いきなり出だしから引っかかりまくりで、こんなことでは、曲の全部を10秒ごとに区切ってなにか書いていくのかと思われかねないが、そこまではやらない。気になったことがあるところだけをピックアップしていく。

 


この部分は、かなり歌詞のリズムを拾っている。ただ拾いすぎていて、「あれから半年の時が流れて~」のところはまあ普通に流せるとして、「や~っと笑えるのよ~」のところが、あまりにも「や~っと」過ぎて、どうしても笑ってしまう。しかも「や~っと」の後にまた両手を体の前で合わせるような動作があり、「◯◯音頭」っぽく見えてしまって、またまた歌詞が頭から離れていってしまうのだった。
それにしても、「詩(ボーカル曲)を滑る」とはどういうことなんだろう。ここにこんな振り付けが入ってしまうこと自体、日本語の歌詞に振り付けることに、結構手こずったのではないかと邪推してしまう。どうも変だ、なんだか笑えるってところは、みんな手こずったところなのではないか……。日本語なだけに、意味が分かりすぎてしまい、それにつけられた「そのまんま過ぎる」振り付けでさらに増幅されるから、なんだかとっても陳腐に見えてしまう。
 


ここはサビに向かって、そして最初のジャンプに向かって盛り上がっていくところで、それに合わせてバッククロスでスピードを上げていく。「新しい 人生を 私なりに歩いてる~」の後の伴奏「チャーン チャーチャチャーン」に合わせてステップも踏んでいるし、その後のハープを端っこの弦から一気にかき鳴らすような音に合わせて、トリプルサルコウを跳んでいるようだ。この辺りはいいと思う。テレビ放映の分は、もうワンテンポ早くジャンプできたら音とピッタリなのでは?と思うが、その後の「あなたに~」への流れもスケートが音楽や歌詞と合っていると思う。
 


ここも手こずったところなんじゃないかと勝手に思っている。1回目の「逢いたくて~」の声を伸ばしているところで慌ただしく跳ぶバレエジャンプ。タイミングもよく分からないし、なんでこんなに詰め込むのだろうか。とても慌ただしくてバレエジャンプがもったいない。
そして2回目の「逢いたくて~」で一旦中央付近まで行ってから、両手をまた体の前で一瞬合わせ、「眠れーぬ よ・る・は!」のところでロングサイド中央あたりに駆け寄って、よく分からない踊り……この時の町田君は、ほぼ眼を閉じて陶酔して踊っているように見える。しかし、見てる方からすると「ポカーン」だ。何度も見ていると、言葉のリズムを拾って、町田君がナゾの踊りをおどっていることがわかる。でも言葉の意味はどうなんだろう。あれは「眠れぬ夜」の表現なんだろうか?何回も見ているのに、時には自分も同じように身体を動かしてみているのに、全く意味が分からない。「詩を滑る」というより、「音符を滑る」といったほうがいいのでは?と思うところだ。
 
私は振付師でもダンサーでもないけれど、こういう変な振り付けに出会ったら、自分ならどういう振り付けにするかなぁと考えてみたりする。でも5分以上の曲に、とくにJ-POPみたいに、AメロだBメロだサビだと、同じようなメロディーと歌詞が繰り返されたりすると、変化を出すのは結構シンドイ気がする。その点、クラシック曲やオペラ、ミュージカル、映画のサントラなどの長い曲を編集すれば、そういった繰り返しは避けられるし、変化もつけやすい。そういう点でも、J-POPはフィギュアスケートに合わないという意見に頷きざるを得ないなと思う。
ここまでほとんど演技の内容に触れず、作品論というのでもなく、ひたすらに「どういうつもりで、このプログラムを見るか」に費やしてるなんて、ちょっとおかしなことだ。
現地では3回、テレビ放映の録画は「どういうことだ?」と思いながら、全部流して見たり、引っかかるところを何度も戻って見たりして、それでも20回見たかどうかだけど、今回はプログラムに入り込めないせいか、いつもは手の動きに目を奪われてしまっていたのが、かなり冷静に、目を皿のようにして、足元のスケート自体や、音楽と動作の調和を見てしまう。といっても、素人の感想に過ぎないが。




