病弱で障害を持っていた少年が、質実剛健を旨とするプロイセン軍人で構成されるドイツの皇帝となるためには人並み外れた努力が必要でした。
毎日、早朝から深夜まで必死の勉学と訓練に励み、皇帝にふさわしい教育を吸収しようとしますが、それがどこか彼の性格を歪めてしまったのではないかと言われています。とはいえ、そうした印象は、その後の歴史を知っている者の後だしじゃんけんにしか過ぎないとも思えます。

祖父と父が1888年に相次いで亡くなると、ヴィルヘルムが第3代のドイツ皇帝位に就きます。
その時、彼は29歳。
このピンと上向きに整えた髭をカイゼル髭と呼ぶのは、彼に由来する名前です。

メモ垣露文

長命の祖父の下で、敬愛されながらも即位する頃には病を得ていた父フリードリヒとは違い、20代で帝位を継いだヴィルヘルムは積極的に帝国を自らの手で運営しようと考えたのです。
その時に邪魔になったのが、祖父の代から巨大な影響力を持っていたビスマルクです。
リベラルな父の方針から平民に交じって教育を受けたこともあるヴィルヘルムは、労働者の保護や社会主義者の弾圧に反対してビスマルクと対立します。

メモ垣露文

こうした姿勢は、フリッツと愛称で呼ばれて敬愛されていた父の記憶ともに熱狂的に市民から愛され、ヴィルヘルムは自信を強めてビスマルクと正面から激突し、彼をついに国政の場から退場させたのです。
この2枚のイラストは、労働者の保護者として迎えられるヴィルヘルムと、キリスト教の宗教勢力とともに労働運動を追い出そうとするビスマルクをそれぞれ描いたもの。

メモ垣露文

老いたパイロット(水先案内人)であるビスマルクは、ここに船を下りることになり、新たなドイツ帝国の歴史がここから始まると多くの人々は考えたのです。



「ケーニヒグレッツ・マーチ」は、ビスマルクの最大の功績である対オーストリア戦のケーニヒグレッツ会戦の勝利を記念して作曲されたもので、ドイツ統一を方向付けた事件を追憶する音楽として、現在でもよく演奏されています。