最後のムガル皇帝がビルマのヤンゴンに流刑にされ、ムガル帝国は滅亡します。
しかし、インド大陸全土を巻き込む大反乱は、東インド会社の傭兵部隊から始まったもので、英国軍の応援がなければ鎮圧は出来ないほどの規模となっていました。
このことから、一企業が植民地統治を行なうことの限界が見え、英国本土では1858年8月に東インド会社の権益を全て英国政府に移すことを決定し、1874年までの残務整理だけを残して会社としての機能を失います。

ヴィクトリア女王―大英帝国の“戦う女王” (中公新書)/君塚 直隆

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1837年から1901年まで大英帝国に君臨したヴィクトリア女王の時代は、英国にとって正に太陽の沈まない帝国としての時代でした。

ヴィクトリア 太陽の沈まない帝国 完全日本語版 価格改定版/サイバーフロント

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こんなゲームもあるのですが、私のパソコンには何年もこのゲームが入れっぱなしになっています。シリーズの2作目も出ているのですが、そちらはプレイしたことがないので古い方で紹介します。

メモ垣露文

1859年にインドでの反乱を完全に鎮圧すると、ヴィクトリア女王は大英帝国の新しい姿を構想し実行に移し始めました。手始めに行なわれたのが、新しい騎士団の創設です。
“ Heaven's Light Our Guide (天国の光が我らの導き)”を標語とした新しい勲章“ Star of India ”を制定して、この勲章をインド諸侯やアジア各国の王族に授与して騎士団を構成して、帝国貴族にアジア人を含む世界帝国を構想したのです。

メモ垣露文

当時、列強各国は帝国を自称し、皇帝を名乗るのが流行していました。ドイツ皇帝やロシア皇帝、それどころか弱小国や属国に等しい国々までもがエンペラーを名乗ります。
世界帝国を構想したヴィクトリアも、同じように皇帝の名義でサインをしたいと願いますが、ここは英国国民が相手です。王室に対して敬意を表しても、王室が勝手なことをするのは許しません。英国国民の彼ら彼女らが君臨するのを許したのはクイーンにであってエンプレス(女帝)ではありません。
こればかりはヴィクトリアでも無理は通せませんでした。
その時に思い出したのが、ムガル帝国の滅亡によって空位となっていたインド皇帝の地位です。

メモ垣露文

このイラストはディズレーリ首相がヴィクトリア女王にインド製の帝冠を売りつけにきた、と揶揄したもの。
1876年2月にヴィクトリア女王は滅多に顔を出さなかった議会に自ら足を運び、皇帝を認める法案を依頼し、4月には法案が通過してやっと“ Victoria. Regina et Imperatrix (ヴィクトリア、女王にして女帝)”のサインを使うことを許されるのです。
1877年1月1日、インドでは大英帝国の臣下となる儀式が行なわれ、インド諸侯に英国より紋章旗が授与されます。

メモ垣露文

英国にとってインドは最重要な領土でした。ヨーロッパの小さな島国が帝国を維持するためのマン・パワーはインドの巨大な人口によって賄われていたのですから。

メモ垣露文

ブリタニアが、インドの擬人化女性を英国軍の外征軍を指揮してきたキッチナー将軍に案内するイラストは20世紀初頭のもの。インド兵は第一次大戦も第二次大戦も英国軍とともに戦います。
1947年から50年にかけてのインド独立により、世界帝国としての大英帝国は名実共に失われ、英国国王も皇帝を名乗らなくなるのです。



1947年の独立はヒンドゥー系とムスリム系の間に凄惨な対立を発生させました。独立を主導したマハトマ・ガンディーが暗殺されたのもムスリムに甘い、と怒りを募らせていたヒンドゥー系の組織によって行なわれたものですし、インドとパキスタンに分離独立した現在でも両国は核ミサイルを向け合っています。
そんな両国では、夜間には閉める国境の門扉をこうして意地の張り合いの場としてきました。でも、ここまで昇華されると様式美となりますよね。