「自分にとって学校は存在理由がない。自分にとって

           図書館と古本屋さえあればそれで十分だった」

               (司馬遼太郎の言葉)

あらすじ

奈良県高陵町立図書館で働く吉井さくら(小芝風花)の自宅は天神社の中にある。父親は天神社宮司の吉井満彦(内場勝則)で、家族は母と弟の4人である。さくらは大学卒業時、人と接することが苦手だったので銀行や商社を避け、司書資格を生かして近くにあった図書館に就職した。

 

読書好きの祖母に育てられ、さくら自身本好きだが、地図や辞書・図鑑などの知識に興味があり、小説のような感情で構成された創作ものは興味ない。レファレンス(相談)を担当したとき「泣ける本」との相談に「西洋拷問器具辞典」を出し、子供から「王子様の本」と相談されると「どこの国?」など答えて、先輩司書から「全然わかってない」と呆れられる。ただ、地域の史跡や地理には詳しくそれを生かせと言われる。

 

そんな中、図書館で何時間もぼんやり過ごす老婆芦高礼子(香川京子)から古い写真を見せられる。彼女は50年前に裏切った人がいて、その人に謝罪したいが、写真の場所に行けばその人に会える可能があり、訪れたいと言う。それが葛木坐火雷神社(笛吹神社)解りさくらは地図帳を貸す。次は天神社、その次は葛城一言主神社で、さくらは現場へ案内した。そんなサービス過剰に先輩たちは「ズレズレのズレ子だ怒られる。

 

しかし、懲りずに「高田川の千本桜」「竹内」にも案内すると司馬遼太郎の「街道をゆく」の竹内街道の話になり礼子は小説が好きだと語る。さくらは「歴史小説は史実と違う想像だ」と言うと礼子は「人生を現実と違う結末にするのもいいじゃないか」と答える。それを聞き小説から人生が分かるのかと思いつき読みたくなった。そのため「竜馬がゆく」借りて休日に読むことにした。

 

帰宅途中、村上春樹の「海辺のカフカ」の登場人物田村カフカに似ている青年(横浜流星)をストーカーと勘違いしてしまう。あわてて自転車をこいだため、転んでケガをして帰るが、「竜馬がゆく」の1巻を落としてきた。しかし、翌日、青年が落とした本を持って来てくれた。次は天然記念物のどんずる峰へ行く。さくらが「50年前なので、相手の人はわすれているのでは」と言うと「さくらさんには嫌いな人がいないのね」と答え夜明けの歌を口ずさんだ。

 

次の写真は、さくらも他の職員も見当のつかない場所だった。休日さくらは写真を見ながら4-5箇所鳥居のある場所を自転車で探した。式内大社当麻山口神社では泣ける本をさがしていた高校生と会う。拷問辞典は面白かったと言い。翌日、弟から受け売りの泣ける映画のビデオを貸した。

 

翌日、図書館にさくらが落とした本を届けた少年が来た。「高校教師だった祖母が入院したので祖母の読む本を借りたい」という。別の職員が対応して「写真集」や「森茉莉のエッセー」など選んだ。青年は芦高幸介と名乗ったのでさくらは驚く。さくらが病状を聞くと長くないという。後日、さくらは病院を訪ねた。

 

病院には幸介もいて礼子は理由を「教師の頃、高二の教え子に慕われ、卒業後、教え子はカメラマンになり、たびたび誘われてこの地域を二人で散策して写真を撮った。教え子から愛を告白されたが、私は見合いして嫁いだ。50年してその教え子の様子を見たくなってこちらに来た」とのこと。

 

その夜、見た写真が大臣賞になったと聞いたので、図書館の古い新聞を調べるとなんと写真を撮ったのが図書館の嘱託職員田中草一郎(森本レオ)と判明。礼子は田中に会いに来ていたのだと分かった。そこでさくらは急遽、田中の家を訪ね「会ってやってほしい」と頼んだ。しかし、、田中は「あなたは知識が豊富だが、知識は想像力を開ける道具だ。想像に蓋をする知識はない方がいい」と怒鳴って拒否した。

 

そんな田中だったが、病院からススキ原に外出した礼子と幸介のところへ訪ねてきて50年ぶりに対面した。そしてまもなく礼子はなくなり地元に墓地を作った。田中は墓前に中河与一の小説「天の夕顔」を供える。しばらくして図書館に幸介が訪ねてきて、「こんどは俺と写真の場所を回ってください」とさくらに頼んで映画は終わる。