出だしのポーズは何を意味しているんだろうというのは、いろんな人がいろんなことを言っている。私は単純に「二人の部屋の~」の「2」かな?と思ったぐらいだが、指2本を首すじにあてがうと、「唇が当たった感触に似ている」などという見解もあった。なるほど恥ずかしい///が、そういうことも含めると、二人の部屋で過ごした思い出のフラッシュバックかもしれない。指が一瞬当たるか当たらないかで身を翻すので、ある種の余韻が残る気がする。ここはそんなに悪くないかもしれない。
ただし、私は最初に現地で見たが、目の前にあった無人のピンスポットに目潰しされて、まったくこの時の町田君の表情が見えなかった。このピンスポットについては後で少し触れるけれども、無用だったかもしれない。少なくとも出だしのポーズや表情をかき消してでも付けておく意味があったのだろうかと思う。

その後のゆっくりとしたステップ。ステップの名前など、私にはわからないが、テレビ放映の分はブレードが引っかかってしまっている。このプログラムでは、両手を体の前で合わせることが多い気がする。この短いステップの間にも2回。この両手合わせてからの動きが、どうも盆踊りっぽいというのか?日本ぽいと言えばそうかもしれないけれど、なんだか垢抜けない感じに見えてしまう。また、右手を伸ばして左手でスゥーっとなぞり上げるようなフリがあり、これはサビの部分のナゾの踊りにも出てくるので、なにかの象徴かもしれないが、よく分からない。ここは全体的にうつむき、正面に対して背中を向けている感じなので、なにをやっているのか、よくわからない部分ではある。




出だし部分でいきなり引っかかってしまうのはこの動きだ。「さまざまな思い出が頭の中を駆け巡っているのだろうか?」という解釈があったりしたが、それはまあいい。それは置いておくとして、「さよならを告げる」寂しさ、切なさみたいなものは感じられないし、ただただ奇妙な動きに見えて、意味がよく分からず、初っ端からなんだか笑えてしまう……。動きから受ける印象で、歌詞のイメージから遠く離れてしまうのだ。

そしてさらに笑えてしまうのが、「さよなら告げた~」の直後のピンスポットのカットアウト。無表情な感じで、手で空を切ることで「あなた」を象徴していたと思われるピンスポットをカットアウトし、「さよなら告げた」を表現しているのだが、あまりにそのまま過ぎる……。姿は見えないけれど、そこに誰かが存在することの表現として、ピンスポットを舞台上のどこかに当てておくというのは、演劇の手法では学生の演出家でもやるほどの、ごくありふれた演出で、それを手でカットアウトすることでしか「さよなら」を表現できないのかな?と残念に思ってしまう。スケートの表現じゃなくないですか?表現の仕方が安易、安直に思えて笑えてしまうのは、私が町田君に期待し過ぎていたからなのか?

とにかく、ここまでの1分ちょっとで「あらら・・・」となってしまうのだった。
そのようなわけで、ここまでは公式サイトのコメントとあの曲について考察しながら、どういう設定で私は見ることにしたのかを書いてきた。
こんなにゴチャゴチャと考えなくても、スコーンと最初から入り込んで見ることができた人もいただろう。しかし私は、こんなに遠回りをしてからでなければ、通して見る態勢もできなかったのだ。そして、同じような状態のファンは結構いたのだった。
いわば、生肉に濃厚なソースをぶっかけて出されたような感じだ。きちんと消化できるようにするために、いったんソースを落として、生肉に火を入れる作業をしなくてはならない。すぐにあのプログラムを受けとめられなかったファンは、それぞれに消化できるような工夫をしていたのだ。中には「丸飲みで消化不良のままでいく」と決めたファンもいたが、1年に1つしかないと思われる町田君のプログラムをなんとか受けとめようと必死なのだと思う。なんとも涙ぐましい。一体どうしてこうなったのだろう。
もしかしたら、町田君は万人受けを狙ってこの曲を選んだのかもしれないが、だとしたら完全に裏目に出てしまったと思う。

この先は、ポツポツとこのプログラムの「?」な部分や、入り込めないながらも「いいな」と思う部分について触れていきたいと思う。