夏目漱石が生まれた1867年というのは、最期の将軍徳川慶喜の就任した年でもあり、明治天皇の即位した年でもあります。
この1867年にあった世界史的な大事件というと、カール・マルクスが『資本論』第一部を発表した年でもあるのです。日本でようやく封建制を抜け出して近代化をするかどうかを迷っている頃に、「西洋」では20世紀を揺るがす大問題に既に着手していたのですね。

社会と自分: 漱石自選講演集 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

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“労力を節減する器械が整った今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽の途が備わった今日でも生存の苦痛は存外切なるものであるいは非常という形容詞を冠らしてもしかるべき程度かもしれない。
これほど労力を節減できる時代に生まれてもそのかたじけなさが頭に応えなかったり、これほど娯楽の種類や範囲が拡大されてもまったくそのありがたみが分からなかったりする以上は苦痛の上に非常という字を附加しても好いかもしれません。
これが開化の産んだ一大パラドックスだと私は考えるのです。”

労働を軽くするための様々な機械が発明されても労働時間が増えることはあっても減ることはそうはない。様々な娯楽が提供されるようになってもその娯楽を存分に楽しめるような者は多くはない。
機械化によって人間は労働から解放されるかと思っても裏切られる。娯楽はたっぷりと提供されるけれども道楽している余裕もそうはない。
知らなきゃ知らないで、「たまに足を伸ばしたり手を休めたりして、満足して」いられたかもしれませんが、知ってしまえば、漱石言うに、“非常”な苦痛になる。

“これから日本の開化に移るのですが、はたして一般的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開化の一種だからそれでよかろうじゃないかでこの講演は済んでしまうのであります、がそこに一種特別な事情があって、日本の開化はそういかない。
なぜそう行かないか。それを説明するのが今日の講演の主眼である。”



“それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかというのが問題です。
もし一言にしてこの問題を解決しようとするならば私はこう断じたい。
西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。
ここに内発的というのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向かうのをいい、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。”

“もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。
もちろんどこの国だって隣づき合いがある以上はその影響を受けるのがもちろんのことだから吾日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展したわけではない。
ある時は三韓またある時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥して見るとまあ比較的内発的の開化で進んで来たといえましょう。
少なくとも鎖港排外の空気で二百年も魔酔したあげく突然西洋文化の刺戟に跳ね上がったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったというのが適当でしょう。
日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならないほどの衝撃を受けたのであります。”

漱石はロンドン滞在中の日記に、こんな風に書き記しています。個人の日記なので少し文章を整えたうえで紹介しましょうか。

「日本は三十年前に覚めたりという。然れども半鐘の声で急に飛び起きたるなり。その覚めたるは本当の覚めたるにあらず、狼狽しつつあるなり。ただ西洋から吸収するに急にして消化するに暇なきなり。文学も政治も商業も皆然らん。日本は真に目が醒めねば駄目だ」。



当時の狂歌に「泰平の眠りをさます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」という有名なものがありますが、鎖国体制を破る黒船来航から始まる近代化の波を、漱石は、半鐘の音で叩き起こされ、びっくりして跳ね上がった、と表現しているのですね。
で、この無理矢理に叩き起こされて怒涛のような近代化に否応なく巻き込まれた日本人は、文明を“行雲流水のごとく自然に”受け容れていった西洋人と比べると、どうしたって歪な近代化をせざるを得なかった、というのでしょう。だからといって『彼岸過迄』の敬太郎がそうであったように、フテ寝を決め込もうにも、もう今さら眠れないわけです。嫌々ながら目を覚まして頭痛がするけどひとっ風呂浴びて無理にでも目を覚まさなきゃいけなかったのが、多くの日本人の感覚だったし、今現在でもそう考えている人は少なくない数で存在しているのではないでしょうか。

“これを前の言葉で表現しますと、いままで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにそのいう通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。
それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応えているなんて楽な刺戟ではない。時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない。
~(中略)~
つまりわれわれが内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然として我らに打ってかかったのである。
この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、いまの日本の開化は地道にのそりのそり歩くのではなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。
開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。
私の外発的という意味はこれでほぼご了解になったろうと思います。”

日本に存在する「反西洋」思考とでも呼べそうなものは、実は実体としての「西洋思想」ではないんじゃないのかな、なんて私は思います。例えば、「西洋の反自然的な傾向に対し、日本固有の思考はもっと自然と身体と調和している」とか言う人がいます。こういうのを聞くたびに、いや、西洋が反自然なんじゃなくて、日本の近代化の受容の過程が不自然だったのであって、ヨーロッパ人が日本人と比べて自然と調和していないってわけじゃない、って私は考えるんです。
で、不自然な近代化をしなきゃいけなかったこと自体は仕方のない話で、地道に一歩づつステップアップした「西洋」に比較して、日本も含むアジアやアフリカはどんなに不自然であってもショートカットせざるをえなかった歴史があり、その歪みが、色々な問題を引き起こし、解決できずにいる理由なんじゃないのかな、なんて。
例えば、政府の暴走を阻止するための立憲国家制度であるとか、国民の分断を招かない為のデモクラシー、武力に頼らない国際紛争の法律的解決、政教分離原則とか、様々に「西洋」は問題解決のための処方箋を用意しています(それらが「西洋」で全て理想的に行なわれているとは言いませんよ)が、寝起きが悪くてムズがる幼児のような反応で拒否してしまう人って少なくないと思うんです。


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リンクしてあるのは、東京事変の「新しい文明開化」。