当時 横須賀東映 で買ったパンフ。
自分は前から2列目の中心で鑑賞したことまで覚えている。
こういっては何だがこの映画、実際にはかなりやっつけ仕事的な部分も多く
脚本もわりとありきたりの内容で、(特別な部分がほぼない映画だ)
2月に撮りはじめて?いかに4月29日のゴールデンウィークの
全国東映系公開に間に合わせるかという映画でもある。
いくら深作監督でも柳生一族を撮ってすぐにSF映画は厳しいだろう。
この日のフィルム上映だがフイルムの右下にマークが(通常は右上)出るたびに映写室を振り向くと
映写窓が変わっているように思えたのでたとえばこれで全5巻(25分ほどのフィルムが5巻)
をつながないでそのままバラバラの状態で4回切り替えたように思うのだ。
テープでつないでしまうとフィルムの缶に戻すときにまたはさみで切るのだが
そのたびに2コマ程度づつコマが減ってしまうので、それをなるべく防ぐために
フィルムセンターではそうしているのかも。
他の劇場に貸し出したときはつなげて上映するだろうからつないだ部分が各2コマづつダメになってしまうのだ。
パンフに入っている写真で
これは成田か羽田空港で撮られたものか、京都のホテルなのかはわからない。よくみると、やっぱり空港で出迎えたんだな。看板も手持ちだし。これから撮影ってときだろう。
これがまたすごい写真で
モローの着ているセーターと帽子は映画の衣装と同じなので
京都で撮影中に京都好きなコンバットの相棒リック・ジェーソン
がたづねてきたという事なのだろうと思い、
いつぞやこの映画のプロデューサーだった平山亨(故人)さんを招く
飲み会に行ったときに、リック・ジェーソンが来たかどうか覚えていませんか?
と聞いてみたが記憶にちょっとないという事だった。
ただこの写真からすると先生の知らない時に来たのだろう。
平山先生はギャラの折り合うビックモローをたづねてLAまで行ったことやモローが泊まった
ほてるのはなしやなんかも覚えていて教えてくれた。
特に英語のセリフの不自然な部分などないかと聞くと、それは私の仕事じゃないと
取り合ってくれなかったという事だった。いろいろと大変だったようだ。
プレスシート
こちらは1978年3月28日火曜日の新聞の切り抜きです。
ほんとうはもっとすごい報知新聞の記事なんかもあったんだけど、
引っ越しした時に捨ててしまったらしい。
神風が吹くかな?なーんて書いてあるが要はヒットするのかな?という意味で書いてるだけであるが、丸山議員じゃないが、いまはこういった表現はねえ。まずいかもね。