「明日も明後日も50年先だって夕日はきれいだよ」

                 「そうだといいな」

                (ALWAYS 三丁目の夕日」から一平と則文の会話 )

あらすじ

昭和33年、東京タワー(建設中)が見える夕日町三丁目が舞台()鈴木オートを経営の鈴木則文(堤真一)家には妻トモエ(薬師丸ひろ子)、長男一平(小清水一揮)の三人所帯。使用人が居つかず今年は、青森から集団就職で東京に出てきた星野六子(堀北真希)を雇い入れた。六子は東京に憧れていたので、連れてこられた所が、ボロ工場なので落胆する。

 
一方、鈴木オートの向かいにある茶川商店は駄菓子屋で、主人の茶川竜之介(吉岡秀隆)は、小説家志望で、実家を勘当され叔母が営んでいた茶川商店に転がり込んできたのだ。その叔母は5年前に亡くなり、今は一人でやっている。文学コンクールはいつも落選で最近は児童文学に転向している。

 

近所で居酒屋を始めた石崎ヒロミ(小雪)は、以前踊り子だった。そんなヒロミに踊り子仲間だった女が男の子を残して出奔してしまった。その女はヒロミに男の子の養育を一時的に頼んでいたのだ困ったヒロミは、飲みに来ている茶川に男の子古行淳之介(須賀健太)を押し付けてしまう。淳之介を預かった茶川は当初邪険にしていたが、淳之介が茶川の書いた児童小説のファンだと分かりいくらか同情するようになる。ヒロミも時々来て様子を見てくれた。

 

一方、六子の特技を自動車修理と誤解していた則文は工具の名称も知らないので、特技が嘘の申告だと思い腹を立てる。六子も町工場をビルだと知らされていたので、社長こそ嘘つきだと言い返す。そこでカンカンになった則文は、逃げる六子を追いかけて茶川商店に駆け込む。六子の荷物を道路に投げ出して出て行けと怒鳴ったが、自転車修理を自動車修理と誤解していたのは則文の方だと分かり、謝罪することになる。

 

鈴木家では、当時三種の神器と言われた「白黒テレビ」を購入することとなる。電気店から納入された日、近所の人々や一平の友達は皆鈴木家に集まった。テレビ中継されるプロレスに皆は興奮して食い入るように見続ける。ところが突然、故障してしまい皆はがっかりして帰宅する。また、六子の食中毒を契機に電気冷蔵も購入した。

 

茶川家の居候の淳之介は、学校で冒険小説をノートに書いていた。それを友達は回し読みして楽しんでいる。そのノートを見た茶川は、淳之介のアイデアを盗作して雑誌に載せてしまった。雑誌を読んだ淳之介の友達から茶川が盗作していたことを淳之介は知らされる。バレたことを知った茶川は、淳之介に原稿料の半分を払おうとするが、淳之介は断り嬉し泣きしてしまう

 

ある日、ヒロミは淳之介の母親が高円寺の和菓子屋で見かけたと言う情報を茶川に知らせる。それを知った淳之介は一平に言うと一緒に会いに行こうと誘いだす。都電に乗って高円寺に行った二人だが、和菓子屋の母は居留守を使ったので会えなかった。鈴木家では一平がいないと言い、茶川家は淳之介がいないと大騒ぎ。そんな中、二人は無事に帰り、みんな安心する。そんなヒロミが茶川に「私たち三人で暮らさない」と言い、冗談だと打ち消す

 

クリスマスが来る。過って何も貰ったことのない淳之介に茶川は万年筆を贈る。そして茶川は一大決心をして、ヒロミにプロポーズした。ただ、ヒロミに贈ったの指輪の箱だけ。そのうち中身を贈ると謝る。そんな茶川にヒロミは「付けて」と手を出す。茶川は指輪をはめる真似事をする。ヒロミは嬉しそうに「きれい」と微笑む。

 

ところが父親の入院費で借金まみれのヒロミは翌朝、元の踊り子に後戻りさせられ、どこかへいなくなってしまう。そんな中、淳之介の父親という会社社長が現れて、自分が育てると淳之介を連れて行ってしまう。みんな居なくなった茶川家は元の一人暮らしに戻った。

 

一方、六子には、則文夫妻からボーナス代りの青森行きの切符を贈られる。しかし、六子は自分が親達ら口減らしで捨てられたと思い込んでいたので、切符を返した。切符を返されたトモエは、トモエ宛てに来ていた六子の母親からの手紙の束を見せるのだった。そこには娘を想う母親の優しい気持ちが書かれていたのだ。泣き出した六子は慌てて上野駅へ軽三輪に乗って出かける。

 

