故人(犬も?)との新たな関係性 | たゆとうとも沈まず

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キャンサーサバイバーのゆる~い日常

新たな関係性?

 

亡くなってるのに?って思いますよね。

 

私が何気に書いていた

「私にとって、アナは居る。形が変わっただけ」

 

ここを読んで

あら~この人、大丈夫かしらね~とか

思った人!アンタだアンタ!

 

いや、これが分かったのよ。

(え?なんの話し?)

 

ご主人を亡くした奥さんがね?

数年経ってから、言ったんですと

「あの人は、居ないけど居る。」

または「形を変えた」だけ。と。

 

これを「意味の再構成」と呼ぶらしい。

 

故人との新たな関係性を

その人なりに組み立てて行く事。

 ↓

「つながる感覚」を持てること。

 

これは、とても良いことらしい

(らしいってのは、まだ確認してないから)

 

14年前の新聞の記事を見つけた。

教授が書いたコラムだった。

 

死別で苦しむ人が、いつか自分で自分の気持ちを整理して

それを「言葉」に出来るようになる。

そして言ったのが。

 

私にとってあの人は、居ないけど居るんです。

 

そこまで行けたら、その方はドンドン回復していく。

後悔するのは、本当に一生懸命に看たから。

 

ただ、

 

あの時は、それで精一杯だったと思おう。

 

私には、これが難しかった。

どんなに考えても、後悔が大きくて、なかなか。

やり切ったとは思えなかった。親父の看取り

 

だから。アナの時は。

精一杯やったと、思えるように。

とにかく、後悔しないように。

 

いや。

それでも人間だからね。

後悔はするんですよ。

しなきゃウソだ。

 

で。

 

1年が経って。

これまでは考えられなかったような。

「別」の寂しさがよみがえるんですわね。

後悔とは少し違うんですが。

 

そこで、いっぱい本を読み(夜霧まで再読した)

YouTubeも見て。

何か、ヒントは無い物か。

探しまくって、この寂しさの正体と、それでもこれでも

「私にとってアナは居る。形を変えただけ」

 

その思いに行きついた。

 

そのあと。

新聞に載った教授の記事で「再構成」を読んだ。

 

ああ、これだ。

間違ってないと思う。

(まだ気が付いてから教授と話せてないから分からんが)

 

そうか・・・

時間、かけただけの事はあるか。

そう思った。

 

何の事か分からんと思うけど。

記録として、残しておきたいので書きました。

 

暴れるオルレア。今年も引っこ抜く!