私、最近、気になっている言葉があって。
それは「ポピュリズム」を「衆愚政治」と訳す人々の存在です。
ポピュリズム(Populism)と衆愚政治は違うものです。この記事群の直前に書いておいたように、衆愚政治は古代ギリシア語では「ὀχλοκρατία ‎」。英語表記だと「Ochlocracy」、「mob rule」という表現もあります。
語源としては、(乗り物に乗せて)担ぐとか運ぶといったもので、そこに「mob」という言葉を組み合わせればイメージが湧くはずです。



「群衆」が、わっしょいわっしょいと御神輿を担いで祭りのように楽しみ、その当の群衆は自分たちが何を担いでいて、どんな未来を選択したのかを知らずにいる、それが「衆愚政治」。
そして、「デモクラシー体制下における衆愚政治」という概念を最初に生み出したのが、ここまで書いてきたアテナイの状況でした。
デモクラシー、ポピュリズム、オクロクラシーといった政治概念はちゃんと区別して覚えておかないと、煽動家に騙されることになりますよ。連中はわざと言葉の概念を混ぜ合わせてきますから。


アルキビアデスによって煽動されたアテナイのシケリア遠征は、アテナイ最良の陸海軍を全滅させた結果に終わります。
と同時に「ニキアスの和約」は破棄されてスパルタとアテナイの戦争は再開され、ペロポネソス同盟軍はアテナイ近郊まで進出。アテナイ市街より約20キロのデケレイアに前哨基地を置き、ここから常時破壊活動を開始。
シケリアへの遠征軍が全滅した翌年の紀元前412年になると、デロス同盟から各国が続々と離反し、スパルタは、ついにギリシア諸国の宿敵ペルシアとも同盟を成立させて海軍を整備し、さらにアテナイを追い込むのです。

こうした状況をアテナイ市民は信じようとはしません。報せをもたらした外国人を拷問にかけ、脱走に成功したり奴隷として売られていたところを買い戻された少数の遠征軍の生き残りが帰還してもなかなか信じようとはしませんでした。
ようやく情報が真実であったと現実を受け入れなくてはならなくなると、今度は、政治家や神託をもたらした神々を呪い、自らデモクラシー体制を棄て、非常事態を発令して選挙と議会を停止。有力4氏族から100人ずつの評議委員を集めた「四百人会」による寡占独裁体制を敷きます。

で、無謀なシケリア遠征を煽動したくせにアテナイを裏切って、スパルタに逃げ込んだ当のアルキビアデスの生活は、

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“かうして公に名声を馳せたが、個人としてもそれに劣らず驚歎を博して民衆を煽動し、スパルタ風の生活をして世人を瞞着した。
髪の毛を短く刈り冷たい水浴を取り大麦のパンに親しみ黒い粥を啜つてゐるところを見ては、この人が一度でも家に料理人を置いたとか香油師の顔を見たとはミレートス産の外套の感触に慣れたとかいふことは到底考へられなかつた。
人々の云ふところでは、その持つてゐたいろいろの強味の一つに、人心を収攬する術として、人々の習慣や生活法に同感する心得があつて、カメレオンよりも鋭敏な変化を示すことができた。
但しカメレオンは一つの色即ち白い色だけは身につけることができなかつたと云はれるが、アルキビアデスは善人の間を行つても悪人の間を行つても、何一つ真似のできない又うまく合はせられない事はなく、スパルタでは体育の練習をし質素な生活を営み陰気な眼附をするし、イオーニアーでは柔弱で愛想がよく気楽にするし、トラーケーでは酒に酔ひ、テッサリアーでは馬に乗り、ペルシャの太守ティッサフェルネースの許では尊大と浪費の点でペルシャ風の豪奢を凌ぎながら、自分を失つて楽に一つの仕方から別の仕方に移るわけでも又性格の上であらゆる変化を蒙るわけでもなく、天性を発揮して相手に厭な思ひをさせさうになると、いつも相手に合ふやうな姿や形を身につけてそれを避けるのである。”



アテナイでは「遊び」を知る政治家として支持を得たアルキビアデスは、カメレオンのように自身のイメージを変化させて、質素な生活と身体を鍛えることを善しとするスパルタに合わせてみせます。その後も、行く土地に合わせて様々に自身のイメージを変化させるのですね。
ただ、スパルタでの生活も長くは続かず、

“スパルタの王アーギスが戦争に出掛けた留守にその妃を誘惑して自分の子供を宿させたが、妃はそれを否認しないで男の子を生み、表向きにはレオーテュキデースと名附けたけれども、内輪で女友達や侍女に囁いた子供の名はアルキビアデースであつたというほど、熱い愛慕が妃の心を占めてゐたのである。
アルキビアデースが得意になつて云つたところでは、そんな事をしたのは傲慢のためでも快楽に負けたためでもなくて、自分から生まれたものをスパルタの王にしたかつたからだと云つてゐる。”

アルキビアデスの煽動によって忙しくなったスパルタ王アギス2世の王妃ティマイアを寝取り、子を産ませたという「噂」が立ちます。アルキビアデスも王妃も認めているのに「噂」なのは、質実剛健を旨とするスパルタの王が「寝取られ男」であることを認めるわけにはいかなかったからですね。
・・・レオテュキデスのその後については、トゥキディデスの『戦史』を引き継ぐ形で書かれたクセノポンの『ヘレニカ(ギリシア史)』に書き残されているので気になればそちらでどうぞ。

