感想など

この映画は相撲道を志した若者、勝負の世界の荒波にもまれ、艱難辛苦の中で、よい先輩や仲間、そして想いを寄せている親方の娘のあたたかな声援を受け、本場所で宿敵の関脇の先輩力士勝つというスポ根に親方の娘との恋愛感情を加えた娯楽映画として作られたものであった。

 

戦時下の「欲しがりません勝つまでは」という国民に対する忍耐を啓蒙した国策的意味が込められていて名作でも傑作ともいえないが、当時の相撲への見方や歴史が興味深いものではある。製作にかかわったメンバーがすごい。脚本が「黒澤明」カメラは「宮川一夫」主演「片岡千恵蔵」とある。

 

昭和19年3月公開の作品である。太平洋戦争中、そんな余裕があったのかとも思われたが大相撲は特別だったのだ。調べてみると当時、野球や競馬は中止だが相撲はやっていた。兵隊に招集され戦地で戦い亡くなった力士はいたが、力士は天皇に奉仕する兵士的国民であり、皇軍の兵士ヘの慰問活動員でもあった。皇室と相撲の結びつきは続く。戦後もすぐ相撲は再開された。現在でも天覧相撲は行われ、千秋楽には国歌が歌われ優勝者には天皇杯が授与される。

 

1920年代は思想伝導として、1930年代は軍国主義と結びつき国策の一環として相撲は持ち上げられた。だから相撲協会長は歴代陸海軍大将が務めた。昭和19年5月場所は国技館が風船爆弾工場となったため後楽園で開催し、7~8万の観客に沸いたという。さすが昭和20年に入ると空襲で相撲部屋が焼かれたが両国国技館が焼け残ったため6月は非公開、11月は本場所(進駐軍慰安も兼ねて)が復活した。

 

明治維新となり、江戸時代から続いた大相撲は危機を迎えた。「ちょんまげは文明開化に逆行する。裸は野蛮だ。そんな風潮から「散髪脱刀令」「裸体禁止令」など発布された。この映画の冒頭も「櫓太鼓は安眠妨害」「相撲は旧時代の遺物」と鹿鳴館が「相撲全廃」ののろしを上げたのだ。しかし、相撲取りや相撲関係者は相撲復活に創意工夫をこらして面白い相撲を目指し奮闘していたことが窺える。

 

戦時下の作品だけに片岡も羅門も40歳を超えた年齢であり、体もそんなに大きくない。土俵上の熱戦もいかにも芝居じみていて真迫感はない。ただ、岸井明だけはかっての日大相撲部と出身ととのことで相撲取りの感じもあった。岸井は戦後古川ロッパと組み歌える映画スターとして売れたのを覚えている。

 

見ていると現在の相撲との違いがよくわかる。明治の相撲は春夏二場所で川柳にある「一年を20日で暮らすいい男」どおりだったが、巡業は戦地を含め頻繁にあったようだ。開催場所は屋外で筵塀で囲んでいる四本柱の土俵で柱を背に審判が座っている。贔屓力士が勝つと座布団投げがあるが、当時は帽子や衣類、財布など土俵に投げていて面白い。

 

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タイトル                    鹿鳴館時代の相撲全廃風潮

 

きよに富士ノ山と名前をつけてもらう  兄弟子大綱は粗暴だった

 

玉ケ崎が稽古をつけてくれた      富士ノ山デビュー

 

関取になる                 きよは上方へ嫁に行くと告げる

 

大綱と対決する富士ノ山         勝って沸く相撲場所

 

日本一!と叫ぶきよ           横綱姿の土俵入り

 

あらすじ

明治初年、西洋文化を理想とした鹿鳴館時代には相撲は旧時代の遺物として全廃せよとの風潮が広まる。しかし、相撲部屋の親方衆の中には「相撲の勝負を面白くして観客を増やしたい」と望む者もいた。そんな中、相撲取りを目指し上京した竜吉(片岡千恵蔵)は、白玉部屋に弟子入りを志願したが夫婦喧嘩の最中でつっけんどんにされ、別の黒雲部屋に入門した。そこの親方の娘きよ(市川春代)から日本一の関取になるよう「富士ノ山」の四股名を付けてもらう。

 

黒雲部屋には小結の兄弟子大綱(山口勇)が部屋頭で、親方の娘きよの婿になって部屋を継ぎたい野心があった。ただ、大綱は粗暴で勝つことのみが相撲だと思っていて弟弟子たちにはつらく当たっていた。富士ノ山は一本気で強情だったため大綱から憎まれ、とうとう稽古を付けてもらえなくなる。困った富士ノ山に手助けしたのが、黒雲部屋系統の白玉部屋の部屋頭玉ケ崎(羅門光三郎)で、見込まれて稽古を付けてくれた。

 

明治18年、富士ノ山は関取になった。白玉部屋の親方が急死。玉ケ崎が稽古中に骨折し引退して部屋を継いだ。玉ケ崎は親方になり富士ノ山を黒雲部屋から引き取り育てたく申し入れて移籍させた。きよは恩知らずと富士ノ山を罵った。

 

明治22年富士ノ山は番付もだんだんと上がり、相撲茶屋にも招かれるようになる。そんな中人力車に相乗りした女性をきよに見られ、きよは親からの縁談を承知して上方へ行く決心をする。そして明治23年春場所ついに関脇大綱と対戦することになった。大綱は大関を目の前にしているため贔屓筋は、八百長を画策したが富士ノ山も大綱も蹴った。ついに大綱と富士ノ山は対決した。そして富士ノ山は大綱を倒したのだった。見に来ていたきよは富士ノ山に対し、「日本一!」と叫んだ。