「雨の日は雨を聴く。五感を使って全身で瞬間を

    味わう。雪の日は雪を見て、夏は暑さを、冬は

    寒さを。毎日がよい日とはそういうことか」

       (「日日是好日」から典子の言葉 )

感想など

ごく平凡な女性の10歳頃から44歳頃までの歩んできた生きざまと心の成長をまつたりとしたテンポで描いた映画だ。特に20歳から24年間やったた茶道のお稽古の分かりやすい実態教える先生との師弟関係、友人や仲間との交流を克明に描写し悩み悲しみ喜びながら前向きに生きる様子が共感できる作品である。

 

主人公の典子さんは自身が言うように不器用で気が利かず、自分がやりたいこともハッキリせず、大学を卒業しても正式な仕事もせずバイト暮らしである。10歳の頃観た映画「道」は訳が分からず20歳で再度見てやっと感動したというノンビリ者。また、30歳で受験した就職試験に落ち、結婚直前に彼氏の裏切りで破談(1年後新たな恋人ができるが・・)になるというもの。そんな彼女だが20歳の時、親の勧めで「茶道教室」に従姉と一緒に通うこととなる。特にお茶が好きでもなかったが、なんとなく通い続けていたが数年も続けていると自分の意識に変化が起こる。雨や湧き水の音とお湯の音に違いがあると気づく。

 

映画を見ていると「茶道」は、事細かに行う全ての仕草が厳格に定まっていて、その通りやることが求められる。その所作には意味や理由がなく頭で判断する余地はない。繰り返しそのしぐさをやって自然にそのしぐさが出てくることを求めている。自然にできることによってそこから茶道の精神が分かるというのだ。

 

今のコロナ禍では、マスクや手の消毒、三密を避ける行動には理由や意味があっての所作や行動である。茶道はお茶を立てて飲むという目的があるものの、ふくさの折り方帯へのはさみ方、お茶碗の拭き方、水差しの運び方、一畳を六歩で歩くなどなど、こまごまと決まり通りやらなければならないかが理由や意味がないところが面白い。

 

彼女と対照的なのが従姉の美智子である。一緒に茶道教室には通うのだが、卒業後は貿易商社に就職。そして実家でさっさと開業医とお見合いし結婚。30歳では2人の子持ちでもある。先を見据えて考えて行動している。典子はバイト暮らし、結婚に破局し、茶道でも後輩に追い越され、10年やってもまだ先生に注意されている。しかし、24年間もやっていると最初に見た扁額の「日日是好日」の意味がやっと分かる。

 

主人公を演じる黒木華さんは、そんなまったり感のある不器用で気が利かない女性を上手に演じている。美智子役の多部未華子さんもそれなりにハマり役だった。そしてなによりも茶道の先生を演じた樹木希林さんは存在感が抜群だった。希林さんはこの作品が遺作となったが、数々の素晴らしい作品群は沢山ある。

 

「日日是好日」とは、茶席での禅語である。出典は唐の禅僧雲門文偃の「雲門広録」である。意味は「毎日がいい日」ということである。本映画ではいくつかの掛け軸があって「不苦者有知」の意味は「どんな逆境にあっても智恵があれば乗り切れる。だから順境にあっても智恵を磨くことが大事」という意味。また、「雨聴」は、雨の日は雨を聴く。五感を使って全身で瞬間を味わう。雪の日は雪を見て、夏は暑さを、冬は身の寒さを。であって「日日是好日」の毎日がよい日とはそうい意味だと主人公は解釈した。

 

画像

  

タイトル                    お茶を習ったらと勧める母

 

表千家の武田先生            茶室の扁額

 

事細かに説明               夏の釜

 

茶碗の拭き方                湯の汲み方

 

冬の釜                    将来を話し合う典子と美智子                  

 

初釜で楽茶碗を見る先生        後輩が入った

  

美智子は見合いするという        美智子は結婚して子供もできた

 

典子は注意される             結婚三か月前に破談の典子

 

苦を思わざるは智ありの説明     先生の一期一会の説明

 

典子の父が急死              先生も悲しみを共感してくれた

 

雨の日は雨を聴く             日日是好日の意味を納得する

 

あらすじ

東京に住む典子(黒木華)は、10歳の時両親に連れられて「フェリーニの道」という映画を見た。暗い映画で内容も分からなかった。ディズニー画見たかったのに。

 

