今回はちょっと文章が長くて面倒くさいので興味があったら読んでほしい
という位な面倒な内容である。
先日テレビで日航ジャンボの犠牲者で小型手帳に遺書を書いていた海運会社社員だった男性の娘さん(現在大学の先生)が遺品である手帳を寄付しようと考えていると話しているのをみた。この方はおそらく以下の論文を読んでいると思うのであるが…。
日航ジャンボ墜落事故
国の陰謀説について、自衛隊のミサイルの誤発射によって尾翼が破壊され墜落したとする東京大学で博士論文を書いた元日航スッチー(同期のスッチーが載っていて死亡した為、無念を晴らそうと真相を大学院で明らかにしたいということだった。東大の大学院に入っただけでも、ものすごい弁のたつ人と思われる。)の本は買って読んだのだが、そういうことをふまえて森永卓郎=東大卒=なども陰謀に違いないとコメントを出していたものである。
こういう高学歴の人が書くと本当はそうだったのではないか?と思う人がいてもおかしくはないだろう。
自分はそんなことはないだろうとおもっていたのだが、ほんとなのかなと思って買った理由は著者が博士だったからに他ならない。つまり著者の学歴で読むか読まないかを決めているという事になる。(田久保市長の東洋大卒を信じて投票した伊東市民にも似ているが、ちなみにこの元スッチーの学歴は伊東市の市長のような詐称などではなくちゃんとサイニーでも検索できる本物であるので、こういった検索サイトで簡単にニセ博士号などはばれてしまうのである)
この読売の新聞記事によれば、自衛隊が元自衛官らを証人にこの本を発端として起きているSNS情報を偽情報であると会見を開いたという。
まず学術論文とはなにかをミー坊ごときが偉そうに書くと(各学会や大学院などで発表されるものは大きく3種に分かれる。どれも基本は主観的なことはほぼ書いていない=だーれも読まなくなるから。また大学の卒論は基本学術論文とは分けて考えるので入らない)1.修士論文=通称 修論(しゅうろん)=(博士前期の人が書きあげると取れる学位でこれが6単位と併せて通常の履修での合計30単位を最短で2年で取るともらえる修士の学位。優秀な人は2年で終われる)2.博士論文=通称 博論(はくろん)(修士号を持っている人が受験できる博士後期の人が書く学術論文のことでハードルは高く、文系だと4~5年くらいはかかる。論文以外に履修もある。通れば博士号が通常貰えるのだがどこの大学の?が重要である) 3.研究論文 大学の先生や博士などを持っている人が書く(ご自身の専門分野における)研究結果についての論文の事である。
よくナントカ研究所とか書いてある看板を見るが研究の意味が違う。様々な学会に発表される研究は論文を書かないとダメでそれは先行研究を読んだうえで書かれたものであることが条件である。それがないものはアカデミックな研究とは言えない。
これらほぼすべてが誰かによって査読される。修論は優秀な同級生によって査読(ピア レビュー)される運命にある。
更には他の大学の先生を呼んでコメントを求める場合も多々あって、そうそう簡単に書きあがらせてはもらえぬ代物である。
よって
わかりやすく書くと
幽霊がいないという論文はあるが、幽霊は存在するという論文を書くことは少なくとも日本ではできない。(そもそもそのような人は理系の大学院に入学できないから書いても、発表の場もなく、誰も読まないし、当然査読もされない。)
つまり学術論文はとても信頼性の高い研究結果を紙に書いたものという事が言えるのだ。
しかしながらそれが事実かどうか?
はまた別の話になってくるのがこの事故のミサイル説の例である。論文は通っていても本当にそうだったかどうかはその人しかわからないという事である。このように人の生き死ににかかわる論文について、なかなか同級生でも「どこでその情報を得たのか?」とは聞きづらい訳である。
幽霊は存在しないが、幽霊のような物が写った写真は実際に存在する。それは幽霊ではないのだろうが、幽霊のような物に見える。ではこれは何だろうか?私はこう推測する・・・。
こういうスタイルの論文は通ってしまう可能性はないとは言えない。(マー基本はほぼないけど=先生がこんな非科学的な論文をかかせてくれないからだ。論文は文系でも科学的に書かれている)
東京大学の文系大学院の博士論文(現在すべての日本の大学院における博士論文は公開が義務付けられているのでだれでも読むことができる)が博士を通ってしまっていることは、それが正しい見解(正しいとか間違っているという表現自体、文系大学院では基本使われない)であったとかそういうことだとはならなくて、誰が査読したかにもよるのだが査読者は基本非公開で自分が査読したということをいってもいけないとされているが、まー航空機の事故に詳しい人とは限らない。当たり前だが、そもそも東大の先生ではない人が査読している可能性が多くある。会社員の場合もある(普通の会社員ではなくどこかの学会に入っている院卒や博士号を持っている人)まー「たまたまミサイルの誤射の仮説を紐解いた博論が通ってしまっただけ」と考える方が自然である。
