2015年の『ポリタス』の「特集:戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ」という特集に平田オリザが寄稿した一文を、新書『下り坂をそろそろと下る』の序章として修正したものより。


“まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている。
その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。讃岐の首邑は高松。

と、これは、読者諸氏がよくご存じの『坂の上の雲』の冒頭の、出来の悪い贋作である。
実際の司馬遼太郎さんの小説は、「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」という印象的な一文で始まる。舞台はもちろん讃岐ではなく、正岡子規と秋山好古・真之兄弟を生んだ伊予・松山。ではなぜここで讃岐なのかはという話は、のちのち書いていく。”



司馬遼太郎の『坂の上の雲』。文庫本だと全8巻あるけどその第1巻は、
まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。
その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。伊予の首邑は松山。
と始まります。
平田はこの司馬の一文を讃岐に舞台を移し“なぜここで讃岐なのかはという話は、のちのち書いていく”としているのですが、今回は序文のみを紹介するつもりなので触れず、簡単な紹介として平田の「日本が「人口減少」をプラスに変えてゆくために、一番大切なこと」という記事をリンクしておきます。

“さてこれから私は、明治近代の成立と、戦後復興・高度経済成長という二つの大きな坂を、二つながら見事に登り切った私たち日本人が、では、その急坂を、どうやってそろりそろりと下っていけばいいのかを、旅の日記のように記しながら考えていければと思っている。
もちろん世の中には、「いやいや、この国はもう一度、さらに大きな坂を登るのだ、登ることが出来るのだ」と考えている人も多くいることは承知している。あるいは、「いや。もともと私たちは、そんなに立派に坂を登り切ったわけではない。他国に迷惑をかけ自国だけが経済的繁栄をむさぼったに過ぎない」と考える人もいることも承知している。
前者から後者を観れば「自虐史観」となり、逆の立場に立てば、「新自由主義(ネオリベ)の夢想」ということになるのだろうか。こういったこと、こういった断絶の起源と、その解決策についても、ゆっくりと考えていきたい。”

明治の文明開化の時代を舞台に、司馬は「坂の上の雲」を目指して坂を上ろうとする明治の日本人たちを描いたわけですが、日本の近代史において上り坂の時代は二回ありました。“明治近代の成立と、戦後復興から高度経済成長という二つの大きな坂”。この二つの大きな坂を上った時代をどう評価するかは人さまざま。
だけど、平田は、そうした過去はどうあれ、今の日本は坂を上る時代ではなく、「下り坂をそろそろと下る」時代ではないか、と言うのですね。
司馬の『坂の上の雲』が新聞小説として連載されていたのは1968年から72年にかけて。
日本人の平均年齢は2015年の総務省統計局の調査で46.35歳。『坂の上の雲』が連載されていた頃の1970年の平均年齢は30.5歳だったそう。
少子高齢化の現在の日本ですからこれから先、大勢の移民でも入れない限りは平均年齢はどんどん上がっていく。日本という国は坂の上の雲を目指す若者の国ではなく、坂道を下るのにも足元を注意しないといけない老人の国になっていくのは避けられない。

“さらに、先に私は、「私たち日本人が」と書いたが、その急坂を登っていた頃の日本人と、いまの日本列島に住む若者たちは、もはや同じではあり得ないのだという考えもあるかもしれない。私はそう思っていないが、かつての輝かしい(と見える)日本人と、いまの日本の若者たちの、ちょうど中間地点に立つ私たちの世代は、「いやいや、そうは変わっていませんよ」とか、あるいは、「問題の本質には連続性がありますよ」というようなことを語れる数少ない立場かもしれない。”

平田オリザは1962年生まれですから2015年時点では53歳。2015年調査の平均年齢が46歳だとすると1960年代生まれまでが中間より上、70年代生まれからが中間より下ということになりますね。
この60年代までの世代と70年代からの世代の間に大きな断絶があるのではないか、と私は以前から書いてきています。坂を上る時代に生きた人たちと、坂を下る時代しか知らない人たちの間で。
もちろんそれに対し、“「いやいや、そうは変わっていませんよ」とか、あるいは、「問題の本質には連続性がありますよ」”とも言えるわけではありますが。

“ここ一、二年、「地方創生や少子化問題について何か喋ってくれ」という依頼が増えた。とにかく、「何かアイデアはありませんか?」と言うのだ。劇作家に人口減少対策について尋ねるようでは、この国もいよいよ危ないのではないかと思うのだが、政府は各自治体に「何かアイデアを出せ、出せば金を付けるぞ」という態度なので、自治体側としても切羽詰まって必死なのだろう。
私は、そこで、たとえば次のような喩え話をする。

