「考えてみると愉快な話だ。このせちがらい江戸の
街に(100万両が)転がり出たんだ・・」
「当人の俺にしてみれば、狐につままれたようなものさ」
(「丹下左膳余話 百万両の壺」から左膳と源三郎の会話)
あらすじ
江戸中期、柳生藩二万三千石の当主対馬守(坂東勝太郎)と側近の高大之進(鬼頭善一郎)は、藩の古老から代々宝物とされていた「こけ猿の壺」に初代当主が軍資金100万両を埋めた場所の地図を塗りこめていたことを明かされる。ところがその壺は、一月前対馬守の弟源三郎(沢村国太郎)が江戸の不知火道場に婿入りした際、引き出物として渡してしまっていた。そこで大之進を江戸詰め家老の元に遣わして交渉に当たらせた。
一方、婿入りした源三郎と奥方萩乃(花井蘭子)は、兄から汚い壺ひとつしか貰えなかったことに不満ばかり。そこへ使者の大之進が訪ねて来て壺には三文の値打もないから返してほしいと頼む。それを聞いた源三郎は、腹を立て断った。そこで大之進は百両を用意して出直したが、なにかあると考えた源三郎は大之進を脅かして真相を白状させる。しかし、そのときはもう、萩乃は壺を屑屋に10文で売り払ってしまっていた。
壺を買った屑屋が長屋へ戻ったとき、近所に住む七兵衛(清川荘司)の息子安吉(宗春太郎)に金魚の入れ物として呉れてしまった。そんな七兵衛は、近頃射的の凝っていて、お藤(喜代三)が経営する矢場に通っていた。そんな七兵衛が、無頼漢に因縁を付けられため、お藤の用心棒丹下左膳(大河内伝次郎)が助けるのだが、七兵衛が帰宅途中に殺される。虫の息の七兵衛は、息子の安吉のことを左膳に頼んで息を引き取る。
不知火道場の源三郎は、大之進から百万両の価値がある壺と聞き、売った屑屋を探しに街を回ることになる。しかし、お坊ちゃま育ちの源三郎は壺を探すことよりも江戸市中を自由に出歩けることの方が楽しみだった。また、左膳とお藤は息子の安を訪ね見つけて自宅へ連れてくる。父親が死んだことを伝えしばらく預かることになった。安は金魚を入れた「こけ猿の壺」を持参する。
そんな中、源三郎はお藤の矢場に来てのんびりと射的に興じる。矢場に居る左膳とも知り合いになり、自分が屑屋に売った100万両の「こけ猿の壺」を探していることを話す。「考えてみると愉快な話だ。このせちがらい江戸の街に転がり出たんだ・・」と左膳は面白がる。そんな話をしながら安の金魚が死んだため、左膳と安が釣り堀に行くと言うので源三郎も同行する。金魚釣りを興じているとき、源三郎の家来が屑屋を見つけたと知らせに来た。源三郎は急いで屑屋を訪ね家探しするが壺は見つからない。そこへ戻った屑屋から左膳の家にいた安が持っていた金魚の壺が「こけ猿の壺」だと気づく。
翌日、源三郎が家を出ようとすると萩乃は家から出てはいけないと申し渡す。それは昨日に源三郎が金魚釣りをしているところを萩乃に目撃されたからだった。萩乃の信用を得るため「実は壺を見つけた」と言うのだが、萩乃は信用せず外出を禁じた。そのため自邸の池で鯉の釣りで我慢する。
源三郎とは別に柳生家の江戸屋敷でも壺を探していて、江戸市中にビラを貼りだした。そんな中、安吉が両替屋の子どもとメンコをして両替屋の子どもから小判60枚をせしめてしまった。お藤に叱られて小判を両替屋に返しに行くところ悪者に盗られてしまう。両替屋は怒ってお藤に60両を返せと迫る。それを聞いた左膳は、明日の晩までに返すと返事をしてしまう。
急に60両は調達できないお藤と左膳。左膳は博打をするが儲からない。そこで道場荒らしでもして稼ごうと不知火道場を訪ね、次々と門弟を打ちのめす。道場では腕の立つ門弟は皆負けてしまい主人の源三郎にお鉢が回ってくる。渋々道場に出てきた源三郎と左膳は顔を合わせて双方が驚く。急に元気を出した源三郎は、立会中に負けてくれと左膳に頼む。
左膳は60両貰うことで試合に負ける。源三郎は妻と門弟に自分の威信を示して得意になっている。その際、源三郎は金魚を入れた壺が百万両の壺だと明かす。驚いた左膳は早速家に帰り壺のことを聞くと安吉が壺を柳生家に1両で売りに行ったと知らせる。慌てて左膳は安吉を追いかけ壺を取り返した。
