デロス同盟からの離脱を図って武装蜂起したレスボス島の都市国家ミュティレネ。
しかし、アテナイ軍にすぐさま鎮圧されてしまいました。アテナイの民会は大衆の怒りにまかせた懲罰的虐殺を一度は民会で決定しながらも、少なくないアテナイ市民たちが翌日には頭を冷やし、その決定を取り消すべく民会を再招集します。
しかし、クレオンは、その市民たちに向けて再び煽動を開始します。

戦史 (中公クラシックス)/トゥキュディデス

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“はやいくたびとなく事あるたびに私は、民主主義は他人を支配することができないと断じてきたが、今回ミュティレネ人処分に関する諸君の再考三考ほど、民主主義の無能ぶりを露呈しているものはない。
諸君は仲間同士で日ごろ安閑と暮らし他人の悪だくみにかかった覚えのないために、同盟国人にたいしても同じような態度をとろうとする。
そしてかれらの口車に乗せられて失策を犯す、かわいそうだといって許してやる。
それだけならまだしも、そうすることがとりもなおさず諸君ら自身に危険を招いているのをつゆほども気づかない。また、いくら寛大に振舞っても同盟者どもが何も感謝していないことに気づかない。
いや諸君の認識不足たるや、おのれが一国独裁の支配者たるをことを忘れさせ、被支配者どもがつねに策謀をとげんとねらいながら、不承不承従っていることを忘れさせてしまっている。
諸君は考えてみようともしない、かれらが諸君に従っているのは、何も諸君がおのれの身を削ってかれらの歓心を買っているからではない。諸君の支配はかれらの好意によるところはいささかもなく、諸君の実力の優位によって存立しているのだ。”

今現在でも「決められない民主主義」「民主主義という病」「民主主義を疑え!」、言葉は色々ありますが、別に新しい考えでもなんでもありません。デモクラシーを「民主主義」にしたペリクレスが亡くなって2年後にはクレオンによって言語化されています。2400年前にも同じ議論はされていたのです。
そして、民主主義を信じる人びとに対し「お前は平和ボケしたお花畑だ!」と続けるのも2400年前と同じです。ペリクレスは
列強の中でただわれらのポリスのみが試練に直面して名声を凌ぐ成果をかちえ、ただわれらのポリスに対してのみは敗退した敵すらも畏怖をつよくして恨みをのこさず、従う属国も盟主の徳をみとめて非難をならさない。
と敗退させた敵に恨みを残させず、従う国もアテナイの徳によってその指導力を認めている。だからこそデロス同盟の盟主の地位にあるのだ、と言いました。
けれども、それはクレオンは違うと言います。強いアテナイだからこそ不承不承従っている同盟者どもを付き従わせることができるのだ、と。
漢字語の表現で言えば、ペリクレスが語るのは「王道」であり、クレオンが語るのは「覇道」なのでしょう。


画像はWikipediaより

“だがわれらを脅かす最大の危険は、何事であれ諸君がいったん決議した態度をぐらつかせることだ。
強国をなさんには、だれも従わぬ良法よりも、権威不動の悪法のほうがよく、国に益する点では、遅鈍でも分別をわきまえているほうが、器用であっても法を恐れぬものよりも大なる貢献をなし、概して単純な頭のものたちのほうが小りこうな衆よりもよき市民たりうる。
この条々をおろそかにすることほど大なる危険はない。
なぜなら、小りこうな連中は法律よりも賢く立ちまわろうとする、しかし大事な問題ではとうてい自分の判断など披露したところで無視されると知ってか、つまらぬおりをとらえては人前で演説をぶち、相手を言い負かそうとする。そしてこのようなことから小知恵のある輩が国を滅ぼした例は数かぎりない。
これに反して、おのれの理解力など大したものではないと当てにしないものたちは、法律をおのが才覚で凌ごうなどと思いあがることはなく、また器用な弁舌を聞いてあげ足をとることには劣ってはいるが、競争心ばかりが強い連中よりは公平な立場から判断できるから、かえって国論を正道に導くことが多い。
このような事実にかんがみて、われわれ演壇に立つものも、けっしてたんなる奇矯な論理や理屈を競うことにわれを忘れ、大衆諸君の意向に反するがごとき言説を弄すべきではない。”

