このプログラムに対する私の印象にとくに変わりはないのだが、今回掲げられているテーマについて、自分の想像に過ぎないがまとめてみる。
なぜ相聞歌なのか……
単純に、女性の気持ちは表現できないというか、する気はないんだろう。なのに、あえてこの曲を選んだのは、町田君がこの曲に思い入れがある、または、琴線に触れる部分があったということか……。「この曲いいなぁ」ぐらいでは、普通は選ばない曲だと思う……カラオケで歌う曲を選んでいるんじゃないんだから。
もっと言えば、この曲が町田君の中にしまい込まれている「大切な人との想い出に寄り添うもの」であるとも言えるんだろう。これは、公式ホームページに書かれていた言葉ではあるけれど、そのまま、町田君がこのプログラムをどういうつもりで作ったのかを表していると思う。
町田君の振り付けは「相聞歌」ということだけど、その振り付けは歌詞に応えるというよりは、歌詞の内容をそのまま肯定して頷き返しているような、「そうだよ、僕もそう思っているよ」という感じ。そもそも、この曲自体が「悲恋」というよりは、「辛かったけれど、今となってはいい思い出になった失恋」という雰囲気。
町田君のプログラムの中で「悲恋」といえば、やはり「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」の右に出るものはなく、さすがは「悲恋の極北」と銘打っているだけはある。(ファンにとっては、まさか自分たちまでも悲恋の中に叩き込まれるとは思ってなかったわけだが……)
そこへいくと、この「あなたに逢いたくて」というプログラムは、悲恋というよりは、やはり「離れていても心は両思い」と思って見た方がわかりやすい。三部作が終わってみて、「初めはそれほどの悲恋とも思わなかったけれど→それは胸を引き裂かれるような悲恋だった→でも悲しみを突き抜けた先では、夢の中で通じ合える美しい想い出へと変わっていた」というところか。
このプログラムは「相聞歌」となった時点で、もとの曲とはまた違う道をーテーマに掲げられている通り「二次創作」としての道をー突き進んで行ったんだろう。
ここまで有名な曲でなければ、または日本語の曲でなければ、「二次創作」という部分がもっとスンナリと受け入れられたのかもしれない。ちょっと皮肉な話ではあるけれど。
プリンスアイスワールド横浜公演のテレビ放映で、解説の八木沼さんが、プリンスチームの演目であるJ-POPの曲が、すべてカバーであったりインストゥルメンタルであったりする理由について、「オリジナルの曲ですと、やはりその世界観というものがすごく強い場合が多いですので、カバーして違う世界観のなかで、フィギュアスケートと融合させることによって、また見え方もガラッと変わるものがあるんではないでしょうかね」と話している。この場合、カバーすること自体が二次創作であるわけだから、プリンスチームの場合は、カバーしたアーティストの二次創作に乗っかって、フィギュアスケートのプログラムを作っていったということになる。
これに対して町田君は、松田聖子オリジナル原曲とがっぷり四つに組んでいながら、「相聞歌」とすることで、独自の世界観を展開していったということになり、多分、この試み自体はすごいことだったんだろう。これはオリジナルの世界観と町田君の世界観との真っ向勝負ということになるが、それならば、どちらが勝ったのだろうか。いや、別に勝つ必要はなくて、オリジナルの世界観と町田君の新しい世界観が融合すればいいのだろう。そういうことからすると、松田聖子の大衆性と町田樹の芸術性は、部分的には融合した部分もあったと思うが、私がこの曲の大衆性にどっぷりと浸かっていたせいもあって、全体的にはやはり大衆性の方に流れたように思う。大衆歌に無理くり乗っけられたバレエ的、芸術的な振り付けが、私には少し滑稽に見えたし、分離してしまったように思えた。