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心に日本刀を持ってますか?

日本人から地球人になりたい私的人生旅行記

それは Live a lie から Live a truthへ

私が生まれてから鮮明記憶に残っている事など書きます。


子供の頃、赤いプラスチック製の三輪車に乗っては

右カーブを攻めていました。何度も何度も。

それは当時住んでいた町営住宅地の下り坂が右カーブで出来ていた為です。

そこは、車も余り来ないし袋小路になっていました。

近所のおじさん、おばさんからは

『またやってるの?』『好きだねぇ~?』と少々呆れられていたのかもしれません。


当時住んでいた場所から5km程離れた高台に大工の父は土地を買い家を建てていました。

私はまだ当時3歳くらいだったとおもいます。


その高台の建設中の家へ私は赤いプラスチック製の三輪車に乗って一人で向かいました。

しかも、祖母や姉には内緒です。。。(悪)

何度も行っていたので子供だった私でもなんだかそこへ行ける気がしたのです。


高台へ向かい、すぐ途中で近所のお姉さんに遭遇しました。

『あれ、どこ行くの?危ないからダメだよ』

と、諭されましたが私は

『大丈夫だよ』的な事を言って逃げるように高台へ向かいました。

赤いプラスチック製の三輪車はタイヤもプラスチックで出来ていたので

今考えると結構無茶な乗り物です。


その無茶な乗り物で私は高台で家を建てている父のところへ行きました。

道中の事は今では殆ど憶えては居ません。


高台の建設現場に無事到着して直ぐに父を探しはじめました。

そこでは沢山の大工衆が仕事をしており私を見かけては

『おっ!よく来たね御菓子食べるか?』

『危ないからお父さんの所へいきなさい』

と声をかけられました。


父を見つけた私は

『お父さん!』


声を掛け父が振り向き

『おっ!誰と来た?』


『一人で来たよ三輪車で』


父、青ざめた顔で

『お前大丈夫だったか?怪我ないか?』


『大丈夫だよ』


父、多少落ち着きを取り戻し

『まぁ、コーラでも飲め』


コーラを貰い、何故だかコーラを持った私をカメラで撮ってしていました。

今でもその時の写真があります。


その夜、私以外の家族(母、祖母、姉二人)が父に怒られていたのを憶えています。

一番行けないのは私なんですが。


祖母も姉も近所を隈なく探したと言っていました。

凄く心配させたと反省しました。

それ以来、私への監視は厳しくなったのは当然です。


相変わらず右カーブをプラスチック性の三輪車で攻めます。



その赤いプラスチック製の三輪車の事は今でも鮮明に私の記憶に残っています。