日本アレンスキー協会 第1回例会
「ロシア音楽史におけるアレンスキー」(1) を聴きに行きました.
りんゆうホール,3月7日(日) 14:00~16:00. (JR札幌駅から歩いても近いです)
高橋健一郎先生によるロシア音楽史の講話を中心に,川染先生の追加解説,そして,美しいピアノ演奏,お2人の連弾,高橋先生のロシア語朗読(メロデクラメーション)も織り込んで,とても充実した「第1回例会」でした.このままテレビの教養番組になると思いました.
19世紀以降のロシア音楽史についてのまとまったお話をとてもわかりやすく聴けて面白かったです.
レジュメが配られたので,講話で話されたことを書き込みながら興味深く聴きました.
その内容について,一部ですが,以下のとおりご紹介します:
19世紀前半までのロシアでは,主に,イタリアから音楽家を招いていた.例えば,クレメンティがそうである.クレメンティの弟子に,ジョン・フィールドがいる.(彼は,ノクターンというピアノ曲を始めた人で,ショパンにも影響を与えた.フィールドのピアノの弟子に,グリンカがいる.) そのように,19世紀前半までのロシア音楽界は,ロシアの音楽家が主流ではなかったのである.さらに,ロシアの作曲家の作品が主流でもないし,ロシア的テーマの作品が主流でもなかった.外国人音楽家を招いていた.(タールベルク,クララ・シューマンなど・・・)
さらに,ロシア歌謡も,19世紀前半に生まれている.「赤いサラファン」も1830年代である.「夜鳴きうぐいす」という曲は,ヨーロッパ中に広まり,リスト,ブラームス,ロッシーニも用いている.
グリンカ(1804-1857)はロシア音楽の父と呼ばれている.この頃は,ロシア音楽とイタリア音楽の比は,3:7ぐらいであった.彼は,イタリア遊学で声楽を学び,イタリアオペラに触れた.さらに,ベルリンで学び,帰国後,「ルスランとリュドミーラ」(1842)(プーシキンの詩にもとづく)などを完成させ,「国民音楽」の基礎を作った.その後,パリ,スペインに行き,スペインの民族音楽を用いた管弦楽曲の傑作に触発されて,自国ロシアの民族的素材による交響管弦楽曲の創造を志し,「カマリンスカヤ」を書いた.ロシア民謡が延々と繰り返される曲である.この頃,ロシアではまだ認められず,ロシア貴族たちは,まだ,イタリア・ドイツ音楽を好んだ.
もうひとりのロシア音楽の父は,ダルゴムィシスキー(1813-1869).ロシア語のイントネーションに合わせた歌曲など.後の「五人組」を直接的に指導した.
♪ グリンカ作曲 ノクターン「別れ」 (ピアノ演奏 川染雅嗣さん)
アカデミズムの確立:
アントン・ルビンシテインが,1859年,「ロシア音楽協会」を設立し,音楽教室を開設し,それは,62年にペテルブルグ音楽院に発展.その第1期生がチャイコフスキー.
弟のニコライ・ルビンシテインは,モスクワ支部を創設し,66年にモスクワ音楽院となる.チャイコフスキーは,音楽理論の教師として招かれた.
彼らは,「五人組」に対して,「西欧派」と言われる.
♪ チャイコフスキー「瞑想曲」作品72-5 (ピアノ演奏 川染雅嗣さん)
チャイコフスキーは,毎日の日課として,ピアノ曲を作曲していたそうである.
「五人組」:
ロシアでは,こう呼ばず,「力強い一団」と呼ばれている.素人集団であった.
バラキレフ・・・・リーダー的存在.カザン大学の物理・数学学部に入学するが,1855年にグリンカと知り合い,グリンカはバラキレフにロシアの国民音楽の作曲に身をささげるよう説得した.
バラキレフグループの特徴(音楽評論家スターソフによる): 従来の考え方に捕らわれず,音楽を学校教育に依存せず,国民主義・民族的なものへの志向(反西欧),オリエンタリズム,標題音楽への志向.1872年,バラキレフの心身不調により,バラキレフグループの事実上解体.