矢場へ来た源三郎は「この壺が百万両とはウソのようだ。壺が見つかるとわしは浮気が出来ぬ。当分貴様に預けておく。今日は射的がよく当たる」と機嫌がいい。傍には左膳と安吉がいて、お藤の歌が始まる。
感想など
・ この映画は、原作(林不忘)のもつニヒルな丹下左膳をパロディ化し、コメディにしたもので、原作者の抗議を受けて題名は「丹下左膳余話・・」としています。そこがユニークであり主役の大河内伝次郎の名演と共に物語のスピーディな展開や音楽、構成の意外性が面白く名作と言われる所以です。
・ 矢場を経営する粋で歯切れのいいお藤と夫兼用心棒の左膳が繰り広げる全然噛み合わない会話。しかし、お互いに口とは別に行動して助け合っている。一方、源三郎夫婦の白々しい気遣うような会話。しかし、口とは別に行動は噛み合わないという対照的な姿がどちらも可笑しい。
・ 父親を殺された安坊という子どもを成り行きで引き取ろうという左膳に、あんな汚い子は引き取りたくないと言い張るお藤。そんな会話をしていて、いきなり子どもが座敷で食事をしている場面に変わったり、竹馬なんかダメですと叱りつけた後、竹馬に乗せて遊ぶという、お藤の口と行動が違う意外性に思わず吹き出してしまいます。
・ 大名家の次男坊として生まれ、町道場の養子に入った源三郎という男のキャラクターが面白い。おおらか・のんびり・のどかとでも言おうか。百万両は欲しいと思っていながらも、町に出れば矢場の射的にのめり込み自由を謳歌。百万両など、どうでもよく射的に打ち込む幼児性が愉快です。
・ 安坊の金魚が死んで、安坊・左膳と源三郎釣り堀に出かけ、釣りながら壺のことを話しています。そこには安坊が持ってきた「こけ猿の壺」が目の前に置いてある。それを誰も気づかず、金魚釣りに興じている有様はまさに「知らぬが仏」の面白さ。
・ お藤が歌うのは「新内」か「都都逸」かわからないが、江戸情緒にぴったりだし、射的の命中したガラガラポンの音響が素朴で心地いい。東海林太郎の主題歌、三味線太鼓の響き、のどかで単調な音楽が現代感覚からほど遠い別世界の情緒があります。
・ 片手片腕の異様な風体の丹下左膳が、無類の強さを持ちながら、反面無欲で陽気で子煩悩、気が優しくてお人好し、お藤の尻に敷かれている、そんなコミカルな姿がアンバランスで愉快です。
・ 安坊の不注意で60両のお金が必要になり、源三郎の道場とは知らず左膳は道場破りをします。左膳は相手が源三郎と分かり、60両でわざと負けて源三郎の威信を高めてあげるのです。威信を回復した源三郎は大手を振って「壺」を探しに出掛けられるようになります。そして射的に興じて気ままな暮らしを楽しみます。壺が出て来てくると源三郎は外出できなくなるので、壺は当分左膳が預かることになります。
・ 結局、「こけ猿の壺」に100万両のあり場所を書いた絵図面が塗り込まれているかどうかは分からずにこの映画は終わります。「こけ猿の壺」というお宝の有無は映画の主題ではなく、お宝を巡る人間模様が主題でした。
・ この映画は、まさに日常性からかけ離れた戯画的な世界を堪能させてくれます。それも時空を超えたバーチャルな空想の世界ではなく、チャンとお藤の家に集まった使用人や左膳・安坊という庶民的なアットホームな家族とどことなくギクシャクしている源三郎の夫婦生活はよそよそしい仮面生活のようにも見えるのです。とにかく折に触れて見ているので、10回以上は見ています。(笑)
GALLERY
タイトル 柳生藩の古老は壺の由来藩主にを明かす
壺は藩主の弟源三郎へ引き出物として渡していた 壺は屑屋に売られ、屑屋は安吉にやってしまう
安吉の父七兵衛は、お藤の矢場へ通っていた 七兵衛は無頼漢に殺され、安吉を左膳に頼む
源三郎は屑屋を探す名目にして矢場で遊ぶ お藤と左膳は安吉を引き取る
壺の中に金魚を入れている 金魚を得るため安吉・左膳・源三郎は釣堀で釣りをする
源三郎の妻萩乃は源三郎が遊んでいるのを見付ける 萩乃は源三郎に禁足させる
柳生藩江戸屋敷では、壺の回収ビラを街に貼る 安吉が60両を盗られ、弁償しろと両替屋が来る
博打で取ろうとしたが勝てない 道場破りを企てる
源三郎の道場と知り、源三郎に負けてやる 安吉は壺を柳生藩に売ろうとする
源三郎は威信を回復した 壺を探す名目でまた矢場で遊ぶ源三郎
お藤の歌 壺はしばらく左膳が預かることとなる