1990年20歳になった。大学の学友は就職を考えているのに典子はどんな道を進むか全然分からない。そんな時、同じ大学生で一人暮らし従姉の美智子(多部未華子)が泊まった際、(郡山冬果)が「お茶を習ったら」と言ったのがきっかけで、近くの「表千家茶道教室」の武田先生(樹木希林)のところへ通うことになる。

 

学生なので土曜日に習う事に決めた。教室の和室には「日日是好日」の扁額が掛けてある。初日は「ふくさ」の折り方、帯へのはさみ方、「なつめ」の清め方、お菓子の食べ方、抹茶を飲み終わったときは音を立てて飲むなど教わった。次回は「茶筅通し」「布巾のの折り方」「茶碗の拭き方」など教わる。次はお茶のたて方(お点前)「水差しの運び方」「歩き方(一畳は6歩)」「窯から湯の汲み方」など説明を受ける。そして「お茶は形なの。まず形を覚え、やっているうちに心を入れる」と。

 

二か月後、「習うより慣れよ。稽古は回数、手が勝手に動きます」と武田先生。夏休み美智子は海外旅行のため典子ひとり通う。そのうち典子は操られるように手が動いた。不思議と気持ちよかった。五か月後、今度は冬のお茶ということで、炉のお点前になった。「夏のお茶の作法は忘れていい。気持ちを切り替えてください」と武田先生。全て振り出しに戻ったので典子はいじわるされているようにも思えた。

 

美智子と典子は江の島海岸へ行く。美智子は商社へ就職希望。典子はそんな希望はない。こどもの頃見た「道」という映画を改めて見たら凄く感動した。美智子は「お茶もそういうものかも」と言う。「典子はお茶が好きでしょ」「好きじゃない」「素直じゃない」とそんな会話。正月は初釜だった。大きな庭園の中で大勢の人が集まった。二人は武田先生と一緒に出た。武田先生の所作は丸みがある。楽焼のお茶碗を丁寧になでながらほれぼれと鑑賞する。

 

二年経過し、二人は大学を卒業。美智子は貿易商社に就職し、典子は出版社でバイトした。武田教室には後輩が入った。主婦・婦人警官・美容師の方々。しかし、二人は知らないことが多く霧の中である。ただ、雨音・湧き水の音とお湯の音の違いを感じるようになった。水音はキラキラし、お湯はとろとろと心と身体にしみ込んだ。

 

大学を卒業して3年経過。典子は実家で開業医と見合いし結婚してお稽古は辞めた。私は宙ぶらりんなので出版社の入社試験を受けることにしたが、結局、落ちてしまいフリーライターと言うこととなる。典子は30歳となる。教室に高校生が入った。彼女は素質があって、すぐに先輩の間違いを指摘する。典子は10年もやっているが不器用で気が利かない。結婚を前提の彼氏が出来たが、相手の裏切りを知り破談にした。悲しくて 三か月稽古は休んだ。

 

それから1年後の33歳、彼氏ができ恋もした。と同時一人暮らしをすることとにした。武田先生は弟子たちの前で「お茶事をすることを真剣にやりなさい」と「一期一会」の言葉を説明した。お茶事をしても同じ日はニ度とない。その人と会うのも一生に一度かぎりかもしれないと言う意味らしい。

 

そんな時、母親から電話があり父が倒れという。見舞ったが4日後亡くなった。人生で生きるとはいつも突然の事が起こる。あとは時間をかけてその悲しみに慣れるしかないと典子は思う。武田先生も一緒に泣いてくれた。茶室の床の間には「雨聴」の掛け軸。「雨の日は雨を聴く五感を使って全身で瞬間を味わう。雪の日は雪を見て、夏の暑さ、冬は実の寒さを・・」「日日是好日(毎日がよい日)」とはそういう意味だと納得した。

 

そしてお稽古を始めて24年経過した初釜の日。武田先生は「毎年同じ事の繰り返しです。でも同じことができるのが幸せです」と述べる。典子は、世の中には直ぐに分かるものとわからないものの二種類がある。分かるものは直ぐ通り過ぎればよく、分からないものは少しづつ時間をかけて少しづつ分かってくるのだと納得した。「道」という映画には今はとめどなく涙を流している。武田先生は「教えることで教わることがあります」とも述べた。典子はここからが本当の始まりかもしれないと思った。