1976年7月16日毎日夕刊

●12歳で中学一年だったミー坊。若大将3本だてロードショーどの3本立てに行ったのかは全く覚えていないのだが(古い邦画なんてと馬鹿にしていたから)どれかの3本立てを友達のTと一緒に見に行ったことは間違いない。

Tの親がTVでよく見ていたとの事で(親の世代は行っていたかも)

 

観たのは横須賀中央のヨコビル4Fの横須賀名画座か有楽座のどちらかだったはず。名画座は45席しかなくたしか椅子が1段高くなったコンクリートの段の上に設置されていてやや危険だった。

 

かなり混んでいたと思うのでやや大きかった有楽座(100席)の方ではなかったかとも思う訳だ。みんなゲラゲラと笑っていたことはよく覚えている。

 

1976年にはもう作っていなかったシリーズだが(アグネスラムがでる帰ってきた若大将というものや、草刈正雄の若大将は別ものとして)3本立てにすれば新作と同じくらい人が入るのだから若大将人気は相当なものだった。


いま思えば時々こういった旧作(ゴジラシリーズなど)の3本だてをロードショー館でやる時は基本フィルムはニュープリントを再度用意して(この場合だと3本分)全国にある東宝邦画系列劇場に送るのだろうかなあ。まーそうなんだろう。


 

12歳の目には大学生とはこんなにすごい人たちなのかと思わせる内容だったが実際には大人ですら海外旅行などありえない架空の話だった。コロナ前なら5万もあればHISでグアム3泊4日成田発

デルタ航空エコノミー、韓国系ホテル付でなーんてのはいっぱいあったが

1976年ですら横井さんはタダでグアムに行けてうらやましいなーんて思っていたころである(死にに行っているようなものだから、決して好き好んで・・・・)香港やグアムに行っただけで海外旅行に行ってきたと言える時代であった。(いまもいえるが)

若大将の時代には札幌に住んでいても東京に旅行で行くことすら

けっこう大変だった時代である。

 

 

 

 

 

 

この間の新文芸坐は行きそこなったがやはりスクリーンでみん

なみていた作品だからねえ。この時代にハワイはおろかグアムや

ニュージーランにまでいける大学生なんか実際には存在していなかったからこの映画はきっとすごかったのだ。(自分は1964年生まれなのでややずれていて加山雄三のすごさというのはわかっていない世代である)

 

田中邦衛は加山雄三とはプライベートではあまり付き合っておらず一緒に銀座の有名料理屋に行くと加山の父の上原健のつけで飲食できたというから時代が違う。

大手企業の名刺(同じもの10枚)あればつけでタクシーに乗れた時代だが今はそんなもの誰でも印刷できるからなあ。ダメだよね。

 

●左に行くとジョージレーゼンビーとジミーウォングのカンフーアクション映画

「スカイハイ」と「007は2度死ぬ」(日本が舞台)のスーパー2本立てだ。これはいまでも客がはいりそうだなあ。

 

●金閣寺は篠田三郎が主演のATGものらしいがまったく記憶にない。大日本帝国以外に篠田三郎の主演映画はあったのか。

日劇文化は円形時代の日劇の地下=丸の内東宝の隣にあった映画館で最後はわりとATG専用館になっていた単館系邦画劇場とでもいう感じであったが自分は一回も入ったことがなかった。