人を愛するということは、知らない人生を
                          知るいうことだ。(灰谷健次郎)
 
あらすじ
ふうちゃん(原田晴美)は、小学6年生。父(河原崎長一郎)と母(大空真弓)が経営する「沖縄亭」という沖縄料理店の手伝いをしながら通学している。
両親は沖縄が米国に占領されていた昭和38年に親たちが許さぬ結婚で、逃げるように沖縄から神戸に出て来て店を出した。
父は昭和20年の米国との戦闘を体験していて、そのトラウマから幻覚の発作をときどき起こしていた。原因は、目撃した女子挺身隊の集団自決で、その人たちが歌った「旅愁」の合唱を聞いても発作が出る。
ある日、「沖縄亭」の常連客のギッチョンチョン(石橋正次)が、キヨシ(当山全拡)を店に連れてくる。キヨシは反抗的でなじめなかったが、その夜ギッチョンチョンのお金を盗んで逃げてしまう。
後日、ふうちゃんはキヨシを見つけ、ギッチョンチョんへお金を返すことを約束させる。そしてキヨシを「沖縄亭」で働くことを勧め承諾させる。
キヨシは沖縄にいたころ父は、不発弾を掘っていて死亡。母は姉とキヨシを残して家出していた。そのことからキヨシは母を憎み、母が尋ねてきても母を追い返していた。
そんなキヨシを見ていたふうちゃんの父親は、キヨシと一緒にキヨシの母に会いに行き母からキヨシを見捨てた理由を聞きに出かける。母は生きるためやむを得ず米国の兵隊の世話になっていたことを語る。
そんなキヨシは、昔の不良仲間からリンチを受け、沖縄の悪口を言われて怒り狂い、不良仲間をキズつけてしまう。キヨシも重症で入院したが、入院先に警察官が取調べに来る。
警察に対しキヨシは沖縄の悪口を言われたとケンカの弁明したが、警察は「法律に沖縄もくそもない」と言ったので、その場に居合わせていた右腕を戦争で失ったロクさん(松田豊昌)が怒って、上着を脱ぎ右腕を見せて主張する。
沖縄では、女も子どもも老人も、死ねと言われて死んだ。お前は子どもを始末しろと言われ、自分の赤ん坊を両手で殺した。警察は法律の前には沖縄もへったくれもないと言うけれど、失業も進学も日本では最低なところだ。そのことを知ってる本土の人は何人いる。右腕のない俺に手錠が掛けられるか」と述べると警察はすごすごと引き下がって帰った。
キヨシの容態もよくなり、ふうちゃんは親子3人で、両親の故郷「波照間」へ旅行しようと計画する。出発前「沖縄亭」でパーティをすることになったが、その夜父は「僕の頭のキズは治らない」と遺書を残して自殺する。やむなくふうちゃんは、母と一緒に父の遺骨をもって沖縄の「波照間」に出かける。
父の故郷の家からふうちゃんは海岸へ向う道を泣きながら走って行く。
 
感想など
1 太平洋戦争の末期、沖縄は米軍との激しい戦闘後米軍に占領されている。その占領中に、朝鮮戦争・ベトナム戦争が起こり、沖縄は米軍基地としての役割を担わされた。
昭和47年に沖縄は日本に復帰したが、現在有る普天間飛行場は、市街地に隣接し危険なため名護市辺野古沿岸へ移転する計画が出来ていた。
平成21年鳩山内閣が、国外・県外移転を模索したが、米国の同意は得られなかった。平成22年菅内閣と米国が日米共同宣言で、辺野古移転と負担軽減の合意をしたが、沖縄県民の同意は得られていない
 
2 この映画で「沖縄亭」の客は沖縄の気持ちをたくさん述べている。
「沖縄の人間が本土に来て、苦労するのは言葉だ。自殺した者もいるくらいだ」
沖縄はいつも犠牲になってる。江戸時代は薩摩の奴隷。明治政府は差別をした。大戦のとき三人に一人は死んだ。戦後は米国の基地だ。そんなこと本土の人はなにも知らん。」
「昭和のはじめ頃は、貸家に琉球人はお断りと書いてあったんや」
 
3 この映画は、灰谷健次郎の児童文学を原作にしている。映画の中に昭和50年代の神戸市や沖縄の風景がたくさん出てくる。また、中等教育唱歌集の「旅愁」が随所に歌われていて懐かしく、また哀しい。
  更け行く秋の夜 旅の空
  わびしき思いに 一人悩む
  恋しや故郷 懐かし父母
  夢路たどるは 故郷の家路・・・・・・・・
 
4 私にも戦争のトラウマはあった。東京大空襲のときは3歳だった。防空壕から祖母に背負われ、B29の空爆の爆音。焼夷弾の破裂音。降りかかる火の粉。貯水池に浮かぶ焼死体。空襲のさなか泣きながら逃げた経験は鮮烈だった。
 
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    「沖縄亭」で客達が沖縄の歌を歌う                女子挺身隊の自決場面イメージ 3   イメージ 4
  ロクさんは警官に沖縄の苦悩を説明する       ふうちゃん家族の旅行パーティでの歌イメージ 5  イメージ 6
      ふうちゃんの父の遺書             波照間の海岸へ向かって走るふうちゃん