桂報告書26頁 青字

2013年3月の Nature再投稿に際して、図のスタイル変更とサンプル名付加の要請が小保方氏よりあっ た。その際、小保方氏はCallus1とCallus2がそれぞれSTAP細胞とCD45+細胞であると資料 に書き込み、それに従って図の改訂を行った。 ・・・・・・
 
(評価)  CDB 若山研における Callus という言葉の使用は、のちに STAP 細胞と呼ばれるものを示 していた。CD45+細胞は Callus/STAP 誘導に用いる細胞であり、CD45+細胞サンプルに Callus という名称をつけサポートユニットへ解析依頼するという行為は、混乱を招く可 能性が大きいものであった。CDB 若山研では異なるサンプルに区別困難な類似名称を付与 することが散見されたが、そのような慣習も遠因となった可能性がある。
 
 
この部分の記載であるが、若山研究室には、遺伝子解析用に持ち込むサンプルについて、まぎらわしい名前をつけてGRASに持ち込むことが時々あったと書かれている。小保方氏も、“Callus1とCallus2がそれぞれSTAP細胞とCD45+細胞であると資料 に書き込み・・・”とある。

なぜ、若山研究室スタッフは、まぎらわしい名前を持ち込みサンプルに書き込むのか?と、桂委員会が問題視している。
そうした若山研究室のやり方は、小保方氏が遺伝子解析サンプルを持ち込む時の混乱につながったとしている。
報告書では、”遠因”などと表現を使っているが、委員たちの本心は、困ったものだ!の抗議だろう。
なぜ、若山研究室がそのようなことをしているにかについて、誰か推論しているのだろうか?以前に、若山研究室は細胞の質が明らかになるのは避けたいのではないかのコメントをいただいた。
 
若山研究室があえて、そうした事をしていた理由を考えてみたい。
GRASの人たちにサンプル中身を、あれこれと検索させないためではないか?と思える。
 
若山研究室は、新規の細胞つくりをしている研究室である。
クローンマウスは、世界のお墨付きを得ているものの、この研究室が次はどんな細胞を作り出すのか?
何か不正があるのではないか?と、チェックの目が向けられていたのではないだろうか?
 
遺伝子を検査する人たちは、“法医学的”との立場であると、自らが言っている。
つまり、他人の研究をあれこれ解析して、不正をチェックする役割を担っているらしい。
この言葉を聞いた時、学とみ子のSTAP事件への理解が一歩も二歩も進んだ。
 
若山研究室は、自己点検に熱心な人たちによる水面下のチェック活動に神経をとがらせていたのかもしれない。
こうしたことを考えると、若山研究室は、サンプル名をわかりにくく、ESでないものをESとラベルして、遺伝子検索をGRASに依頼することなどをしていたとしても、おかしくはないだろう。
若山研究室は、GRAS及び親派の連中に、研究の中身を知られないようにしたのではなないか?と思う。
紛らわしいネーミングをしておけば、自己点検グループによる”法医学的”チェックを牽制できるかも・・・というところだ。
 
一方、新人研究者に過ぎない小保方氏は、周りからのチェックの包囲網に疎かったかもしれない。
そして、小保方氏は、3度も問題あるサンプルをグラスに持ち込んでしまった。
それがチェックの網につかまってしまったのだが、逆に、この出来事は、小保方氏の無罪主張のツールにすることができると思う。
 
その位、この自己点検グループは、泣く子もだまる勢力があったのではないだろうか?
理研が古い歴史を誇るだけに、旧体制の力は強かったのではないかと思われる。
こうした研究者たちは、新しく創立されたCDBのような実力主義、任期付き研究員ポストなどにも、強い反発があったであろうと思われる。
 
話しはずれて恐縮だが、私のブログは、・・・・だろう、・・・かもしれない・・・と想像できる、などの表現が満載であるとの批判がある。他の方のブログで、学とみ子のブログは、想像ばかりで意見を述べているとは言えないなどの批判をいただいている。
しかし、このブログは想像で書いているので、研究現場の実情を知らない学とみ子としては、しかたないことなのだ。想像表現が多くて、読みにくい点はご容赦願いたい。
 
本題に戻るが、ライバルたちから足元をすくわれる職場環境の研究者は、学術的な競争以外にも、研究妨害などについても戦い続けなければいけない職種なのだろう。
そして、足元をすくわれたら、徹底的に敵と戦うことも、研究者に求められることだろう。
 
学とみ子の帰路となる駅のそばに予備校塾がある。
予備校塾の窓には、にぎやかに多くの合格者の名前やら合格校が貼ってあって、子供たちのライバル意識をあおっている。
 
子供たちが、一斉に予備校塾から出てくる時間には、外の道路で、親たちが車の中で子供を待っていたりする。
親と子が一緒に参加している受験競争だ。
 
そして、予備校から出てくる元気な女の子を見ていると、この子の将来は順調だろうか?と考えてしまう。
勉強して努力して良い学校に入っても、その後にひどい目にあうなら、勉強などしなければよかった!と、この子は思うだろうか?
 
男性は、もともと、頭が良く策略にたけている。
そして、てっぺんを取りたがって、家来を作りたがる。
その軋轢の下になり、体力の無い女性がつぶれていくならつまらない世の中になってしまうと思う。