増えたことだ。工藤静香は1990年に「愛絵理」名義で『千流の雫』(ポニーキャニオン)を作詞して週間チャート1位になっているし、1991年に年間トップテンに唯一入ったアイドルの楽曲である小泉今日子『あなたに会えてよかった』(ビクター音楽産業)も本人の作詞だ。
作詞という手法は小さなブームとなった。おそらく「自作自演」している感を演出して、アイドルという存在を時代に追随させようとしたのだろう。
~(中略)~
ただし、「自作自演」型のソロシンガーの時代はさほど続かなかった。90年代の半ばになると、ZARDなどシンガーにバンドを組み合わせたユニットが台頭する。
80年代末から90年代に入る頃には「バンド」がアイドル視されるようになり、それに従ってアイドルもバンド化していくのですね。
上記した1992年のチャートだと28位の〈KIX-S〉が典型でしょうし、37位に中山美穂が『世界中の誰よりきっと』でアイドル最高位に入っているのですが、この曲も〈中山美穂&WANDS〉というバンド・スタイル。いち早く88年のチャートで3位に入っている男闘呼組もバンド化したアイドルの一つでしょう。



だから2010年代後半に入ってからアイドルが作詞作曲するシンガーソングライター化やバンド化しているのを見ると何だか既視感があるし、また、例えば、〈BABYMETAL〉やBiSHを褒め言葉としてか「アイドルじゃない」なんて表現されると、90年代に若者だった世代からすると、かえってその感覚が三十年ほど古く思えて何だかもやもやするわけです。

また、バンド化するアイドルの流れとは違うアイドルの時代に合わせた進化形態も90年代にはありました。
その動きが加速するのは、1994年に篠原涼子が『恋しさとせつなさと心強さと』(エピックソニーレコード)で220万枚以上という驚異的な大ヒットを達成してからだ。
彼女は1990年に結成されたアイドルグループ、東京パフォーマンスドールの一員だった。このグループは80年代型のアイドルが下火になりつつあるのを受けて、アイドルをベースにしながらも、名前通りパフォーマンス力の高さを強調する、つまり「本格」志向を採り入れたものだった。メンバーを二軍制にしており、実力主義や多人数チーム制のAKBに近いと言えるかもしれない。
~(中略)~
プロデュースにあたったのは90年代後半を代表するプロデューサーの小室哲哉だ。彼は洋楽の手法、とりわけ当時注目されていたダンスミュージックを日本のポピュラー音楽として聴きやすく整え、いわば「本格」らしさを上手に演出してヒット曲を量産していく。
~(中略)~
過去に「アイドル」と呼ばれたような歌手も、とりわけ「演じる」能力、つまりプロデューサーが指示する歌い方を確実に追求できるシンガーとして価値を見出されることになる。その代表例が安室奈美恵とSPEEDだろう。
どちらも沖縄アクターズスクールという若いパフォーマー養成スクールの出身だ。前者は1992年にSUPER MONKEY'Sというグループでデビューし、次第にソロへ転向する。
後者は小中学生からなる4人組で、幼いにもかかわらず質の高いパフォーマンスを見せることからテレビなどで注目された。安室奈美恵もそうだが、ダンスミュージックやブラックミュージックの要素が楽曲だけでなく衣装、アートワークなどにまで完備され、それでいて洋楽のように敷居が高いわけではない。こうしたプロデュースの手法が90年代の後半に向かって栄えていった。
90年代を代表する歌って踊る「アイドル」の代表が安室奈美恵(77年生)と〈SPEED〉であることに異議を持つ人はいないと私は思いますがいかがでしょうか?
そして90年代というと「小室サウンド」の全盛期でもあります。彼の手法というのは英国や米国のダンスミュージックから最先端な尖った部分を丸めてローカライズしたものだったのですね。そこが大衆の好みに合ったのでしょう。
……当時、若かった私は友人と「こんな曲、誰が聴いているんだ?」なんて会話していたけれど、それを必要としている層がいるのは疑いようのない事実なわけで。
80年代から「アイドル」に向けられていた批判は、ここで打ち消されていく。
~(中略)~
この時代にダンスミュージック系の歌手には、それなりに高いダンスの能力が求められるようになっていった。ダンスはあらかじめ決められた振り付けを正確にこなしながら個性を出していくもので、それもやはり「自作自演」とは違う、パフォーマンス能力重視の時代を感じさせる。
~(中略)~
ただし注意すべき点がある。というのも、過去にアイドルと呼ばれたような存在が再びヒットチャートに現れたからといって、「アイドルが戻ってきた」わけではないのだ。なぜなら彼らは自分たちのことをアイドルとは呼ばなかった。やっていることには似ているのに、小室哲哉などプロデュース側も彼らをシンガー、ミュージシャン、またはアーティストとして扱った。
だから、この時代でもやっぱり世間には、「アイドル」といえば「自作自演」ができず、能力が欠如しており、単にルックスや愛嬌で支持されている者だと考える人が存在し続けた。その結果として音楽業界で「アイドル」が成立しにくくなったため、芝居やグラビア、あるいは声優など他分野で「アイドル」的な活動を行う者もいたし、追随したファンも多い。しかし社会において「アイドル」と見なされる限り、軽視を免れることは難しかった。
90年代半ばまでに音楽シーンに残った「アイドル」は二つの方向に分岐します。
織田哲郎プロデュースの相川七瀬(75年生、95年デビュー)や奥田民生プロデュースの〈PUFFY〉(96年デビュー)、もしくは〈Every Little Thing〉(96年デビュー)のようなバンド・ヴォーカルにアイドルを配置するスタイルと、安室奈美恵とSPEEDのようなスタイルへと進み、彼女たちは「アイドル」と呼ばれたり名乗ったりせず「アーティスト」とされたのですね。
そして、「アイドル」という呼び名は、「本格的な」音楽シーンの舞台に上がれなかったアイドル候補者たちが流れていった水着グラビアを主戦場とするグラビアアイドルや、音楽とは別業界のアニメ業界でアイドル声優といった形で冠されるようになり、「アーティスト」と比べ、"ルックスや愛嬌で支持されている者"というイメージは強化されたわけです。

また、地上から排除された80年代までのアイドルのスタイルはアニメ声優たちに継承されてきました。そこが古いアイドルのイメージからアップデートされていない人たちから「オタク」向けコンテンツ視された理由の一つでもありますよね。そのアニメ声優でも最近はバンド化は始まっていますが、これも現在のアイドルの音ではなく90年前後頃の古いマス向け「アーティスト」スタイルの継承なのが興味深い。

と振り返って見てきた上での話ですが、「小室サウンド」の手法を使った音楽ポジションを現在の日本で占めているのがK-POPアイドルになりますから、「かわいこぶった日本のアイドルに比べて韓国アイドルの実力主義は~」みたいな語り口も二十年も前に通り過ぎてきた90年代の既視感があって、その古臭さに何かもやもやするのですよね。いちいち当てつけせずに自分の趣味で楽しめばいいじゃん、と。
……いや、私も若い頃は出来なかったのだけど。



リンクしてあるのは、BiSHの『KiND PEOPLE』。

2010年代後半の「アイドル」としてのBiSHと〈欅坂46〉の関係って面白い。
前回はアユニ・D(PEDRO)のソロ曲『自律神経出張中』→欅坂46の『黒い羊』だったけれど、今回は平手友梨奈のソロ曲『角を曲がる』へのアンサーがこの『KiND PEOPLE』みたいで。