パンドラの箱を開けたのは、桂調査委員会だ。
桂最終調査委員会の発表で、ついにパンドラの箱の秘密が明かされた。

STAP実験中に、STAP(幹)細胞の遺伝子解析結果がCDBの遺伝子解析ユニット(GRAS)に保存されていた。
GRASが保存するこの遺伝子解析結果が”パンドラの箱”である。
 
”パンドラの箱”はSTAP論文の共著者しかアクセスできない資料であり、だれものぞいたりしてはいけない。
しかし、パンドラの箱の解読は専門技術だ。遺伝子解析の専門家が解読作業をして、一般学術用語に置き換えていく作業が、”パンドラの箱”には必要だった。
この解析の結果は、いつ解析されどう利用されたのかは明らかにされていない。しかし、パンドラの箱の中のSTAP-FI細胞にはアクロシンが入っており、STAP細胞は親マウスから作られていない証拠がしっかり保存されていたのだ。
パンドラの箱の中身は、マスコミや分子生物学会の追及どおりの結果が入っていた。
もちろん、開けてはいけない”パンドラの箱”は、誰もそのことを公には口外していない。
 
しかし、マスコミや分子生物学会は最初からパンドラの箱の秘密を知っていたのは間違いない!と考えたくなるのだ。
初期に発覚した小保方氏の論文ミスは、マスコミが大騒ぎするような問題ではないのだ。
こうしたミスは一般人を含んで日本中で騒ぐような問題ではない。
新規の論文発表には、批判がつきまとう。多くのライバルが世界中にいる。
論文を書いた研究者とはそうした批判と常に戦う。
STAP事件には、マスコミが参入し、分子生物学会も論文ミスを強く非難するという異例の展開になったは、マスコミも分子生物学会も”パンドラの箱”を知っていたと考えると、実にスムーズに謎が解ける。
 
桂報告書は、淡々と書かれた報告書である。
調査報告書は、客観的な立場で書く必要があるから、淡々とした書き方が当然だと言うのが学者たちの意見である。
 
桂調査委員会は、ES細胞の混入を多角的に証明した自画自賛の部分を隠して、表面的にはとてもクールに、実にめだたないように配慮して報告書を作成したようだ。
 
桂報告書は、STAP関連細胞は、ESだ、ESだ、とそれしか書いていないほどである。
そうした書きぶりの中で、GRASに保存されていた解析結果(すなわちパンドラの箱)については、めだたないように配慮した書きぶりであると感じる。
 
マスコミや分子生物学会が、あれだけ狂信的にパンドラの箱を開けろ!と理研上層部を攻撃したが、桂報告書は、“パンドラの箱”を実にさりげなく処理し、焦点であったことを微塵も感じさせないような記載になっている。
だから、この部分に注目する人が少ないと思う。
 
もちろん、桂調査報告書は何気なさをよそおっているだけで、内心はマスコミや分子生物学会に対して、“どうだ、君たちの望むねつ造の証拠だぞ!”ではあったかも・・・。
 
それより、桂報告書の調査作業をした研究員たちにとって、技術的には、テラトーマの切片からDNAを抽出したのは、大変なお手柄だったようだ。精度も成果も高い調査とのことで、プロも満足、元SDB幹部の西川先生も大満足とのことであったようだ。
 
調査委員会が報告書を賛美する理由は、解析作業をした理研の研究員たちに対する感謝であり、現場の言いなりになる調査しかできないからだ。高度に専門的な作業であり、できる技術者が限られる。

しかし、実際はパンドラの箱を公開するだけで十分だったはずではないのだろうか?
 
桂報告書の遺伝子の解析結果は難しい書きぶりで、一般の人に理解してもらえるように解説的に書いたりはしていない。プロ向けバージョンだけで、一般向けバージョンは無いのだ。
理解しなくていいぞ!という桂報告書スタンスが、ひがみっぽい私には感じる。
そうした専門的調査の難解性にかかわらず、小保方氏のねつ造関与については誰でもわかるように書かれている。
 
現場を知らないマスコミは大事でないことでも強調し、いつまでも問題視する。
だから、一般人の理解が不十分となり誤解が進んでしまうのである。
佐藤優氏のようなインテリでも、小保方捏造を疑っていない程に、マスコミによるねつ造への誘導が効いていた。
 
STAP事件については、簡単で実質的な解説ができる人たちが活躍すれば、もっと社会の誤解は少なくて済んだように思う。専門用語を使わずに、STAP実験は何のためにやられたのかを一般向けに解説することが必要だったと思う。こうした解説をしたい人、ねつ造は難しいことを示唆する人はいたと思うが、マスコミは一切を無視した。結論があいまいなことは、読者がつかないからだ。こうした判断をしたマスコミの罪は重い。
 
はちべえさんが、小保方氏は流れてきた製品に対し自らに課せられた仕事をしあげて次に廻したと表現している。こうしたわかりやすい解説表現は意味がある。
 
新規の実験で共同研究をする時は、それぞれの研究者が自らに課せられた仕事をきちんとこなして次に渡すことが求められる。それぞれの実験者の仕事はその人でなくてはできない作業だ。手抜きなどがあれば、全体の精度は低下する。
 
さらに、手抜きが無くても、実験が再現できないことがある。実験者には、その原因もわからない。
実験の条件が微妙に異なってしまっても気づけない。
世界で初めての事実を示す時には、難しいことが一杯起きる。
 
こうした不安定な状態を、マスコミにいろいろ攻撃されたら、この分野の研究は進まない。
実際に、万能細胞についての新規の実験をする研究者にとって、ハードルは高くなったと思う。
第二の小保方になるのは誰も望まない。
最近も、山中博士が、iPSの臨床実用には時間がかかるので待って欲しいなどを訴えている様子を新聞記事で見かけた。
小保方ショックから抜けきれない日本では、しばらくこの分野は進まないのではないか?
 
大手マスコミは、将来を見通せず、真実を曲げて目先の成果主義(売上)に走った結果である。