読書の秋


伊万里 本 小皿

江戸後期



秋深き隣は何をする人ぞ


芭蕉



インターネットが普及して、そろそろ人間はインプットを一周した頃でしょうか。


自分の好きな物しか見なくなり、全てが同一化してきてるのは気のせいでしょうか。

インド映画の主人公が西洋人の顔みたいになってたり、ゲゲゲの鬼太郎のねこ娘の顔が可愛い女の子になってたり、車も文章もファッションも、同じ様な物ばかり。


最近、カッコいい物が少ないんですよね〜。



芭蕉が言う、隣は何をする人ぞ。


この言葉が全てを表しているのかもしれない。




『 そんなの関係ね〜〜よっ!!! 』



と言いたい。




のだか、自分もそれに囚われているのだ。




人の世の底知れぬ寂しさも、そこから来てるらしい。



理想的な世界は他者と自分の対立している世界で、これに対して宗教的な世界は自他の対立の無い世界と言える。

自分と他が同一になった所で、初めて悲しみが消えると言う。



対立が無ければ安息が得られるが理想は無く、向上がなければ物足りない。



つまり、振り出しに戻るのだ。



と、言う事で芥川龍之介の


『 秋 』


を読んでみる。


振り出しに戻るのである。