直近の選挙でどのような投票行動をとったのかは、その当人の政治に関する思考を表現する最も分かりやすいものだと私は考えています。
なので、今回も私の投票行動を書いておきましょう。選挙区で共産党、比例区で民進党へ投票しました。投票行動は「戦略的投票」に依って決めました。


開高健が『週刊プレイボーイ』で連載していたエッセイを集めたものから。

知的な痴的な教養講座 (集英社文庫)/集英社

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“今日の講座はすこし方角を変えて、厳粛なるところから説きおこしてみよう。
どんな人間でも、どんな偉い人でも、同時代からは抜け出せないものである。
ダ・ビンチとかミケランジェロとかいう天才でも、同時代的なものから逃げ出せない。
が、その同時代の波の中から、頭ひとつ上に抜けていた。そこに同時代人とのどえらい違いがあった。
システィーナの大礼拝堂の丸天井に、ミケランジェロが絵を描いたことはだれでも知っているけれども、早く仕上げろといって、スポンサーのメディチ家の番頭やら何やらわけのわからん奴に、この天才がいじめられたことは、意外に知られていない。”


画像はWikipediaより

バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の天井画はミケランジェロ・ブオナローティが1508年から4年がかりで制作したもの。
もともと制作を依頼した教皇ユリウス2世の構想では十二使徒をテーマにした絵になるはずでしたが、ミケランジェロはこれを創世記をテーマに描き替えました。

“前置きが長くなったが、
「宗教は阿片なり」
という有名なテーゼがある。
現代、この言葉は、宗教というものは人間の精神を麻痺させ、中毒させる麻薬である――というふうに受け取られている。
が、先の考え方に立って考えてみると、必ずしもそう言う意味ではないらしいと見えてくる。”

誰でも知っているこの有名な言葉は、カール・マルクスが25歳の時に発表した『ヘーゲル法哲学批判』序説に書かれていて、「マルクスは宗教を麻薬扱いし滅ぼそうとしている!」と全世界の宗教家を反共主義に走らせた一節ですが、開高は、その解釈は間違っているだろう、と言います。

“マルクスがこのテーゼを思いついたころ、彼はロンドンで暮らし、毎日、大英博物館に通っていた。
十九世紀のロンドンにおいては、阿片はアルコールで溶かしたアヘンチンキとして、どこの薬局でも売っていた。ロンドン子はそれを飲んで、癌だとか何だとかの苦痛を緩和していたわけだ。つまり、阿片はいまでいう鎮静剤、鎮痛剤の一種と考えられていたんだな。
もちろん、阿片中毒の現象にはみんなが気がついていたけれども、そんなことをいうならば、アルコール中毒、ニコチン中毒、いろいろあるわさ。
わさなんていっちゃあいけないか、教養講座で。



アヘンチンキを発明したのは16世紀スイスの錬金術師パラケルスス。その製法はしばらく忘れられていましたが、17世紀にイングランドの医師トマス・シデナムが独自に調合し「ローダナム」と名付けます。
18世紀になるとアヘンチンキは広く使用されるようになり、鎮痛のための万能薬として行き渡り、1804年にドイツの薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナーがアヘンから抽出したモルヒネとともに19世紀のヨーロッパでは利用されていました。
上の画像はモルヒネ入りシロップの広告ですが、大人だけでなく乳幼児にも家庭薬として与えらていたのです。
そうした時代背景を頭に入れて「宗教は阿片なり」という言葉を読み直してみれば、現代の私たちが麻薬に対して持つイメージと、マルクスがこれを書いた時のイメージは異なるものであっただろう、というのが開高の主張ということになるでしょう。