 

感想など

新米図書館司書が、自己本位の行動で周りから「ズレズレのズレ子」とか「偏屈」とか言われている。しかし、ある老女との出会いで少しずつ人の心の複雑さやどのように接したらいいかを学び成長する過程をコミックタッチで描いている。ジョークに斬新さはないが洒落た可笑しさはある。多少オーバーな表現なので、その点を面白く見るか、つまらなく見るかで作品の良し悪しが分かれると思う。

 

さくら司書さんは、理詰めで几帳面、適応障害に近いような感情欠如とも思える行動だ。文学の小説は感情で構成された創作物で、真理や事実と相容れないものとして信じていない。たしかに理屈で割り切れない曖昧模糊としたものは分かりづらく難しい問題が多いことも事実だ。ただ、そういう気持ちは誰にでもあるが、さくらさんは極端にそれを信じ込んでおり、間違いなく「ズレズレのズレ子」なのだ。ただ、そこの極端さが映画と言う創作物の所以であり、それを見るところが楽しく愉快な一面ともいえる。

 

この映画は、奈良県の大和高田市・御所市・香芝市・葛城市・広陵町の五市町で構成する葛城地域観光協議会が作った振興シネマプロジェクトが製作した半官製の真面目な作品なのである。だが、お堅い面をできるだけやわらげようとヒロインを偏屈にしたり、偏屈さを徐々に和らげていく過程をコミック風に工夫している。

 

奈良県内の美しい風景や名所遺跡(笛吹神社・葛城一言主神社・どんずる峯・当麻山口神社など)を舞台にしており、実在の図書館を登場させ地域振興の一面を併せ持たせている。ただ、物語的な展開や筋書き、訴えたい主題は平凡で、まったりした進行と当たり障りのない内容は、人によっては退屈であり、つまらないと思うかもしれない。ヒロインの小芝風花さんは、可愛らしさ抜群でフアンの方にとっては、見ていて楽しいと思われるだろう。

 

 

さくらさんが写真の史跡を案内した老女が入院したことにより、老女の素性が解り、老女がなぜ史跡めぐりをしたのかや50年前の純愛的なロマンスが明らかになるというもの。また、ストーカーと誤解した青年が老女の孫だと分かる。純愛のお相手が、図書館の嘱託職員で、さくらは嘱託職員から「知識では人の心は分からない」と怒鳴られてしまう場面がクライマックスでもある。嘱託職員の手には中河与一の「天の夕顔」という小説が気持ちを象徴するかのようにあった。結局、二人は会うのだがまもなく礼子は死ぬ。しかし、今度は幸介がさくらを写真の場所に誘ってさくらと幸介の未来を予感させて終わる。

 

私は50年以上も前から公共図書館のお世話になっている。特に貧乏学生時代は空いた時間を無料で有効に使う娯楽施設であり、カルチャーセンターでもあった。本を借りたり読むだけでなく、レコードコンサートで、クラシック・モダンジャズなど音楽を聴かせてもらい、16ミリ映画で当時の名作映画をみせてもらい、講演会で著名な文化人の話を聴かせてもらった。当時はコンピューターもなく、本を借りるときは、借りる本の書名を券に記載して借りた。本の検索はカードで、書名カード・著者名カード・件名カードが五十音順にケースに保管されていて、一枚一枚捲って調べたものだ。現在はコンピューターで他館の図書も検索出来て、取り寄せもできるという便利さである。映画のような明るく綺麗で分かりやすい図書館を見ると隔世の感じがする。図書館に感謝・感謝!司書さんににも感謝と応援!

 

画像

 

タイトル                     さくらの勤める図書館

    

レファレンスで真面に答えられない    礼子と出会う

   

古い写真を見せなられる         さくらは場所を知っていた

   

何か所か案内する             親しくなる

   

幸介をストーカーと誤解する        落とした本を幸介が持ってきた

  

分からない場所を発見          幸介は礼子が入院したと知らせる 

  

礼子は50年前の謝罪に田中を訪ねていた  田中は面会を拒否

  

病院を見舞うさくら             田中も礼子に会う

  

礼子は死に「天の夕顔」が供えられる  幸介が写真の場所を巡りたいと来る