TOHOシネマズシャンテで2月にロードショー公開された作品だが
みそこねたもののようやく見ることができたがこれはかなりの傑作だった。
思っていたものよりずっと面白く得をした気分になった。
2023年いまのところこれがトップ1だ。(ここ2年くらいで一番面白かったかも。ただ
ミー坊はこういう内容の米国映画がすごく好きなのでやや主観的でもある。まーこういう映画が好きなのだ。)
出演者は7人だけで基本4人が1つの部屋で話をするという映画でたぶんお金はそんなにはかかっていない。
俳優も国際的に有名な人は出ていない。
加害者の父親役の俳優は舞台が中心だそう。この人がまたうまかったが
被害者側の女性がまた怖い。いつキレるのか。
ビスタサイズとあるがなんとなく左右がもう少し横が長い感じがした。
アメリカンヴィスタでもすこしながいのがあったりして。
しかも監督は俳優(ダークタワーに出ているらしい)で本作が初監督というが彼は天才的だ。(脚本も)
お話は米国の高校で銃乱射事件の加害者の親と被害者の親合計4人が協会の貸し部屋に事件後6年たってから、もういいだろうと
あつまって(MASS=原題=おそらく集まりといういみではないだろうか)お互いに癒しを得るという話であるが、実際にはこのようなことはできないと思う(けんかや殺し合いに発展する)事前の持ち物検査もないし。
なのでそういった部分ではかなり映画的であり抽象的(うそのお話という意味で)という感じを受けるもののその内容やセリフが超リアルでかなり怖い映画である。
ラスベガスで60人以上が死亡した事件ももう2017年の出来事である。
米国で最近もまたかという感じでニュースを見ているが。
米国は銃の国。日本のようにあおり運転したら相手が銃を撃ってきたなんてこともあるようで、
そういう意味では日本のようなあおり運転は少ないのかなあ?(正当防衛で撃たれてはかなわんからね)
以下ネタバレ等はなし
なにが怖いかというと雰囲気的には「セブン」が近いと思ったが「ハートロッカー」(イラクで地雷処理する兵士の話)
のほうが観客をずっと安心させないという部分では近いだろう。いつ爆弾が爆発するかと手に汗して見たものだが最後は
米国人女性は強しというややプロパガンダ的な終わり方でがっかりした記憶があるが、本作品はそんなことはなく最後の5分まで観客をどこまでも安心させることなく進む。
話の概要はわかったと思うがポイントはこうだ
例えばある大きな犯罪を犯した不良の高校生がいたとしよう。
両親が彼にそういう教育(育て方)をしていたから、彼がそうなったのだと
思う人も多いはずであり、
その両親もまた不良っぽいというケースは多々あるだろう。日本でもそういうケースは多い。
それならば納得できるし、
そのようなろくでもない両親のもとで育てられた輩もまた
似たような人物となって犯罪を犯し負の連鎖が始まるというような話はとても分かりやすい。
しかしこの映画ではそうではなくて
両親はちゃんとした人、兄もいてその弟が学校で爆弾を爆発させた上、銃の乱射をする。
おかしな家庭ではないのだがそういう人が育ったというのはなぜか?というのが論点だ。
論文でいうところの仮説検証型である。
本当はあなた方夫婦はそういった悪の部分があるのではないか?
というのを何度も被害者の夫婦が聞くのである。
被害者夫婦はまともだがなんとなくワルっぽい感じはあるところがまたミソ。
乗ってきた車がスバルだったが、こういうのも、なにか理由がありそうだ。
加害者側は飛行機で来て、話し合いの最初に午後の便で帰りますと先に言うのだが、
被害者がそんな時間で話をやめてくれるかはわからないのにそういうとは傲慢だとかって
観客にわざと思わせるための脚本かも。
(加害者側の親が先に帰ると言う部分は複数回クローズアップされるのでかなり重要な部分である)
加害者の話し口調に時折、被害者側が過剰に反応するところがまたいい。自分が被害者側だったら
相手のこの話し方は気に食わないときって、実際にはあるんだろうな。
ただそれでも怒る人、怒らぬ人がいるもんね。
例えば肉親が亡くなった日の病院でニコニコしている看護婦さんの顔を見て不愉快になる人、元気をもらう人いろんな感じ方がある。
自分の59年の経験から書くと経済的に潤っている(お金持ち)人は余り小さなこと(言い方が気に食わんなど)
には腹を立てない人が多いように思う。
劇中被害者側の男性がなんども言葉使いに注意しろという場面が出てくる。
人の息子を殺しておいて(親が)その口の利き方はないだろ とか。
言葉が偉そうだとか。
その言葉を使うなとか。
英語の単語もまた相当にシビアである。
監督はなにかの映画からヒントを得たのかもしれないが自分はこのような映画を見たことはない。
★自分の仕事にてらし合わせてみると、私は玩具を考案しているなかで、消費者にはさすがに何を言われても
其の人個人の考えと思えるものの、流通に携わる問屋や販売店の社員やパートさんの心無い一言でもう作るのを辞めたくなったことが何度かある。「こんなもの売れませんよ」などは特に頭には来ないが
「最初から扱うつもりがない」「私はこういうものはすきじゃない」「やりたくない」「売り上げが上がっても時給が上がるわけではないので、わざわざ大変になるような仕事を増やさない」などといった消費者とは全く関係のない言葉には本当に何度もカチンとなり、もう作るのを辞めようと思わせるが、こんな無知な人たちに何を言われようとほかに扱ってくれる人がいるからそのために頑張ろうと続けてきた。
仕事の内容が私と異なるのであり、向こうも全部は扱いきれないし、また商品を作ることがどれほどのエネルギーを要するか彼らには知る由もない。(販売の大変さは何度も手つだわされているので大方わかっているつもりだが、商品製作の比ではないと思っている)だからぽろっと自分主体で主観的に言ってしまうのだ。お店だってそのパートさんに選ぶ権利を与えなければ仕事は進まないのだ。主任や店長が1つ1つの商品を決めている時間はないし。
映画の最後には無差別殺人者の親はその殺人者を生んだ(産み落とした)責任を取って自死すべきかどうかという部分にまで
発展する。このような場合(親はまともで子供がややおかしい場合)親にも責任があるだろうか?親はただただ愛情をもって
育ててきたのだというのだ。おかしくなったのは息子自身の問題であると。
何となくだが日本人の責任感的発想だが米国人にもこの感覚はあるという事だろう。
これについては宮崎勤の父親の新聞記事を思い出した。
結果論ではあるが
確かに犯人がこの世に生まれてこな開ければこのような事件は物理的に起きなかった。よって犯人を生んだ夫婦が悪いという理屈はまんざら間違いとは言えない。ただ事件を起こすかどうかはその息子個人の考えによる。
親は関係ないとまでは言えないが。
またこのシーンではやや事情が違うが、歌舞伎町のアパホテルで真冬に9歳の息子を非常階段から突き落として死亡させ無理心中しようとした
40代の母親が半年後くらいに拘置所で紙を呑んで窒息自殺したという、いやな事件を思い出した。
この映画見ていて1分も目が離せないので上映中トイレには行けない。
セリフのセンテンスを1個でも聞き逃すともしかしたら後でわからなくなるかも。
ブルーレイでたら買いたいなあ。何度も見たい映画。
御客の入りはよくないっぽいから、すぐにWOWOWでやるとも思うけど。
米国ではこんな映画を勝手に作るなよという人も出てきそうだなあ。

