江藤俊哉/ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ全集 | 弦楽器工房Watanabe・店主のブログ

弦楽器工房Watanabe・店主のブログ

弦楽器工房での日々の仕事の話について気儘に書いています。

音楽と趣味のブログはこちら⬇️
https://ameblo.jp/aoba-strings

ヘンデルが書いたヴァイオリンとハープシコードのためのソナタは、愛すべき佳曲揃いで、どこを取ってもこの作者らしい優美な歌ごころに満ちています。

レコード界でバロック全般の録音が本格化するのは、戦後LPが普及し始め、ステレオ時代を迎えた後のことでした。現在愛好者がよく知る大曲、バッハの平均率や無伴奏ヴァイオリン曲も、戦前は市場に出た種類は数えるほど。音楽がいまだ劇場のための芸術であった時代、クラシック・コンサートに載るプログラムは、内面的なバロック、古典よりも、各楽器の演奏効果を上げやすいロマン派以降の作品が中心でした。
ヘンデルのソナタ全6曲が一括で録音されるようになったのは、1950年のカンポーリ(英デッカ)あたりからでしょうか。クライスラー、ティボーといった戦前の大家でこの6曲がすべて聴けたならどんなにか素晴らしいだろう、と私などは無いものねだりをしますが、これは時代の趣味嗜好ばかりでなく、SPレコードの所要枚数が多分に原因したと思われます。1枚ですら高価なSPの組み物は、人気アーティストであっても大衆レベルでの需要を見込める商品ではありませんでした。

個人的には、エネスコが85年前に吹き込んだ第4番二長調が今以て忘れられない。神の声のようなこの記録を理想とする気持ちは変わらなくとも、もう少し平静な意味でのヴァイオリンの妙技、薫り高い美しさは、ステレオ期以後のグリュミオー、スークといった芸術性の高い全集盤で堪能することができます。

現在ではこれ以外にもヴァイオリン用のソナタとされる作品が数曲加えられ、また既にヘンデル作と認識されている当6曲にも信憑性のないものが含まれるとの説が出ています。私の耳には、これらに同一人物の血が流れていると思えるのですが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
201409071500000.jpg
ヨーロッパのソリストのものと共に私が愛聴するのは、江藤俊哉氏がチェンバロのヴァルデマール・デーリングと共演した全集盤です↑(1982年8月、本庄文化会館にて収録。カメラータ・トウキョウ 25CM-163)。

我が国ヴァイオリン界の重鎮と呼ばれた氏の音は、楽器のイメージにたがわないまことに豊潤なもの。あたたかい音色、誠実な技術、解釈、いずれを求める人にも一つの正統性を示しうる演奏で、且つそれらが一個の音楽として強い説得力を持つ。率直に言って、欧米の名手と並べてまったく遜色のない美しさと貫禄を感じます。
名器ストラディヴァリウスとしては大変重厚な響きであり、私は単純にその点でも心動かされるのですが、グリュミオーが青年の息吹きといったものを終生持ち味にしたのに比べ、江藤氏のヴァイオリンには年月に培われた人間的な大きさ、懐の深さがはっきりと感得できます。緩やかな1、3楽章では大胆な装飾音を加味し、アレグロの2、4楽章は息の切れない推進力があります。そこに教授風の堅苦しさはみじんもなく、ヘンデルを弾くことの純粋な法悦に浸っているようでもあります。
201409071503000.jpg
明るく溌剌としたソナタ、第1番イ長調を聴けばこの大ヴァイオリニストの作品に注いだ愛情がよくわかります。ヘンデルはバッハと異なり、精神がもっと外側に開放された音楽。そして、どこか懐かしい土の香りを残すような庶民的歌ごころが何よりの持ち味、と言ってよいでしょう。その音楽のもつ幸福感、世俗に通じた哀しみが、渋い語り口によってしみじみと伝わる演奏です。