ソクラテスに近づき離れたアルキビアデスを、プラトンは「愛ゆえに」と受け取り、クセノポンは「野望のため」と受け取っていましたが、こうしたアルキビアデスの行動を、現代の私たちには「承認欲求」という言葉で表現できるように思えます。

寝取られ男であることを認めるわけにはいかないアギス2世は、アルキビアデスに対して暗殺者を送ります。
ここでも上手く逃げ出したアルキビアデスは、ペルシア帝国領への亡命を経て、アテナイに帰還します。四百人会に反対する軍の一部と手を結び、シケリアの大敗北からたった2年。紀元前411年にはアテナイ市民はスパルタ王の王妃を寝取った「おもろい」話を手土産にするアルキビアデスを熱狂的に迎え入れたのです。



これが「衆愚政治」と呼ばれる民主制アテナイの滅亡に至る顛末。
トゥキディデスの『戦史』は、この紀元前411年で筆を置きますが、もちろんこの後もアテナイの迷走は続き、紀元前404年、ついにアテナイはスパルタに全面降伏することになり、同じ年、すでに再びアテナイから逃げ出してトラキアに亡命していたアルキビアデスもまたスパルタの暗殺者の手にかかりました。

で、こう「自由と民主主義の国」「民主主義の母国」アテナイの敗北に至る道筋を描いていくと、「だから民主主義は~」と言いたくなる人がいるのも当然、理解できます。
だけど、そこで思考停止せずに、考えて欲しいのは、こうしたギリシア古典は「西洋」の知識人にとっては基本テキストなんですね。誰でものこの顛末を知っているんです。その上で「近代デモクラシー」は設計されているという事実。

アテナイのシケリア遠征軍が迫るなか、シュラクサイの民衆派リーダーのアテナゴラスは非常事態を理由としてデモクラシーを棄てようとする人々に向けてこう言います。

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“「こう言うものもあろう、民主主義は愚劣であり、かつ真の意味での公正をも欠く。有産者こそ、よき政治をおこなうには適任者なのだ、と。
だがあえて私は言いたい、第一に民主の民とは国全体の人間を代表するが、貴族政治は一部を代表するものに過ぎない。
第二に、国庫の財を守る番人としては有産者にまさるものはないが、しかし協議立案の場においてすぐれたるは知性の人々であり、さらにまた事情を聞き、適否を判断する場合には、民衆の知恵にまさるものはない。
民主主義はこれらの個々の立場を認めまた全体の中に共存させ、それぞれに平等の権利を与えているのだ。
これに反して貴族政治は、危険な仕事には一般民衆をも参加させるが、利益の配分には単に公平を無視するにとどまらず、全部の利益を独占する。
これこそ諸君の中にいる有産者や若輩どもの願うところ、だが大国においてはかれらの思いのままの支配が不可能であることを知らないのだ。
「だが今からでも遅くはないと、世にも稀なる愚迷の徒に告げたい、諸君が己れの墓穴を掘るとも知らずに狂奔しているならそう呼ぶほかはない。諸君はおよそこのギリシアの世界で又となく遅鈍な人間だ、だが知りながらこの暴挙に及ぼうというなら最大の不正をなす輩といわれよう。
しかし今からでも遅くはない、考えを改めるか、それがいやなら、すくなくとも眼を開くのだ、そして、このポリスに住むすべての市民に、共通の福祉を増進してもらいたい。”

「民主主義を疑え!」・・・そうですね、そんなこと、あなたが今さら言わなくても2400年前からとっくに話題になっています。疑った先に何があるのかも書き残されてきました。

「自由と民主主義では国を守れない!」・・・そうですか、シケリアに遠征したアテナイ軍では違った感想があったようですね。



“こうしてシュラクーサイ勢が、今やその海軍によっても、堂々たる勝利を遂げるに及んで、アテーナイ側将士の落胆はおおうべくもなく、かれらの予想は大きく裏切られたが、しかしそのいずれにもまさって、この遠征挙行を後悔する気持がつよくかれらを捕えた。
というのは、かれらがこれまでに兵をすすめた諸国の中で、ただこれらのシケリア諸邦のみが、アテーナイと類似の体質を有する国々であったことによる。
つまり、これらはアテーナイと同じく民主政治の国家をいとなみ、軍船、騎馬をはじめとする軍備もすこぶる大であるために、アテーナイ側がこれを攻めるに際しても、相手国の政体革新を餌に国内の反政府分子を武器として利用するという常套手段を用いて己が意にしたがわしめることもならず、さりとて圧倒的な兵力投入によってもことは成らなかった。”

まあ、もちろん、シュラクサイにも裏切り者たちはいました。
ニキアス以下、捕虜となったアテナイ兵の命を助けようとしたヘルモクラテスやギュリッポスに罵声を浴びせて皆殺しにするよう迫った煽動政治家エウリュクレースら。彼らが何故、そう迫ったのかと云えば、生き残ったニキアスらの口から調略に応じた裏切り者の名前が出ることを恐れたのだ、と伝わります。
これもまた、歴史に何度となく繰り返されるお馴染みのパターンではありますよね。連中は常にカメレオンのように保護色をまとうもの。


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リンクしてあるのは、TESTAMENTの「Rise Up」。