スキー人口の減少というのは、みな、よく聞く話である。
実際にどれくらい減ったかというと、この二〇年で、一七七〇万人(一九九三年)から五六〇万人(二〇一二年)と、スキーをやる人は三分の一以下になった。この間、スノーボード人口が三〇万人から二三〇万人に増えているのだが、この二つを足しても、一八〇〇万人から七九〇万人と半分以下になっている。激減と言えよう。
理由はいくつか考えられる。
趣味の多様化。特にインターネットやスマホの登場で、安上がりで身近な娯楽が増えたこと。それと関連するのだろうが、海水浴客なども減っているので、全体的なインドア志向も指摘されている。もちろん、若年層の貧困化の問題も大きい。可処分所得が減っているのだ。
しかし何より大きく直接的な要因は、少子化、若者人口の減少だろう。観光学者も行政の担当者も口を揃えて、スキー人口の減少の最大の原因を少子化に求める。そしてそれは、間違いではない。”

スキーとスノボを合わせたスポーツ人口は、2012年の790万人から更に減少し、2017年調査では580万人と、5年で210万人も減っています。
海水浴客についても、同じ20年ほどの間に約3200万人から約1600万人と半減しているし、多くの海水浴場を抱える神奈川県の資料を見ると、ここ数年という短い期間でもとんでもない減りかたをしているのが分かります。
……私も今回初めて意識して数字を見たけど、スキー場も海水浴場も凄まじい減りようですね。驚きました。

“では、若者人口はどれだけ減っているのだろうか。一九九三年の時点での若者人口(二九歳以下の人口)は約四八四〇万人。そして二〇一二年のそれは約三五九一万人。一〇〇〇万人以上も減っている。これはたしかに、たいへんな減少だ。
だがしかし、減っている率としては二割五分程度だ。スキー人口の激減と比べると、そこまでの数字ではない。この差は、どこから来るのだろう。
もちろん、その答えは分からない。分からないが、私は以下のように答えることにしている。
「日本中の観光学者たちが口を揃えて、『少子化だからスキー人口が減った』と言う。しかし、劇作家はそうは考えない。『スキー人口が減ったから少子化になったのだ』」
かつて二〇代男子にとって、スキーは、女性を一泊旅行に誘える最も有効で健全な手段だった。それが減ったら、少子化になるに決まっている。当たり前のことだ。
もちろんスキーは、ひとつの喩えに過ぎない。だが、ここにはある種の本質的な問題が隠れていると私は思う。
街中に、映画館もジャズ喫茶もライブハウスも古本屋もなくし、のっぺりとしたつまらない街、男女の出会いのない街を創っておいて、行政が慣れない婚活パーティーなどをやっている。本末転倒ではないか。
繰り返す。若者人口が減ったからスキー人口が減ったのではない。スキー人口が減ったから人口減少が起こったのだ。”

日本における29歳以下の若者人口が減少に転じたのは1975年。75年時点で日本の総人口における若者比率は49.2%でした。1990年に4割を切って39.9%となり、2014年には3512万人で総人口比27.6%と3割を切っています。



この冬のJRのスキー旅行のキャンペーンが映画『私をスキーに連れってって』(1987年)だったのにはなんだか切ない気分でした。今現在の若者ではなく、30年前に若者だったバブル世代に頼らなければいけないとは、と。

で、平田はこの“スキー人口が減ったから人口減少が起こったのだ”を“暴論”と言いつつ、こう続けます。

“大学の教員を一五年やっていて、「地方には雇用がないから帰らない」という学生には、ほとんど会ったことがない。彼らは口を揃えて、「地方はつまらない。だから帰らない」と言う。そうならば、つまらなくない街を創ればいい。あるいは、地方に住む女性たちは口を揃えて「この街には偶然の出会いがない」と言う。そうであるなら、偶然の出会いが、そこかしこに潜んでいる街を創ればいい。
だが政治家は、こういうことは口が裂けても言えないのだ。なぜなら、これを言った瞬間に、「いまの自分の支持者たちはつまらない人たちだ」と公言してしまうことになるから。そして、あいかわらず、工場団地を建て、公営住宅を整備すれば、若者たちは戻ってきてくれるという幻想を追っている。”

