大日本帝国時代、男性は満20歳で徴兵検査を受けることになっていました。検査は身体検査のみで、体格や健康状態で甲・乙・丙・丁・戊の5段階に分類され、このうちの甲・乙から徴兵されていくことになっていました。また志願して兵役に就こうとする者に関しては17歳から志願可能です。
岡本太郎の場合は、19歳でフランスに渡っているので徴兵検査は受けていないことになります。なので、30歳で帰国した際に、20歳以下の若者に交じって徴兵検査を受けなくてはいけませんでした。
銀座三越で11月の個展を開くとすぐに12月8日の真珠湾攻撃の日がやって来ます。対米戦争が開始された絶望的な状況で軍に入隊するのです。

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“われわれは現地教育、だがそれがどこなのか、教えられていなかった。
まず東京駅から軍用列車に乗り込んだ。ぞろぞろっと改札口を通ろうとすると、取り締り官がぐっと私の腕をつかんで引き止めた。
「見送りの者は入ってはいかん」
私だけ年が違いすぎるので、間違えられたのだ。ああ、このまま本当に入らずにすんだら。一瞬、痛切に思った。
列車の中はにぎやかにわきかえっていた。若者たちが歌ったりはねたり、お土産にもらって来たお菓子をわけあったり、まるで修学旅行のような騒ぎだ。
私だけは片隅でじっとうつむいていた。ドストエフスキーの「死の家の記録」の断頭台にひかれて行くイメージが、今の自分とダブって思い出された。
窓の外に熱海あたりの、夕日を浴びた海がひろがり、目の前を通り過ぎて行く岩肌に冬の樹々の影が風にそよいでいる。それをながめながら、いったい、いつ帰って来て再びこの風景を見ることが出来るのか。あるいは永遠に……心は重くふさがるばかりだ。”



ドストエフスキーの『死の家の記録』は、ドストエフスキーの監獄に囚われた自身の経験を基にシベリアでの強制労働を描いた作品。物語の主人公となるのはアレクサンドル・ペトローヴィッチ・ゴリャンチコフ。シベリアでは囚人でありながらフランス語を教える人物です。

フランス帰りの30歳の岡本がじっとうつむいて死のイメージに耐えているのに対し、若い新兵たちは“修学旅行のよう”に楽しんでいます。
岡本属する新兵の一団が東京駅を出発したのは1942年1月21日。ちょうど太平洋戦争開戦当初の日本軍の破竹の勢いの大攻勢の真っ最中でした。

“宇品から輸送船に乗って、上海に渡るのだとはじめて知らされた。
私はフランス語の通じる印度支那あたりかと想像していたが、結局入隊させられたのは中国の奥地。漢口から西に数十キロ離れた応城という所にある自動車隊だった。”


画像はGoogleMAPより

東京を出発した軍用列車は大阪を経由して広島に到着。広島の宇品港から輸送船で中国大陸へ。
現地での初年兵教育を経て、岡本が配属されたのは、中支派遣第11軍の自動車第32連隊。トラックによる輸送部隊ですね。フランス語話者の岡本ならば仏領インドシナの占領軍に配属されても良いのでしょうが、それをやらないのが「日本」でもあるのかもしれません。

“古めかしい城壁の外側に、民家を改造した土壁の兵舎が並んでいた。そこでビンタを毎日くらわされる初年兵教育がはじまった。朝から晩までどなりつけられ、なぐられながら、残酷で空しい訓練を受ける。
軍隊での教育はまったくそれまでの私の貫いて来た筋とは正反対だった。何から何まで。
やがて「自由主義者」というレッテルをはられた。
これは軍隊では最も恥ずべき、叩き直さなければならない奴という意味なのである。”

30歳を過ぎたパリの芸術家が、「自由」とか「個人」を憎む体罰横行する大日本帝国軍人の世界に放り込まれたのです。岡本は、「華やかなパリ生活から、一転してこの無慈悲な環境。まさに天国と地獄を地で味わったわけである。」とも言い残しています。

で、まあ、私は思うんですが、昔も今も変わらないものですよね。“自由主義者”とは、“軍隊では最も恥ずべき、叩き直さなければならない奴という意味”という部分。
「非国民」は「反日」、「アカ」は「サヨク」、そして「自由主義者」は「リベラル」と微妙に呼び方は変わっていますが、同じ言葉で日々罵倒される「日本」という国。

“兵隊を特別訓練する係に、東京帝国大学哲学科出身の、いわばインテリ将校がいた。士官学校出の生粋の軍人よりも、かえって軍人ぶって残酷なしごきをやったものだ。
私はそれに抵抗して、何を質問されても「解りません」と突っぱねた。そのために、血みどろになぐられた。
「四番目主義」はその象徴的行為だ。
夜、就寝前、突然班長の命令が響きわたる。「下士官室に集合ッ」さあはじまった。胸のつまる思いで、分隊の十数名がみな薄暗い部屋に入って整列する。淋しい石油ランプのまたたき。
「一列に並べ。貴様らの今日のザマは何だッ。一人一人、名乗って出て来い」
班長は身構える。そして順々に初年兵を力まかせに引っぱたく。倒れる。うなる。一人。二人。……私はそのころ決意していた。調子の出て来る四番目が一番強烈だ。だから私は四番目に出る。このような空しい、どうにもならない中にいて、弱気になって逃げようとしたら、絶対に状況に負けてしまう。逆に挑むのだ。無目的に、まったく意味のない挑み。それこそが私の生きる筋だった。”

軍隊組織で居心地良く任期を過ごすには、「要領」という言葉が重要視されます。しかし、要領良く生きるというのは、同時に、環境を無批判に受け容れるということでもあり、そうなれば個は組織に埋没し、“インテリ”や芸術家にとっての精神の死でもあるわけです。そして、官僚化された知識人や芸術家というものは、「大衆」よりもさらに残虐な人格を持ち得ることにもつながりかねないのです。


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リンクしてあるのは、Kate Bushの「Army Dreamers」。