この部分も現代に生きる私たちにも見慣れた言葉ですよね。「善い法であっても誰も従わないんじゃ意味がない」として、それなら悪法のほうがマシだと悪党ぶってみせるのなんてまったく変わっていません。
また、頭のまわる小利口な市民よりも単純で遅鈍な頭の市民のほうが良き市民であり国益にかなう、と言うクレオンには2400年の時間的距離を感じますか? こういう大衆主義の政治家は今現在でも普通に存在しているし、彼ら自身は自分が何か新しいことでも言っているかのように振る舞うもの。
そして、そうした大衆主義の政治家とそのシンパに対し、声をあげる者は、器用な弁舌であげ足を取る連中であり、言い負かそうという競争心の強い連中で、国を滅ぼす。だから“遅鈍”で“単純な頭”の“大衆”の声に従え。・・・どうでしょう? 何かこの頃から変わったところはあるでしょうか。

“さて、私自身の政見は昨日と同一であるゆえに、ミュティレネ人の件につき再審議の動議を提出し、時間の空費によって何かをなさんとする人々については奇怪の念を禁じえない。
かくのごとき提案によって益を得るのは犯罪者の側だけではないか(なぜならば、加害者にたいする被害者の怒りは、時とともに鈍くなり、報復も鈍くなる。反して、害をこうむって即時に応酬すれば、受けたるものに毫も劣らじと正確に報いることができるからだ)。
いや私がいぶかるのはそれだけではない、いずれ私に反対する論者があらわれるであろうが、ミュティレネ人の罪はわれらにとっては益であり、われらがこうむった損失はわが同盟諸国が担うものであると、ぬけぬけと言いくるめることができると信じているとすれば、その動機たるやあきれるほかはない。
明らかに私の敵は、いったん衆議一決した事項がじつはまだ議決の運びになっていないと、おのが弁舌をたのみに軽業まがいの詭弁を弄するつもりか、さもなくば欲得に目がくらみ、おの才覚に鞭うって徳目にかなう言葉によって諸君を欺こうとするにちがいない。”

自分たちは被害者であり他国人は加害者と規定し、「加害者」への報復感情を煽る、これもまた2400年前も今現在も変わらない手法ですね。
そして、「加害者」である他国人への過剰な報復を制止しようとする論者は、「被害者」である我々に害を与える目的と、「敵」を利する目的から言っているのだ、とクレオンは続けます。


画像はWikipediaより、現在のミュティレネの遠景。

“だがその責任は諸君らにある。諸君がこの詭弁に競争の場を与えるからだ。
~(中略)~
私は諸君のかくのごとき醜態に終止符をうち、今回ミュティレネ人が国を挙げて諸君にたいする侵略をなしたのだということを明らかにしたい。
~(中略)~
ようするにわれらの仇敵中の仇敵と内通して兵を挙げ、われらを殲滅しようとする策動であったと言うべきではないか。”