これ、地方だけの話でもないと思うんですよね。都市部でも再開発の名の下で、“映画館もジャズ喫茶もライブハウスも古本屋もなくし、のっぺりとしたつまらない街、男女の出会いのない街を創って”きた。言い換えれば「若者」を排除する形で再開発は進むのですよね。
例えば、「若者の街」だった渋谷を「大人の街」に変えようとする再開発なんて代表的だけど、「劇団員の街」だった下北沢の再開発とか、どんどん「のっぺりとしたつまならない街」にしてきたのがここ20年ほどの日本だったと思いませんか? 街に「遊び」が無くなってきているように私は感じるのです。映画館はシネコン、飲食店はフランチャイズチェーン、ライブハウスやクラブは潰され、古本屋はブックオフばかり。
で、今現在ともなればそうしたチェーン店すら淘汰され始め、映画も本も買い物もインターネットで自宅で済ませるようになりつつあるわけで、それじゃあ“偶然の出会い”が無くなっていく。
もちろん、その偶然の出会いには人間関係だけでなく、例えば、本屋やレコード店でふと手に取った本やレコード、ライブハウスやクラブのフライヤーなどとの出会いも含まれるのではないでしょうか。

“ここ数年、教育に関心を持つ母親たちの集いであるとか、保育の関係者、あるいは看護師さんや助産師さんといった女性の多い職場から講演の依頼が多く来るようになった。そのような講演の控え室では、必ずといっていいほど昨今の少子化対策が話題になり、そして彼女らは口々に、「本当に安倍さんは何も、ちっとも分かっていない感じがする」と嘆く。では、その「ちっとも分かっていない」の本質は、どこにあるのだろう。先述の『新しい広場をつくる』のなかで私は、以下のように記した。”

私の経営するこまばアゴラ劇場では、二〇〇九年度から、雇用保険受給者、いわゆる失業者に対する大幅な割引を開始した。こういった割引制度は、ヨーロッパの多くの美術館や劇場では、学生割引や障害者割引と並んで当たり前のように行われているのだが、日本の公共文化施設でこれを行っているところは、まだほとんどない。いや、それどころか、日本では長く、雇用保険受給者が平日の昼間に芝居なんか観ていたら、「求職活動を怠っている」と言われ、保険の給付を切られてしまうような政策をしてきたのではあるまいか。
こういうの、いわゆる「ナマポ叩き」と呼ばれる生活保護受給者に対する攻撃や「ベビーカー論争」と呼ばれる子連れで出掛ける母親に対しての攻撃などにつながりますよね。
マイナビニュース』のインタビューで平田はこう言っています。
生活保護受給対象者が昼間に映画にいって後ろ指を指されることと、お母さんが子供を預けてコンサートに行って非難されることはつながっているし、もっといえばヘイトスピーチ問題にもつながっているんですね。「誰かがズルをしているんじゃないか」と疑心暗鬼になっている社会から、もっと寛容な社会にならないと日本はもたないのでは、と考えたんです。
こうやって疑心暗鬼を募らせる一方の社会では、もし何かが起こった時に孤立せざるを得ないし、どんどん「生き辛い」社会になっていってしまう。そうなれば人口は減っていく。

“私たちは、そろそろ価値観を転換しなければならないのではないか。雇用保険受給者や生活保護世帯の方たちが平日の昼間に劇場や映画館に来てくれたら、「失業してるのに劇場に来てくれてありがとう」「生活がたいへんなのに映画を観に来てくれてありがとう」「貧困の中でも孤立せず、社会とつながっていてくれてありがとう」と言える社会を作っていくべきなのではないか。そしてその方が、最終的に社会全体が抱えるコストもリスクも小さくなるのだ。失業からくる閉塞感、社会に必要とされていないと感じてしまう疎外感。中高年の引きこもりは、やがて犯罪や孤立死を呼び、社会全体のリスクやコストを増大させる
~(中略)~
そんな不条理な社会を変えていく必要がある。その「何か」は、けっして経済や労働のことだけではないだろう。精神的な側面、文化的側面に目を向けずに、鼻面に、にんじんをぶら下げるようにして「さぁ働け」とけしかけるような施策をとるから、「何も、ちっとも分かっていない」と思われてしまうのだ。”

カネ勘定は大切ですよ。大切だけど、それだけでは社会は保てない。そんな当たり前のことから立て直していくしかないように私も思うのです。


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リンクしてあるのは、Ghost like girlfriendの『fallin'』。
Ghost like girlfriendの岡林健勝は1994年生まれの淡路島出身。2013年に大学進学のために上京してきた彼の見る「東京」ですね。