ボロディン・・・・化学者.「日曜日の作曲家」と自称し,作品の数も少ないが,多くが傑作.イーゴリ公,交響曲2番など.
ムソルグスキー・・・6歳からピアノを母に習う前にすでに即興演奏をしていた.役人と作曲家の二足のわらじ.ナロードニキ思想にひかれていく.65年,母の死.アルコール中毒から生涯抜けられなくなるが,創作意欲は旺盛となり,「展覧会の絵」など,数々の名曲を残す.
キュイ (注意: 「イ」にアクセント)・・・・辛辣で攻撃的な批評家だった.ラフマニノフの交響曲1番(1897)を酷評した張本人.グラズノフの指揮だった.リトアニア人の母,フランス人の父を持つ.1878年,ペテルブルグ工科大学教授に任命される.築城学の権威.交響曲や交響詩は残さなかったが,多数の歌曲をはじめ,ピアノ曲や室内楽も数多く手掛け,また,合唱曲や管弦楽曲,10曲のオペラなども残している.作風は,他の「五人組」と比べるとあまり民族主義的ではなく,シューマンや同時代のフランス音楽に比すべきものと言われる.
リムスキー=コルサコフ・・・もともと素人(海軍軍人).1861年にバラキレフに出会い,真剣に作曲に打ち込むようになる.海軍に在籍しつつ,「交響曲第1番」,「サトコ」,「プスコフの娘」などを完成させる.1871年に,ペテルブルグ音楽院から作曲と管弦楽法の教授に任命され,73年に海軍職を退く.この頃には,「西欧派(ルビンシテインたち)」と五人組は対立しなくなっていた.リムスキー=コルサコフは,あわてて(?),和声学や対位法を勉強した(笑).
リムスキー=コルサコフを中心とする民族主義的な「革新的」ペテルブルグ楽派と,
チャイコフスキーを中心とする「保守的」モスクワ楽派.
メック夫人あてのチャイコフスキーの手紙(1877)に,チャイコフスキーの「五人組評」が書かれている.
「・・・・彼らは皆非常に才能があるが,・・・恐るべき自惚れと素人的確信・・・・ 最近例外となったのは,リムスキー=コルサコフ・・・・ある夏,彼は,無数の対位法と64のフーガを書き,その中の10曲を私に見てもらうために送ってきました.・・・・・彼は反動から余りにも激しい変換をした・・・・ 彼は偉大な巨匠になるかも知れませんし,結局,対位法の曲芸にはまりこんでしまうかも知れません.・・・・・」 (森田稔「ロシア音楽の魅力---グリンカ・ムソルグスキー,チャイコフスキー」,東洋書店,2008年より)
♪ リムスキー=コルサコフ作曲 3声のフーガ (ピアノ演奏 川染雅嗣さん)
リムスキー=コルサコフは,和声学や対位法を沢山勉強したのであるが,その「勉強」は,リムスキー=コルサコフの場合,作曲の害にはならなかった.作曲の才能というのは,それとは別のものなのだろう.(→川染先生いわく)
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アレンスキー(1861-1906)
1879年にペテルブルグ音楽院に入学して,リムスキー=コルサコフに作曲を師事.1882年,ピアノ協奏曲作曲.1883年,モスクワ音楽院講師に迎えられる.交響曲1番を作曲.モスクワでは,チャイコフスキー,タネーエフ(ロシアのブラームスと言われ,対位法の権威)らと知遇を得,また,ラフマニノフ,スクリャービン,グリエールらを教えた.
1892年,スクリャービンと衝突,けんか別れ. ラフマニノフは,音楽院作曲科を卒業する.
1894年,アレンスキーは,チャイコフスキーの死を悼み,ピアノ三重奏曲第1番を作曲.
1901年,年金生活開始.
1904年,グリンカ賞受賞.(1905年も受賞)
1906年没.
アレンスキーの時代には,ペテルブルグ楽派とモスクワ楽派は接近した.