そんな過剰な報復行動を制止しようとする者たちは「敵」の一員なのだから、そのような連中を民会のような場所で発言機会を与えてはならない、と「大衆」に呼びかけます。

“とかく国と国あいだでは、突然思いもかけぬ絶好の機会が成功の夢を誘うと、かならず横暴な挙を犯すものが出る。一般的にみて、思いがけずに転がり込んだ幸運よりも、着実に積み重ねられた成功のほうが長つづきする。また極言すれば、幸運を最後まで大切に守るほうが、失敗をつぐなうよりもむずかしい。
ミュティレネ人の場合もしかり、かれらは最初から他の国々と差別なく扱われるべきであった。すれば今回のごとき暴挙をなしえなかったはずだ。人間はおのれの機嫌をとるものをいわれもなく軽蔑し、ゆずろうとせぬものを尊ぶようにできているからだ。
ゆえに今回の処罰は、かれらの罪を充分に罰しうるものでなくてはならぬ。
責任を寡頭派領袖のみに帰し、庶民大衆を許すがごときことがあってはならぬ。
なぜなら、かれらは一人残らず、みな同じように諸君のすきをねらった。
~(中略)~
諸君、さいごに同盟諸国の反応も考えてもらいたい。敵側に強制されてわれらに背いたものも、自発的にこれをなしたものも、すべての離叛国に諸君がみな一律の懲罰を科することとなれば、かれらの反応はどうなるであろうか。
離叛が功を奏せば自由が得られ、失敗に終わってもたいした目にあわされないですむ、とわかれば、だれもが些細きわまる口実を盾に叛乱を起こすことになりはしないか。
~(中略)~
それでは困るというのであれば、弁論術を頼みに、買収金で頼まれて、あやまちは人間として許されるべきだという文句一筋に、ミュティレネ人の願望を喋々と代弁するのをやめるべきだ。
かれらの罪は過失ではない、かれらは自発的に謀議をおこなったのだ。
~(中略)~
諸君はいったん決議した刑量を絶対に変えるべきではない。
憐憫、詭弁、寛容こそは、支配権の利益をはばむ三敵と心得て、これらに惑わされ処置を誤ることが絶対にあってはならぬ。”

念のため繰り返しておきますが、この討論は、「叛乱」が発生したミュティレネにおいて指導者層の戦争責任の罪を問うだけではなく、“かれらは一人残らず、みな同じように諸君のすきをねらった”として、男性を皆殺しにし、女子供を奴隷とすることの是非を問う討論です。
アテナイとミュティレネは宗主国と属国の関係ではなく、対等の同盟関係にありました。クレオンはここに問題があったのだ、とします。下手に対等の関係でいたからこそ、思い上がってデロス同盟から離脱しようとしたのだ、と。そんなことならとっとと属国にしておけばよかったし、事ここに至っては住民を全滅させたうえで植民地にすれば良かった、と主張しているのです。
憐憫、寛容は「敵」であり、それを口にする者は詭弁を弄しているのだと。

そして、大衆主義の政治家はちゃんとお決まりのセリフも忘れません。
“買収金で頼まれて、あやまちは人間として許されるべきだという文句一筋に、ミュティレネ人の願望を喋々と代弁する”。
過激な意見に対し、穏健な意見を述べる者は、敵国人に買収されている、とクレオンは付け加えておきます。これも2400年前にも行われた常套手段。

“結論に入る。
私の説に従い、諸君はミュティレネの市民らには当然与えるべき断を与え、われら自身はとるべき得策の道をえらばねばならない。さもなくば、諸君の恩は仇になり、諸君自身、おのれを裁くことになると覚悟してもらいたい。
~(中略)~
考えてもみるがよい、もしかれらが勝っていたら、諸君はどんな目にあわされていたろうか、とりあえず加害者として事を起こしたかれらのことだ、想像できぬことはない。理由なくして害をなさんと兵を他国にすすめるものは、その事実を抹殺し危げなくするために一人の生存者をも残さず、徹底的な殺戮をなすものだ。なぜなら、しかるべき理由もなくして害をうけ、生きのびた残党は、ありきたりの敵味方の則を越えて仮借なき復讐をとげんとするからだ。
重ねて言う、諸君、おのれを裏切ってはならぬ。裏切られたときの怒りをよみがえらせよ、石にかじりついてもやつらを倒さんと決意した気持にもどれ。頭上を襲った危機を思い起こし、今更説を屈することなく、かれらに報ずべき報いを与えよ。存分にかれらを打ちすえ、離叛者は死をもって贖うべしの鉄則を明示し、他の同盟諸国への見せしめとせよ。”

クレオンという民衆指導者の主張にどのような感想を持ちましたか?
少し前にペリクレスの演説を紹介した時に 「現代のリベラルな政治家の演説だと言われても通用するでしょ」と私は書きましたが、このクレオンもまた2400年の時を越えて今現在の大衆主義の政治家の演説としても十分に通用するように私には感じます。

次は、このクレオンの民会での演説に対する反対演説を紹介します。


Screaming For Vengeance/Judas Priest

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リンクしてあるのは、Judas Priestの「Bloodstone」。