“理研が犯人”という武田教授の表現法である.
このブログでは、“理研が犯人”の意味を、STAP事件は、立場が異なる学者たちの間で起きた抗争事件との解釈にしたい。
 
事件の元となった若山研究室も理研の組織であったので、彼らも“理研が犯人”に含むことになる。
どこの組織でもヒエラルキーがあるが、国の組織である理研もばっちり階層がある。
所長、理事など管理者に加えて将来性の高い幹部候補のエリート学者たちの層と、それ以外の学者たちの層との間で起きた抗争がSTAP事件であったと思う。
 
研究員たちは、若手の身分のうちに業績をあげ、上層エリート層に出世していけるのはごく少数の学者である。皆がエリートをめざして努力する人達の中で、一部の人しか報われない。
研究員は、一般社会とあまり交流しないプライドの高い自由人たちではないかと思う。
 
研究所上層のエリート学者の仕事に隙やミスがあれば、他の学者が集団で牙をむくことがあると思う。
だから、上層で君臨する学者は、オーラと力が無くてはいけないし、部下を大事にするだろう。
こうした構造の組織では、派閥は必須である。
今回のようにねつ造がからむ告発事件となれば、正義を旗印に、学者たちの結束は一段と高まるだろう。

STAP事件が人々の注目を浴びた理由は、転落のストリーである。
若く、聡明、上品で美人研究者は、マスコミ受けがする、その研究者が、ねつ造疑惑で転落していく様子は、一般人が好むストリーなのだ。
 
マスコミは、それを演出した。本当にそれが真実であるかは検証することなく、真実であるふりをして、報道を進めた。
マスコミの上層部は、ねつ造ではなかったことがばれれば、取材した若手記者を処分すればすむと最初からもくろんでいた。それより、スクープとして、とにかく売れれば、ねつ造の方向で記事を作っていくことを優先したのだと思う。
 
武田説 “理研が犯人”ということであるが、実際には理研職員の中で、実際にかかわったのは一部の人たちであろう。多くの研究員は日常業務で忙しく、むしろ、マスコミに登場して目立ちたがる同僚たちを批判的に見ていたとは思う。
 
どこの会社も優秀な部下がいなければ幹部は業績を上げられないが、そうしたボトムアップのしくみは、研究室でも同様である。むしろ、上の人が、下の人にお世話になる状況は、一般の会社より強いと思う。
つまり、管理者の学者は、下の組織の研究員たちに逆らわれたら立場がなくなるし、業績も出せない。
だから、下の組織がまとまって上層部に逆らい始めたら、上層部は対抗するのが難しくなると思う。
STAP事件は、最後は小保方擁護の上層部が総崩れになってしまったと思う。
 
マスコミは、学者たちのこうした抗争事件に利用されたのだが、マスコミの立場では、記事や調査が間違っていたとかの反省の弁などは決して出てこないだろう。

小保方氏による訴訟が出されない限り、マスコミのやりたい放題は、そのまま放置されてしまうのだろう。
 
今回のSTAP事件は、経験少ない若手の女性記者が、ねつ造派学者たちの絶好のターゲットとなった。
学者たちは、ねつ造情報をおもしろおかしくマスコミ向けの記事になるように吹き込んだ。
女性記者たちは難しい専門記事が書けることに喜びを感じ、記者が経験不足で判断できずとも、判断できたと錯覚して挑戦的に、ねつ造疑惑の記事化に努力した。
若手記者のこうした行き過ぎた行為を、新聞社の上司が見過ごしたのは、ひとえに経営上の理由であったろう。
小保方氏が登場する記事は評判が高く、新聞雑誌の購買アップにつながったのだ。
 
須田氏は、「ねつ造の科学者」の後書きにこのように書いている。青字

STAP論文は、私自身を含め社会の多くの人が当初期待したのとは真逆の方向にすすんでいってしまった。重大な疑義が次々に浮上し、「世紀の大発見」のはずの論文は、むざんにも“崩壊”していった。
科学への信頼が損なわれる事態に強い危機感を覚えつつ、真実を見極めようとけんめいに取材にあたってきたつもりだが、いま振り返ってみれば、予想を上回る展開にただただ翻弄され続けたような気もする。
失望したり、愕然としたりすることも多かった。同業他社との熾烈な競争にも心底、消耗させられた。その都度、気を取り直して次の取材にむかうことができたのは、貴重な時間をさいて客観的な見解を示してくれた多くの研究者、そして、リスクを承知で重要な情報を提供してくれた、さまざまな関係者の存在があったからである。
取材に協力してくださったすべての方々に、心から感謝申し上げたい。
研究不正は、科学の乾山な発展を妨げる、決して許されない行為だ。だが、科学の歴史と共に、不正の歴史があったこともまた事実である。本書が、不正の起こりにくい環境をどうつくっていくのか、いざ起きた時にどう対処していうのかを考える一つのきっかけとなれば、著者としてこれ以上振れしいことは無い。
 
STAP擁護派の人が読めば、腹わたの煮えくり返るような表現が並んでいる。でも、この須田氏の終わりの弁を聞いて、STAP擁護派がものすごく怒ったとしても、心身消耗するだけだ。
 
学とみ子としては、いかの感想文をつきつけることで、お茶を濁すことにする。
須田さんは、捏造だと証拠を示せますか?須田さんの示す証拠で、須田さんの理解の程度がわかるんですけど・・・。
須田さんは、今もねつ造を信じているのでしょうか?それとも、ねつ造であると思い込もうとしているのでしょうか?
むざんにも“崩壊”したと書けば、転落ストリーの大好きな一般人の興味を引くことができて書籍は売れます。それを須田さんは狙っていますね。
マスコミ自らでねつ造と判断してしかるべきとは思っていないですよね。だから結論がでない前の11月に発売してしまおうと決めたのですか?
毎日新聞から書籍が出なかった理由は、毎日新聞が自社出版物として認めたくない内容だったからですか?思い込みの強すぎる嘘とばれる部分があるんですけど・・・。それとも、世間で言われるように、単純に賞取りのためですか?
ねつ造派の言いなりにマスコミが利用されたと反省したのは、いつでしたか?記者が無知だと、ねつ造派の学者に利用されてしまいますよね。
記者の無知が社会の誤解を増長させ、報道がマイナスの影響を及ぼした事件でしたね。
科学に対する人々の信頼感を汚す方向へと、マスコミがミスリードした影響は大きかったですね。

この文章の中で、須田氏が本心を素直に書いた部分はどの位にあるのか?その本心は、今、どう変化しているのでしょうか?