この事件、専門性が高くて、一般の人が手を出せない専門領域で起きた事件と言えます。だから、

一般人には論評できるはずないと、専門者たちはたかをくくっているかように見えます。
 
STAP細胞が抱える高い専門性については、マスコミが得意になって報道した一因でもあるのでしょう。
マスコミ人(須田さんら女性記者トリオ)もいっぱしの専門家になったような錯覚に陥り、論文を論評したり、著者を批判したりしました。その情報は全部、ねつ造派の学者から吹き込まれた内容でした。
 
専門知識を持っている人が、他人を教育指導する行為は、教育者の誇りです。でも、先生といえども、その誇りがあまりに強いと生徒からは尊敬されません。
 
少し、見当はずれの話題とは思いますが、専門知識は時代と共に価値が変化し、上書きされていく事例を出します。

初めて医療界にCTが登場した時、最も画期的だったのは、脳のCT画像が得られる事でした。
脳のCT画像を取れる技術者は脳外科のドクターたちに限られました。
他の科のドクターたちは、脳外科に頭をさげて機械を操作してもらい、所見を読んでもらったものです。
予約を取るのも大変でした。脳外科医のご機嫌次第で、予約が決まりました。
 
膨大な情報が得られるCT検査は、臨床の有用性が極めて高く、あっという間に需要が広がりました。
CT検査は脳外科医の手をはなれ、検査技師が検査をしてくれるようになりました。機器の性能アップに加え、検査技師の技術も読影力もアップし、親切な検査技師たちは、多くの情報を医師たちに提供してくれました。
 
CT所見の取り方を解説する教科書も急増し、病気とCT所見との関連についての医学も進みました。
今ではCT検査は日常診療です。すべての精度と使い勝手が向上したのです。
 
CT検査と同様に、遺伝子解析の専門性や学問性は変化してきていたと思います。
今は、遺伝子の解析はどの程度に一般化が進んでいるのでしょうか?
又、解析する人たちの立場や学問の質はどう変化したのでしょうか?
生物科学の著者、共著者は、遺伝子解析の知識を十分磨かないと論文は書けないということになります。
査読者はどうなのでしょうか?
 
なぜ、こうしたことを指摘するかと言うと、前回ブログで紹介したパーク氏の発言を踏まえてです。
 
パーク氏は、もし著者、共著者、査読者に遺伝子に関する知識があれば、データがおかしなことにもっと早く気付くことができたであろうなどと言っているのです。
そして世界中で無駄な再現実験をすることもなかったであろうとまで言っています。

こうした発言は、理研の内部協力体制欠如への批判でしょう。
問題のある論文が出た原因が、一人の新人女性が犯した罪にされているのですから、この部分はやはりなんとかしたいところです。

若山氏ら共著者もいろいろな処分を受けたことはわかります。しかし、ねつ造(疑い)者にされたのは小保方氏一人です。
 
ねつ造グループは小保方氏のねつ造は本物と主張し、擁護派は否定しているのですから、当然、議論はかみ合いません。
しかし、議論の輪に入ってくれるいろいろな立場の人たちが、いろいろな視点の情報を得てくれる事には意味があります。
 
若山氏は、他を持って代えがたい人であることは百も承知です。
普通なら、ねつ造とされた学者は訴訟を起こす状況ですので、若山氏の無言は訴訟を意識しているのでしょう。
科学界の人たちは、多くそうして戦ってきた人たちであると思うのです。