一人になって荒れる茶川。ふと見ると淳之介の置手紙。そこには「おじちゃんと暮らして楽しかった」と書いてある。堪え切れない茶川は外へ走り出す。ところがそこへ淳之介が帰って来たのだ。一方、六子は青森行きの汽車に乗り、見送る鈴木一家の軽三輪に手を振る。また、踊り子に戻ったヒロミは茶川から貰った架空の指輪を想像する。そんな人々が眺める夕日は西の空に輝いている。

 

感想など

原作は人気コミック「三丁目の夕日」だそうだ。昭和30年代の東京下町を舞台に町工場や小説家、居酒屋のおかみ、周囲のタバコ屋、電気屋、氷屋、肉屋、医者などがくりなす人生模様が、笑いとペーソスに彩られエンターテイメントである。

 

見直してみてやはり、コミック調なので見ていて愉快である。集団就職の女の子が自動車修理の特技を持つと勘違いするあたりのズッコケはあまりにも滑稽だ。社長のオーバーな興奮や怒り、二階の荷物を道に投げ出すシーンには、大笑いしてしまうがあくまでも落語的な可笑しさ堤真一の真骨頂を見る思いだ。

 

小説家が見捨てられた少年を預かるわけだが、見捨てた親も親で、手紙一枚で預かる居酒屋のママさんもママさんだし、小説家に押し付けるのもどこか作り事めいてしまう。預けられた少年もノーテンキとしか言いようがなく子どもらしくないふてぶてしさに現実味が乏しい。今でいえば育児放棄だし、当時だって適当な相談機関はあったはずだ。ただ、下町のコミュニティ人情には、どこか温かい懐かしさを感じさせるものがある。

 

当時は便利な電気製品がたくさん開発された。有名な「三種の神器」としてテレビ・冷蔵庫・洗濯機がもっとも普及し始めた頃だ。映画では「白黒テレビ」を購入した鈴木家の様子が愉快に描かれている。人気番組はプロレスだ。力道山の空手チョップと外国レスラーの対決に人々は我を忘れて観戦した。たしか駅前広場には、どこでもテレビが置かれ、こぞって見に行ったものだ。

 

赤の他人の子供と同居するようになった小説家と少年の持ちつ持たれつの関係と段々と情愛が深まるという過程が、メロドラマっぽく展開する。それを取り持った居酒屋のヒロミと小説家の恋愛感情も進展する。茶川のプロボーズが洒落ている。お金がないから指輪は箱だけ。中身は原稿料が入ったときに贈ると言うもの。それでもヒロミは、真似事で指輪をハメて貰い「きれい」と喜ぶシーンが微笑ましい。

 

たとえコミックの原作であっても見る者の涙腺を緩ませるツボはちゃんと心得ていて泣かせるシーンが見事だと思う。後半一挙にそれが展開する。茶川がプロポーズした女性の失踪。預かった子どもの父親が現れて、連れ去るシーン。鈴木オートに住み込んだ六子が自分は捨てられたと思い込んでいたのに愛されていたと分かるシーンなどが見るものに涙を誘ってくれる。

 

昭和33年当時の東京下町の様子が克明に描かれていて、懐かしさを感じさせる。上野駅に入ってくる蒸気機関車は「C62」だ。集団就職の様子もどこかで見たような光景である。下町の様子もゴミゴミしていて当時を思い出させ現在のような高いビルは見当たらない。納豆売り、風鈴売り、冷蔵庫も氷を入れたもの、氷を配達する人。なによりも軽オート三輪車が、走っているところは実にいい。映画にはないが当時、大八車やリヤカーや輪タクもたまには見られた。

 

昭和30年代は、こんなにおおらかでコミカルで貧しく、夢と希望にあふれていたのだろうか。たしかにまだ貧しさが溢れていて、貧しさは当たり前だった。ただ、それは過ぎてみて知った感慨としか言いようがない。当時を生き抜いた人間としては、やはり戦後からの脱却と貧しさからの逃避に必死だったことしか記憶にないのだ。うまく出来過ぎているメロドラマだが、どこか懐かしさに満ち溢れている。

 

GALLERY
 
タイトル                       茶川は小説家で駄菓子屋も営む 
ヒロミは元踊子で居酒屋で子どもを預かる 鈴木オートの所へ集団就職の六子が来る 
子どもは茶川が預かることになる      鈴木は六子の技量を誤解していた 
怒り狂う鈴木をとめる家族          テレビの購入に近所が集まる 
子どもは実の母に会いに行くが会えない   戻った子供を心配する茶川 
ヒロミにプロポーズする茶川          空想の指輪を贈る 
六子に青森行きの切符が贈られる     ヒロミは借金の為、踊子に戻る 
田舎に戻れないという六子         子どもの父親が来て連れて行く 
母の手紙を読む六子             子どもは茶川のところへ帰ってきた 
青森へ帰省する六子              夕日を見る鈴木一家