A24が作った米国映画でタイトルも英語なのにドイツ語しか使われていない、さらになかなか恐ろしい映画である。

令和の現代社会においては他者のことに関心がないというのは、ある意味「安全」で良い部分もあるが、会社なんかじゃ大体付き合いの浅い人はこう、表面的にあまり深堀りしないのが長続きのコツでもある。

会社などにおいてはまったく本性を見せないものもいて、本当は悪人(いろんな意味で)なのだが表面的にはいい人を演じている人もいる。無関心を装い放っておけば自分には災いは降りかからぬ場合が多い。

 

他人に関心がないというのもいろいろあって、仕事関係の知り合いではあるが、例えばその人が亡くなったとしても

「あ、そう」で終わる人もいるし、自分もそのように思われている場合もあるだろう。

 

昔は他人の家のことにまで良く顔を突っ込んでいたように思うが、今ではマンションは特に隣人の家族構成や勤め先までは知らない場合が多くなっているなあ。それがうまくやっていけるコツのように時代が変化してきたのだろう。

 

 

今は昔に比べ、大人も子供もみんながみんな忙しいので例えば他人の子供が悪さをしようが、注意をする人はだいぶ減った。よその子供が

どう悪さをしようと、あるいはどのように悪くふてくされて育とうと自分には関係がない(社会的にはあとで関係は出てくる)うえ、そんなことや他人にかかわっている時間が勿体ないとさえ思ってしまう。警察のお世話になればいいと思ってしまう。

 

関心と無関心

 

これはそういうことを客観的に映し出している作品のようである。

 

●この映画の他者(この家族からすると無関心領域の人々)とされるアウシュビッツ収容のユダヤ人(あくまでも物質であり人間とは別の扱いだ。)は次元がやや異なる上、関心を持たずに居られること自体がすこし異常であるようにも思う。

 

 

主人公のアウシュビッツのユダヤ人収容所所長ルドルフ・ヘスは実在の人物で(髪型まで同じ)戦後、連合軍により裁判にかけられ45歳でアウシュビッツで絞首刑になっているとのこと、奥さんは1987年まで生存していたらしい。

 

大量虐殺はみなガス室なのかとおもっていたら最初は銃殺であり、その後効率を上げるために考え出されたのがガス室のようである。それよりも殺した後の火葬作業(西洋なので埋めていたのかと思っていた)の効率や合理化を考えていたのだった。

 

映画での悪者は所長の妻である。

 

まともな人は妻の母(だけ)なのかとおもう。

 

夫婦には子供が4人?いたらしいが戦後はどうなったものか。子供たちは収容所の壁の向こうから聞こえてくる乱暴な言動「川に沈めて殺せ。」などにももう慣れっこで無関心のようにも見える。

 

途中川で釣りをしている所長が水の中で人間のあごの骨らしきものを見つけ、大急ぎで川から出て石鹸で体を洗ったのは

テストで毒ガスで殺されたユダヤ人の骨が川にあって毒素がそこに停滞していると思ったからかと、自分は思ったが。

 

戦争が終わるまでは転勤以外家族の上流階級生活は何も変わっていない所がまた恐ろしい。

 

この大量虐殺の管理者が馬と別れるのが悲しいと嘆くシーンはなんともなあ。ユダヤ人は馬よりも下なのか・・・。と思ったが。

 

日本の大戦中の上級将校でもさすがにこの所長のような生活を戦時中にしていたものはいないような。「贅沢は敵だ!」と言われていたわけで。日本の同盟国ドイツではそんなことはなかったのだろう。イタリアのエステにいっていたという会話があるが。この家族のように贅沢の限りを尽くしていたのだろうか。日本人で同盟国のイタリアのエステに行っていた人はマーいないだろう。

 

あと途中で画面が全部紫色に変わり、ウーハーの音のようなブォーという音だけが流れるシーンがあり、意図は不明であったが、その音はあのユニバーサル映画の「センサラウンド方式」(ウーファーの低音だけ出して空気を振動させて地震やゼロ戦の轟音、ジェットコースターの振動と轟音のシーンなどで流す。宇宙空母ギャラクティカは東京だけセンサラウンド上映だったので横浜ではやっておらずどういったシーンがセンサラウンドになるのか知らないが想像だと、空母が宇宙空間を飛んでいる轟音やカタパルトから戦闘機が発射されるときに出るのだろうか?1回のウーハー音は最低でも1分くらい続くからやはり空母が空中移動しているときにだしていたのだろうかなあ?これをセンサラウンド方式で見た人は自分の周りにはおらず。2のサイロンアタックはセンサラウンド方式ではない。)によく似ていた。これを体験している人は若くても多分今55歳以上で1980年頃の大地震のリバイバル=センサラウンド上映で観た人が最後で自分もこれで観ている。

 

 

ドイツ軍の服やヒトラーユーゲントの制服が映画の中では光って見えるなあ。これが日本軍とはやや違う。

日本はカーキ色主体だったし、高校生の時の地学Bの先生が大正生まれで学徒動員で帝国陸軍に引っ張られたときに最初に思ったことが帝国陸軍の制服って「格好悪いなあ」と思ったそうな。そんなことを言ったら天皇陛下からお借りしている制服になにをいう。この非国民めが!と言われてしまうので「思っていただけだ」といっていたが。

 

なかなか考えさせられる映画。

 

リンゴの少女のシーンは自分にはわからなかったので

わからないままにしておく。

 

 

●みていて トムハンクスの「オットーと呼ばれた男」を思い出した。

ちょいとこの映画とは見る角度が異なるが、

これは友人に関心がありすぎて、友人が買ったトヨタセリカに文句をつけたハンクスがその友人とそれ以降疎遠になってしまっているというお話だ。だが昔はこういうことはよっよくあったのだろうと思う。

 

あの子のお父さんは本当の父親ではない(母親が再婚した)だとか、あの子のお父さんは早くにがんで亡くなったなど、

クラスの友達の親のことまでマイナス要素は何故かよく知れ渡っていたものである。