これが学術論文として通っていることと、それが事実であるかは全く別の事である。(が、基本は「客観的」事実しか書けないし、ないものをあると書けば小保方さんのように早稲田の博士はく奪となるし、指導教員の教授は自殺してしまった=指導教員が彼女の書いた嘘を見抜けなかったからである。ただ誰も見ていない細胞を見たというのだから注意が必要であろう=ただ死ぬほどの事では全くない。)その証拠に日航機撃墜論の本は売れたかもしれないが、もし本当にそうなら遺族の友達ではなく遺族の誰かが動くような気がする。さらにはフライトレコーダーの音声ですら日航パイロットOBによるVHSテープに録音されたもののリークであったのであるからもっと多くの人が動くだろう。
大学院に暇な人はいないだろうがこの方の博士論文(博論はミー坊は読んでいないが本に要旨が書かれている)をもしどこかの文系大学院の学生10人ほどで読んだ場合その突っ込みどころは満載だろうと思う。ここがおかしい、これはどこでだれが調べたのかと、誰から聞いたのか?あなたの主観では?とまず猜疑心をもって読んでいくのであるが、博士後期の人に突っ込めるのは博士後期の人か指導教員(教授)なので・・・・これは主観的だ!とかなーんて突っ込んだらものすごーく怒り狂う人が多い。自分も何度かそういう場面を観たことがある。自分も突っ込んで逆に「失礼な!この馬鹿め!」と怒られたことが何度かある。まさにアカデミックバトルである。
ミー坊が思うに(他の人=教授とか院生とかもそう思うだろうが)この方の論文は「まず答えありき」で日航機はミサイルの誤射によって墜落させられたのだ というご自身の仮説が正しい(そう思いたいだけ)と、そのすでにご自身で決めた結論に都合よくもっていこうとする論文で、このように答えが最初にある論文は基本はダメとされていて、客観的データから答えがでてこなくてはならぬものであるが、客観的データがその答えに都合の良いものを多く混ぜている気がするのである。(読んでいないのでこれも推測だが)例えば2機のジェット機が日航機を追尾していたのを見たという証拠が小学生の書いた日記であるというやや小さい証拠しかないという事は、あまりそれを観たという人がいないので小学生の日記でもいいから論文に入れてしまえ!という風にも取れる。(もっと書けば、その小学生が想像で書いたという証拠もないから事実かもしれないので入れてしまえである。2名とかではなくてもっと多くの15人とかの目撃者がいて自然であろう。)この方は博士なのでその前の修士の時点でも幾度となく指導教員や周りのご学友から「最初に答えありき論文はダメ。それは論文じゃない」と言われていたはずである(これを言わない大学院はないと思う)つまり解かっているがそのように書いているのである。まーそんなこと言ったってミー坊なんかじゃ到底歯が立たない上の方の研究者の方ではあるのだが。
自衛隊の船はその時は別の場所に停泊中でミサイルは発射できない状態だったと元乗組員が証言しているので(しかも夕方にミサイルの実弾訓練などしないだろう)、それが事実だとすると、そのことについて修士論文か博士論文で過去の論文の誤りを指摘できれば「先行研究の間違いを指摘した」(既に提出されていてサイニーなどの論文ベースに出ている学術研究を先行研究と言う)となって、なかなかすごい論文ということになるのだがそんなことをする人はマー1人もいないだろう。そもそも航空機事故についての論文自体が日本語版が少なそうである。
海上や陸上自衛隊には大学院卒などいくらでもいて(修士を2個持っている人もざらにいるが自衛隊ならなおさらであり、米軍などはそのずっと上をいく人たちが将校のなかにいっぱいいるとされる頭脳集団でもある)この方が書いた博士論文は読んでいる人もいるだろうからなあ。
映画マニアが「あの映画見た?」と聞くのと同じように「あの博論読んだ?」と聞くだろうしなあ。
自衛隊は院卒で修士をもっていてすぐ入れば最初から2尉(中尉)スタートになる。
まー今ではおもちゃメーカーにもパラパラとはいるしエロ本編集者、大相撲の大栄翔のように現役力士にもいる時代である。
だからまーこんなことはないだろうなあ。(遺体を火炎放射器で焼いてそれをした自衛官らが後で自殺したなど)
そもそも山奥で起きた事故の証拠隠滅をあんなに大勢の陸上自衛官全員が秘密を守れるはずがない。
地元の消防団員だっていっぱいいたのだから。見たことを話したいと思う人もいるに違いない。
たまたまテレビでみたがこの方は「海の匂いの研究者」。大学にはいろんな研究者がいるんだね。
この方は筑波大学の先生なので相当上の方の方であると言える。
こういうのは楽しい研究だし、なんでも突っ込んで聞けるだろう。
友達の無念を晴らすための論文というのはエネルギーは相当強いが
むしろおかしな方向へ人々の考えを持っていくものではないだろうか?
その証拠に博論を書いただけではなく、その内容を
誰にでもわかりやすい本にして出版しているではないか。
1985年に陰謀は無理のような気がするが。
もちろん「映画」「映画史」などの研究者もいるし、自分の知り合いで俳優のマッツ・ミケルセンの研究をしている人がいた。
なんでミケルセン?ときくと「デンマークが好きだから!」とのこと。いろんな人がいるものである。

