姓名からの”相性”と”運気”は、日本の歴史も変える!
 
「なぜ?木下藤吉郎は、足軽から天下取りまで出世したのか?」という
根本的な原因を解明している歴史学者はいませんね。

あの戦国時代で、
150㎝もない小男で、サル顔の貧相な容姿、そのうえ武道も堪能ではない者が、あの難しい性格の「織田信長」に可愛がられて、順調に出世して来た謎・・・? それに対して、文武に長けていた「明智光秀」と「織田信長」との”相性”が悪かったのが、結果的に「木下藤吉郎(羽柴秀吉)」の天下取りを早めたのも、なんと姓名からの「相性と運気」が根本的な原因だったのです。 』

 

 

 

 

 

 


先日のブログでも、
「”姓名”が歴史を変える・・・」という実証をしましたね。初期の戦国時代では「武田信玄・今川義元・織田信長」の”3羽カラス”の対立で、その原因は、次のように、いずれも”切れやすい性格”の「天格7系列の対立」でした。

「武田 信玄」天格17・地格10・総格27
「今川 義元」天格17・地格7・総格24
「織田 信長」天格27・地格13・総格40

 どうですか、この三人・・・揃いも揃って「天格7系列の”自己主張が強く、切れやすい性格”」であり、なかなか互いに妥協しない時代が続きました。その後、「織田信長」は、清洲同盟で「德川家康」を傘下に入れたうえ、武を補う”意外な戦術”に長けた「木下藤吉郎」と鉄砲術に長け朝廷儀式にも明るい「明智光秀」の二人を家臣に加えたことが、「織田信長」の権威と実力を示す運気が向上し、天下統一の基礎を創った初期段階だったのです。

さて、こうした背景事情がある中で、「なぜ、織田信長と木下藤吉郎との相性が良く、明智光秀との相性が良くなかった」のか? 次のとおり、関係者の姓名を判断すると、明確に判りますね。

 

 

 

 

 

「織田 信長」天格27・地格13・総格40

「明智 光秀」天格14・地格19・総格33
「木下藤吉郎」天格23・地格9・補格9・総格41
「羽柴 秀吉」天格13・地格16・総格29
「豊臣 秀吉」天格20・地格13・総格33


”相性”の良否は、天格同士の比較になります。

信長の「天格27」に対して、光秀は「天格14」であり、どちらも対外的な言動は”自己主張が強く、切れやすい「4・7」タイプの性格”・・・。ところが、光秀は地格19から、信長の13よりも”知的な賢さ”は上で、信長に進言しても「(信長は)負けず嫌いで切れやすい性格」ですから、光秀の進言が疎ましく思われていたのです。要するに、同じような性格の言動は、二人の相性を”凶相”にしてしまった訳です。

これに対して、「木下藤吉郎」(事後、「羽柴 秀吉」に改名)は、いづれも天格23と13と言う「心に”自尊心”を秘めているが、表向きは「3」系列の”温厚で協調性”ある言動」が、信長の自尊心を傷つけない「藤吉郎の賢い言動」でした。

 

 

 

 

 

 


このように、信長との「まるで反対の性格」が、二人の相性を”吉相”にしたということが、事後の天下取りの運気を早めた運命となりました。しかし、なんと言っても、「木下藤吉郎」という人生の初期の運気がベストであり、「織田信長」が主君であったからこそ・・・であり、これが仮に「柴田 家」(天格22・地格15・総格37・・・柴田家は絶家)を主君にしていたら、関白「豊臣 秀吉」は誕生しておらず、日本の歴史は大きく異なっていたでしょう。



この時代の人間関係からでも、
私説「天命数霊術」により、歴史的事実を解明する基礎となったのです。
いいですか、

このような人間関係は、”性格”は全く逆の夫婦・親子でも、共通の「価値観」さえあれば円満になり、家庭の発展がありますよ。 例えば、「”改名”して運気を向上させよう!」と言う共通目的の価値観があれば、”家庭の発展があります。

しかし、”性格”は類似でも、「そんな改名で運気が良くなるはずがあるか!?」と異なる価値観で協力しなければ、家庭の発展はありませんね。

織田信長の「27」と木下藤吉郎(羽柴 秀吉)の「13」は、対外的な性格は「真反対の言動」ですが、”(戦国の世を無くし、天下統一のための)価値観”が両者一致していたので、”相性”が良く織田家の発展があったのです・・・。

この思考は、日本と中国・韓国との国際関係でも、「”平和”という価値観」を共有すれば、国の「”性格”は真反対」でも、関係国はもちろん、世界中の”運気”は向上してきますよ。