事件発生のほんの数時間前まで共に「音楽は古風で優しく、美しい場面に富み、筋は可憐でロマンティック」な映画を楽しんでいた友人たちを反乱将校によって殺戮されたグルーは考えます。

滞日十年 上 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

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“日本でもニュー・ディールが行わなければ、相沢裁判の弁護士が予言したように、同じことが繰り返し繰り返し行われることである。
~(中略)~
何故二・二六事件のようなことが日本で起り得るかは、日本の子供がそれによって育て上げられる歴史の本を読めば、容易に了解することが出来る。
即ちこのような行為――主君の仇をうつことを目的としたり、あるいはある状態に対する責任をとっての暗殺とか自殺とかの大昔からの記録が、一杯出ているのである。
逆説的にも――日本は逆説の国だが――これら青年将校は、天皇自らが選んだ人々が彼に悪影響を与えたといい、これらの人々を取除いて天皇のためになるようにしたのだと主張する。そして個人的の憎悪はまったく存在しない。
斎藤と渡辺と松尾(義兄の岡田首相と間違えられた)を殺した彼らは、死体の横で焚く香を持ってこいといい、高橋邸には香がなかったので、暗殺されたこの政治家の前に火をつけた蠟燭をおくことを固執した。
将来、この種の出来ごとを防ぐためには、社会的、経済的のニュー・ディールが日本に行われねばならぬばかりでなく、学校と陸軍での教育を徹底的に変えねばならない。”

「相沢事件」というのは1935年8月12日に陸軍省で発生した暗殺事件。皇道派のシンパであった相沢三郎中佐が「将来の陸軍大臣」と目されていた統制派の軍務局長の永田鉄山少将を軍刀で斬殺した事件のこと。
この時に弁護士となった鵜沢聡明は、単なる殺人暴行という視点だけではなく、特に軍教育をうけた者の到達地点であって、さらに、建国以来の歴史に関係あるのではないだろうか、というようなことを言っているんです。
この時、弁護側は「統帥権干犯問題」にも関わるからと、斎藤実内大臣の証人尋問も要求しています。その最中に「二・二六事件」が発生しているのです。

で、この「相沢事件」「二・二六事件」と続く軍人による殺戮をグルーら米国の対日当局者たちは、あるイメージと結びつけます。


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陸軍省という「殿中」で錯乱した軍人が上官に斬りつけて捕えられ、その復讐を誓う皇道派将校たちが雪の夜に部下を率いて行進し、老いた政府高官の自宅を襲撃して殺害する。
政敵殺害後にも武士らしく大望果して切腹するでもなく、ぬけぬけと投降したうえ、「江戸」市民からは歓迎されていると思い、大した罪に問われるとも考えていない・・・まさに『忠臣蔵』の物語です。
1945年に日本を占領した米国の当局者たちが『忠臣蔵』を目の敵にしたのは、この1936年の「二・二六事件」に原因があるわけです。討ち取られる白髪の吉良上野介のイメージは斎藤実たちに重なり、テロリストが寄ってたかって老政治家を殺害する暴力と恐怖を肯定する野蛮な物語と。

どう思われますか。「赤穂浪士討入り事件」と「ニ・二六事件」のイメージの重なり、日本人から見てもそんなに違和感は無いのでは?

ついでなので、この8年後のとある暗殺計画も紹介しておきましょう。

細川護貞座談―文と美と政治と (中公文庫)/細川 護貞

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“高松宮様の所へ夜うかがった時です。非常に沈痛な顔をして出て来られてですね。もうこうなった以上は東条を殺す以外にないな、だれか殺すやつはいないだろうか、という話をされたんですよ。
それで私はね、そういうことをおっしゃってはいかんと言った。
そしたらおっしゃってはいかんというけれども、君だってそう思っているだろうと言われるので、それは私もそう思ってます、思ってますが殿下がそういうことをおっしゃってはいかんと。
なぜかというと、明智光秀が重臣たちを集めて、敵は本能寺にありと話した時に、十四、五人いた。その時みんな黙っていた。その中で明智左馬助という若い武将が、いまおっしゃったことはきわめて大変なことだ、これが少しでももれれば向こうを殺す前にこちらが殺される、信長の性質としては必ずそうなる、だから事がなるならぬはここで問題にすることじゃない、一度口に出した以上は殺される前に、こちらから本能寺に行って信長を殺そう、そう言ったというのがありますと、そう申上げた。”



皇弟の高松宮宣仁親王と細川侯爵家の細川護貞の会話です。
兄弟の秩父宮と三笠宮が帝国陸軍で教育を受けたのに対し、高松宮は帝国海軍で教育を受けたことから昭和天皇の兄弟の中では海軍派ということになります。妻は最後の将軍徳川慶喜の孫娘。
細川護貞は、熊本の細川家の父と、島津家と鍋島家の間に生まれた母を持ち、近衛文麿公爵の娘を妻としています。
この二人は幼少期から年齢の離れた親戚のように育ってきました。そんな二人の密談です。

“いま殿下と私二人だけだけれども、壁に耳ありということもあるし、殿下が殺さなきゃいかんと口に出した以上は殿下の命が危ない。だから今すぐ実行しましょう。
二人いて殺せないことはない。殿下に手を下せというのはもったいないから、私だってここに黙って入ってくる東条を殺せないことはない、殿下から刀でも拝借したらやれる、と申し上げたのです。”

帝国海軍を担当する皇弟と、近衛文麿の娘婿で秘書官の武家華族の御曹司が、緊急の用事だと東條英機に電話をかければ首相であっても間違いなくやって来るし、この二人に会う時に護衛を連れては入れません。

“そしたら殿下は黙ってしまわれてね、二人で黙ってにらみ合っておったわけですよ。それが何分ぐらいだったか、いまは覚えていませんがね。
そのうち静かに、それはやめようと言われた。言い出しておいてやめようというのは申し訳ないが、陛下の信任しておられる総理大臣をぼくが殺すわけにはいかん、と殿下がおっしゃったんでね、私はそのご心配ならいらんと思う、と申し上げた。
なぜかと言えば、皇極天皇の御世に蘇我入鹿を中大兄皇子が殺されたじゃありませんか、それとおんなじで、殿下が中大兄皇子、後の天智天皇のお立場にお立ちになれば、それは国のためなんだからいいじゃありませんか、と申し上げたんです。
そしたら、まあ理屈はそうだけれども、今できない、と言われて結局やめたんですよね。
ところが私が非常に不思議に思ったのは、その時に自分が死ななきゃならんということは考えておったんですが、全然恐怖がないんですね。死ぬという実感がないわけですよ。
そのあと一時間くらい殿下とお話して、その時はどういうわけだか、妃殿下が出てこられて、お茶を飲んでお帰りなさいと言われまして、紅茶とお菓子を出していただいた。それをいただいて、じゃ失礼しますと言って、十時頃だったかな、退出して、当時自動車がなくて、宮様の品川のお邸から品川駅まで歩いて帰ったんですよ。
その歩いている時ですよ、ちょっと考えて、ああこれでおれは生きてるんだな、これで命が助かったんだなと思った途端、怖くなったというかゾッとしてね、がくがくひざが合わない、そういう状態になったですよ。”

昭和の「忠臣蔵」の物語は完遂されましたが、昭和の「大化の改新」は実行されることなく終わりました。
やはり、上流階級(というより最上流ですが)の出身者たちにはなかなか人殺しというのはハードルが高いんですよね。彼らは野蛮ではなく、古風でロマンティックに過ぎるのでしょうから。


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リンクしてあるのは、La Rouxの「In for The Kill」。