同じく19世紀ロンドンの「住民」として、とても有名な、とある探偵はドラッグ好きで知られていますよね。

四つの署名 (角川文庫)/アーサー・コナン・ドイル

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シャーロック・ホームズは、暖炉の前でマントルピースの隅から小瓶を取りあげた。続いて美しいモロッコ革のケースから、皮下注射器を取り出す。ほっそりとした白い指が繊細な動きで細い注射針の具合を確かめたあと、シャツの左の袖口をまくりあげる。
引き締まったたくましい腕には、肘から手首にかけて注射の跡がぽつぽつと無数に残っている。
ホームズはそこに物思わしげな視線をいっとき注いでから、鋭い針先をすっと突きたて、小さなピストンを一息に押し下げる。そしてビロード張りの肘掛け椅子にゆったりと身を預けると、満足そうに深いため息をつく。
コナン・ドイルの名探偵ホームズ『四つの署名』は、こう物語が始まります。
もちろん、ドラッグの害は知られていて、医師のワトソンはホームズに止めるように言います。
一日に三回、同居人がこの儀式を繰り返すのを、私はもう何ヶ月も目の当たりにしてきたが、見慣れて気にならなくなるどころか日増しにいらだちがつのり、じりじりした思いを味わわされていた。
~(中略)~
とうとう堪忍袋の緒が切れた。
「今日はモルヒネとコカイン、どっちだい?」
私にそう訊かれ、ホームズは古いゴシック調の文字が連なる書物から物憂げに顔を上げた。
「コカインさ」と答えた。「七パーセント溶液だ。きみもどうだい?」
「お断りだね」私はけんもほろろにつっぱねた。
「アフガニスタン戦争の傷もまだ癒えないというのに、これ以上身体をいたぶるようなまねなどできっこないだろう」
むきになって言い返す私に、ホームズはにやりとした。
「お説ごもっともだ、ワトスン。なるほど身体にはよくないだろう。しかしね、精神にとってはすばらしい刺激で、頭がすっと冴え渡るんだ。この抜群の効果を考えたら、副作用なんかちっぽけな問題だよ」
典型的なジャンキー相手の会話がホームズとワトソンの間で交わされていますが、コカインが初めて抽出されたのは1855年、ドイツの化学者フリードリヒ・ゲードケによって。1860年にドイツの化学者アルベルト・ニーマンが製法を確立してそれ以降、大流行します。心理学者ジークムント・フロイトは積極的に処方していて自身もコカイン中毒。1886年に発売されたコカ・コーラの名前もコカ成分に由来したもので、軍薬剤師でコカ・コーラ開発者のジョン・ペンバートンはモルヒネ中毒でした。



“したがって同時代人としてマルクスが「宗教は阿片なり」といったとき、彼は宗教が精神の苦痛に対して欠くべからざる、万人公認の苦痛緩和剤であり、鎮静剤であると感じていたのではないか。このテーゼを書きつけた彼の感覚の中に、同時代人の阿片感覚が入っていたとするなら、いまわたしがいったようなことになるわけさ。”

「宗教は阿片なり」の書かれたマルクスの『ヘーゲル法哲学批判』序説にはこう書いてあります(翻訳は『赤旗』より)。
宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである
決して宗教を否定する意図から書かれたものではありませんよね。民衆にとって、憂き世を離れてほっと一息、ため息を吐き出せる場が宗教であり、心と精神を喪失せざるを得ない社会にとっての鎮痛剤の役割を果たしている、と開高の解釈を交えれば読めるはずです。

君の能力が発揮できる仕事や事件はないのか、と訊ねたワトソンに、ロンドンの町を眺めながらホームズは言いました。
「いいや、ひとつも。だからコカインを打っているのさ。頭脳労働しなければ生きている意味などない。
ほかにどんな生きがいを持てと言うんだい?
こっちへ来て、窓の外を見るといい。これほど陰気でわびしい荒涼とした眺めがあるだろうか? 黄色く濁った霧が街路に垂れこめ、くすんだ色の家々のあいだを漂っていく。なんという殺風景な世界だろう。
発揮する機会がなければ、能力なんかいくら持っていても宝の持ち腐れじゃないか、ワトスン先生?
月並みな犯罪と月並みな生活しかない世の中なら、必要とされる能力も月並みで事足りるということなのさ」


Songs of Innocence/U2

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リンクしてあるのは、U2の「Every Breaking Wave」。