ペテルブルグ楽派(ベリャーエフ(豪商)・サークル):
グラズノフ,リャードフ,ブリュメンフェリド,ソコロフ,リャプノフ
モスクワ楽派:
タネーエフ,コレシチェンコ,コニュス, (カリンニコフ・・・交響曲が美しい)
両楽派:
アレンスキー,イッポリートフ=イヴァノフ
リムスキー=コルサコフの回想・・・・1890年代に弟子たちがチャイコフスキーのほうになびいていくのを寂しく思っている様子が行間から見える.
♪ アレンスキー,グラズノフ,タネーエフ,ラフマニノフ合作 4つの即興曲 (ピアノ演奏 川染雅嗣さん)
(4人それぞれが,数小節ずつ作曲している, 1896年)
このような合作の例としては,ショパンらのヘクサメロン変奏曲があるが,
これは,各変奏曲を各作曲家が作曲している.
アレンスキーの作品:
ピアノソロ曲
カンティレーナ的,エチュード的,
バロック的(バッソ・オスティナート(5拍子)などの古いリズム)
ピアノ協奏曲,リャビーニンの主題による幻想曲(ブィリーナ(叙事詩)の使用)・・・YouTubeで聴ける.
2台ピアノ・・・・・5曲とも成功している.(明らかに,ラフマニノフに影響を与えた)
子どものためのピアノ連弾
歌曲,室内楽,交響曲,オペラ3曲,合唱曲,聖歌(ロシア正教会),
メロデクラメーション,バレエ音楽,劇音楽・・・・
♪ アレンスキー ロマンスop.5-3 (ピアノ演奏 川染雅嗣さん)
♪ アレンスキー 子どものための6つの小品(連弾)より,
「ロシアの主題によるフーガ」op.34-6 (ピアノ演奏 高橋&川染)
この曲の主題は,ウクライナ民謡「つる」で,
チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」第4楽章にも用いられている.
アレンスキーの教育活動:
次の世代を育てた.
主な弟子: ラフマニノフ,スクリャービン,グリエール,グレチャニーノフ,コニュス兄弟,
ゴリデンヴェイゼル,イグムノフ,ゲディケ・・・・
♪ ラフマニノフ 前奏曲op.3-2「鐘」・・・・師のアレンスキーに献呈された.
♪ スクリャービン 左手のためのノクターンop.9-2 初期の作品.左手だけで演奏される.
(以上2曲,川染さんが演奏)
他の芸術ジャンルとの関わり:
「メロデクラメーション」
♪ アレンスキー作曲 「ああ,薔薇は美しかりき,鮮なりき・・・」op.68-1 (詩: ツルゲーネフ)
(ピアノ:川染さん, ロシア語の詩の朗読:高橋さん)
詩を朗読に合わせて,ピアノ演奏 ・・・・・楽譜の上に詩が書かれている.
トルストイ(1828-1910・・・没後100年である)とアレンスキー
トルストイは,タネーエフやゴリデンヴェイゼルと親しかった.
ゴリデンヴェイゼルは,トルストイが亡くなったとき,そこにいた.
トルストイは多くの音楽を聴き,たくさんの音楽家たちが彼のもとにやってきて,演奏したり,歌ったりした.
トルストイは,自然な曲が好きで,ショパンを好み,アレンスキーの「シルエット」も気に入っていた.
♪ トルストイ作曲 「ワルツ」 (ピアノ演奏 川染さん)
1906年に,ゴリデンヴェイゼルがタネーエフと一緒にヤーナヤ・ポリャーナに行ったとき,
トルストイが弾いたものを書き留めた.
現在も,モスクワに,ゴリデンヴェイゼルの演奏の録音が残っている.(エジソンの・・・)
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以上は,当日配布されたレジュメと,お話から,印象に残ったことがらをメモさせていただきました.
高橋さんと川染さんに感謝致します.
また,準備,受付,譜めくりなどのお手伝いをされていたスタッフの皆様にも敬意を表したいと思います.
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次回,第2回例会は,
2010年9月19日(日)14時~16時 りんゆうホール
で行われるとのことです.
詳しくは,高橋健一郎さんのブログ をご覧下さい.