誇りと抵抗―権力政治(パワー・ポリティクス)を葬る道のり (集英社新書)/アルンダティ ロイ

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“わたしが一個人として、理解への第一歩を踏み出したのは、今年三月のことだった。
そのときわたしは、"作家にとっての悪夢"を必死で生きていた。
言葉の儀式的虐殺を目の当たりにしたのである。そうだったのだと、わたしは理解している。
つまりこういうことだ。
クリントン大統領がインド訪問中、はるか彼方のオランダで、世界水フォーラムが開かれていた。4500人の銀行家やビジネスマン、各国の大臣、政策立案者、エンジニア、エコノミスト――それに、"反対の立場"の声も聞くという建前上、一握りの活動家や先住民の舞踏団、金に困った街頭演劇グループ、水道の蛇口の格好をした衣裳をまとった六人の娘たち――がハーグに集まり、世界の水の未来について話し合った。
どのスピーチも"女性に権利を与える"だの"人びとの参加"だの"民主主義を深める"だのといったフレーズで風味付けしてあった。”

「世界水フォーラム」とは1997年3月にモロッコのマラケシュで初めて開催された国際会議。この会議の第二回が開催されたのが2000年3月オランダのハーグ。第三回は2003年3月に日本の琵琶湖で開催されてきました。



“だが、フォーラムの目的は、世界の水の民営化を迫ることだ。
飲み水を手に入れることは基本的人権である、という結構な話し合いもなされた。
では、どうすればそれを行使できるだろう。
答えは簡単だ。水に市場価値を付ければいい。水を"実価格"で売ればいい(水が乏しい資源になりつつあることは、いまや常識だ。世界で10億人の人びとが安全な飲み水を手に入れられないでいる)。"市場"では品薄であればあるほど高値がつく。
だが、水を価値あるものと考えることと、水に市場価格を付けることは別問題だ。
水を汲むのに何マイルも歩かねばならない村の女ほどに、水の価値を知っている者はほかにいない。金さえ払っていれば、蛇口をひねるといくらでも水が出る都会に暮らす者ほど、水をないがしろにしている者はいない。”

公共のインフラである水道が「民営化」の名のもとに世界各国で売買の対象になるのは、この2000年を境に本格化します。
世界水フォーラムの直近のものは2012年3月にマルセイユで開催されているのですが、このマルセイユこそが世界水フォーラムの本部のある都市。なので、去年は満を持しての本部開催だったのですね。
では、なぜ、マルセイユに本部が置かれているかといえば、水道事業の民間企業の大手3社のうちスエズ・リヨネーズ社とヴェオリア社がフランス企業であり、この2社は「水の皇帝」と呼ばれるルイ・フォションが会長であり、世界水フォーラムの議長も兼ねていたから。
フランスには他にもSAUR社、2000年段階では他にビバンディ社もありましたから、水道事業と言えばフランス企業の草刈り場だったわけです。
既に日本にもヴェオリア社は進出しており、2012年から松山市の上下水道事業に参入しているのは有名な話なので、皆さんご存知ですよね。

フォーラムで提起された“女性に権利を与える”“人びとの参加”“民主主義を深める”そして、“飲み水を手に入れることは基本的人権である”に激しくアルダディ・ロイは反発します。正しい言葉が商品化されたことは、“言葉の儀式的虐殺”である、と。

“だから、人権を"実価格"と結び付ける話し合いには、おおいに困惑を覚えざるをえなかった。
最初、わたしは議論の趣旨が掴めなかった。
彼らは金持ちの人権というものを信じているのだろうか?金持ちだけが人間、あるいは人間はみな金持ちだと思っているの?
だが、いまならわかる。冷暖房完備の明るい"人権スーパーマーケット"、クリスマスにはバーゲンセール。
元気のいいアメリカ人パネリストが、そのあたりを上手に表現してくれた。
「神はわれわれに川をくださった。だが、運搬手段までは付けてくださらなかった。そこで民間企業の出番というわけだ」。
神がくださったほかのものにも、多少の構造調整を行うことで、わたしたちはもっと単純な世界に生きることができる(すべての海がひとつになれば、それはそれは大きな海になるだろう・・・エヴィアンが水を所有し、ランドが陸地を、エンロンが空気を。ルンぺルシュティルツキンはさしずめ高給取りのCEO)。
~(中略)~
作家というのは、その生涯を通じて、言葉の核心に迫る旅をつづけ、言葉と思考の距離をなくすとまでいかなくても、狭めようと努力している。
「言葉とは、わたしの思考をくるむ皮膚なのよ」。あなたにとって言葉とはなにか、と尋ねられたとき、わたしはそう答えたことを憶えている。
ハーグのフォーラムで、わたしとはまったく正反対の人生観をもつ宗派、副次的世界に遭遇した。
彼らにとって、言葉とは本心を隠すためのものだ。彼らは企業の収益を示す棒グラフを、一点の非の打ち所なく、政略上完璧で、世間から見ればただの方針文書、というものに書き直すことで大金を稼ぎ、贅沢に暮らしている。
その内容を実行に移すことは不可能であり、机上の空論でありつづけるよう企画されており、民衆のために書かれたはずなのに、民衆にすら(にこそ)秘密にされているものに書き直すことで。”



そういえば、2000年段階ではエンロン社は、まだ巨大企業の代表として名前があがっていたんですね。
空気を所有する、なんて言われていた巨大エネルギー企業のエンロン社が、翌2001年にはインドでの火力発電所計画の失敗や、水道事業に参画しようとして設置したアズリックス社の失敗が公けになり、12月にあっと言う間に破産することになるのは、いかにバブルな膨張をしていたのかがよく分かります。
クリントン夫妻の話をした時にも書きましたが、ある意味でとても牧歌的だったのですよね、まだこの時代は。

“彼らが発生し繁殖するのは、言うことと売るもののあいだのスペースだ。
彼らが議会に陳情するのは、たんに天然資源と基幹施設の民営化だけでなく、政策立案そのものの民営化だ。
ダム建設者は公共の水政策を管理したがる。電力会社は発電政策を立案したがり、金融機関は政府の投資引き揚げを監督しようとする。”

民間企業は利益を上げることが目的であり、倫理観を持ちません。企業が規制緩和を訴えて政策立案に関われば、法律は形骸化し、企業はかえって自身を制御できなくなり次々と自爆していくものです。
これが民主党のクリントン政権時代から、より欲望に忠実になった共和党のブッシュ政権時代に代わってから私たちが目にした光景です。


Battle of Los Angeles/Rage Against the Machine

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リンクしてあるのは、Rage Against The Machineの「Guerrilla Radio」。
1999年発表。